エルヴィン ロンメル。 エルヴィン・ロンメル元帥は名将だったのでしょうか・・・・?

WWⅡで有名なドイツ将軍一覧 ヒトラーの意見に反対し自決を迫られた者など理不尽な死を遂げている者が多い

エルヴィン ロンメル

ストーリー [ ] 、リビア。 の連合国軍は 元帥のに苦しめられ、戦況は日々悪化し続けていた。 そんな中、は洋上からの反撃を計画。 しかし洋上から接近する為には軍港に設置された沿岸砲台の排除が不可欠であり、これを果たすべくコマンド部隊から アレックス・フォスター大尉が送りこまれたのであった。 フォスターは手始めに捕虜となっているコマンド隊員を救出するべく、傷痍兵を装ってドイツ軍の ハインツ・シュレーダー大尉率いる捕虜輸送車列の中に紛れ込む。 しかし、合流予定だったコマンド部隊は既に撤退していたこと、また捕虜のうちコマンド隊員は4名だけで、残りは衛生兵と軍医、そして本物の傷病兵ばかりだと明かされる。 やむを得ず、フォスターは彼らと共に車列を乗っ取り、作戦の続行を決心する。 キャスト [ ] 括弧内は日本語吹替(「」 )• アレックス・フォスター大尉 - ()• アラン・マッケンジー曹長 - ()• ヒュー・ターキントン少佐 - ()()• エルヴィン・ロンメル元帥 - ()• ハインツ・シュレーダー大尉 - ()• ヴィヴィアンヌ - ()() 関連項目 [ ]• 『』 - 1967年の映画。 「ドイツ兵に変装したコマンド部隊がトブルクの要塞を爆破する」という、本作とほぼ同じプロットで制作されている。 また本作では『トブルク戦線』の戦闘シーンなどを流用している。 外部リンク [ ]• - (英語)• - (英語).

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ロンメル元帥「将軍」の生涯とは?名言や死因まで辿る

エルヴィン ロンメル

Contents• 生い立ち〜軍人への道 エルヴィン・ロンメルは1891年にドイツの南部、ウルム郊外に生まれる。 父も祖父も数学の先生をしている家系で、およそ軍とは関係のない中産階級のうまれ。 そして若い頃のロンメルは、飛行機にものすごく熱中し、航空隊に入隊したいとおもうようになった。 でも父親に反対されしぶしぶ陸軍にはいることなったんだ。 そのころの飛行機は複葉機が主流で、スピードもおそく、すぐ落っこちる不安定なものだったから父が反対するのも無理ないのかもね。 しかしその頃に、点と線の地上でたたかうそれまでの平面的な戦術に、空からの3次元の攻撃がくわわれば、戦争のかたちが一変すると予測したロンメルの先見はスゴイ。 また飛行機はこれからぜったい進化すると信じていたんだね。 まさにその予測どおりに第二次大戦の後半に航空力、制空権をにぎったものが勝利したんだ。 もしロンメルが航空隊にはいっていたなら、勝利の行方は変っていたかもしれないね。 第一次世界大戦のロンメル 第一次世界大戦では、まず歩兵部隊の士官として西部戦線に、次に山岳歩兵部隊を率いてルーマニア戦線、イタリア戦線についたんだ。 そこでロンメルは戦術家としての才能をメキメキとはっきしすることになる。 つぎつぎと戦果をあげ、級鉄十字章、最高位のプール・ル・メリット勲章を受章して中尉にまで昇進したんだ。 大戦がおわってもドイツ軍に残ったロンメルは、ドレスデン歩兵学校 1929年-1933年 、ポツダム歩兵学校 1935年-1938年 の教官をつとめた。 回想録「歩兵は攻撃する」 この本はロンメルが第一次大戦をふりかえり、その場の記録・考察を、彼のするどい視線で臨場感ある簡潔な文章で書いた回顧録。 そのなかには「戦場というのは準備と運という相反するふたつの要素が決定的に作用する」とか、 塹壕(ざんごう)の重要性や、フットワークの軽さや勇気の重要なども書かれていて、ドイツ国内で50万部をうりあげるベストセラーになったんだ。 その本を絶賛したひとりに、ドイツ帝国総統で絶大な権力をにぎっていたヒトラーがいたんだ。 これがロンメルを本格的に評価し、第二次大戦で重要な作戦をまかせ、元帥にまでひきあげるキッカケになったんだ。 しかしヒトラーに信頼され重宝されたロンメルだけど、 ロンメル自信はナチの人種差別(ユダヤ人虐待)や捕虜の扱い方などには反対で、さいごまでナチには入党しなかったんだ。 総督ヒトラーはぜったいで、だれひとり逆らえなっかたのに、ひとり反発したのがロンメルなんだよ。 それがもとで最後にはヒトラーの反感をかい死に追い込まれてしまったんだ。 砂漠の狐(きつね) 狐(きつね)ってどうぶつは、ひとをダマすってたとえられるよね。 北アフリカの戦線で「砂漠の狐」とよばれて敵に恐れられたロンメル将軍。 まるで砂漠の中にキツネがいるような奇策で敵をほんろうしたんだ。 イギリスの首相チャーチルが「敵の指揮官ロンメルは、きわめて勇敢な、きわめて巧みな敵将だ。 戦争という行為は別として偉大な人物だ。 …悔しいが!」っておもわず言ったんだって。 敵からも尊敬されたんだね。 物資不足の少い兵力で戦車隊をひきい、数倍の兵力のイギリス軍をげきはし続けたロンメル。 そんなキツネのエピソード(奇策)をこれから話してみよう。 リビア砂漠の戦い リビアは地中海に面した北アフリカの地域で、それまでドイツの同盟国のイタリア軍が駐留していたんだけど、 圧倒的な戦力を持つイギリス軍がイタリア軍をけちらして占領してしまったんだ。 イタリアにたすけを求められたドイツ・ヒトラーは、ロンメル将軍にその指揮を命じたんだ。 戦車の数でも兵士の数でもイギリス軍にくらべものにならない少数のドイツ軍、ましてや補給のこんなんな砂漠のなかの過酷なたたかいだ。 そこでロンメルはイチカバチかの戦略を考えたんだ。 最前列だけ手持ちの少ない本物の戦車をならべ、うしろのほうは自動車に板をかぶせたニセものの戦車、 そしてニセ戦車にはホウキや鎖(くさり)をひきずらせて、砂煙りをたたせて、少数のドイツ軍を大戦車隊のようにおもわせたんだ。 これをみてパニックをおこしたイギリス軍は、2ヶ月かけてやっと手に入れたリビアの陣地を放棄して逃げちゃったんだ。 こうしてロンメル軍は戦わずに、あっというまにリビアを奪回したんだよ。 奇策の伏線 じつはイギリス軍がふるえあがって逃げたわけはもうひとつあるんだ。 ドイツ軍が事前に行なった軍事パレードをみたイギリスのスパイが「ロンメル部隊に大戦車隊あり」と本国に報告していたんだ。 スパイが見たパレードは、じつは同じ戦車が何度もグルグル会場をまわって行進していたんだ。 つまりパレードそのものがロンメルの罠だったんだ。 イギリスのスパイはすっかり狐にダマされたってわけさ。 この戦法は日本の戦国時代の名将・織田信長の作戦とよくにてるんだ。 信長はやはり戦の事前に、信長軍は3千の軍勢で何万人もの兵を虐殺したっていうウワサをまわりの敵国にばらまいたんだ。 そうやって少ない兵力で大軍の敵を打ち負かしてきたんだ。 もちろんロンメルが信長を知ってるはずはない。 名将といわれるひとは事前の準備、とくに情報の伏線が作戦の勝ち負けをさゆうすることを、天才的直感でわかっていたんだね。 英雄の証明(条件) ロンメル将軍はまぎれもない英雄。 でも英雄はひとりで成し遂げられるものじゃないんだ。 だってその戦果や功績を作ったのは、ともに戦った兵士たちなんだよ。 不安を抱かせない、ついていって損はない、そんなカリスマ性と自分たちのことを理解して、いたわってくれる人間性、信頼、それが兵士たちの士気を高める原動力。 つまり英雄とは士気を高める能力・人望のあるひとってことなんだ。 力や権力でひとを従わせるのは、いつか必ずヒトラーのように崩壊する(どこかの国のアメフトにもそんなのがあったような?)。 そんな英雄の証明を感じさせるロンメル将軍のエピソードや名言をこれからしょうかいしよう。 「司令官たるもの前線で指揮をとれ」 現代の会社でもありがちなこと。 たとえば部長命令のプロジェクトで、あなたのいる課にその仕事がまわってきた。 ところが課長は「おまえたちで考えてやってみろ!」っていうだけで何の指示も出さない。 最初はじぶんたちに能力をつけさせるために、わざと指示を出さないんだとおもい、なかま同士で工夫しあって努力する。 良い結果がでたときには、課長はさもじぶんの功績のように部長に報告する。 しかし良い結果がでないときは「なにをやってるんだ!」と怒鳴るだけで次の指示もださない。 そりゃそうだよね、課長はじっさいにはなにもしてないんだから失敗の原因も問題点もわかるはずがない。 的確な判断ができないから指示がだせない、そのうちに部下はやるきをなくしてしまうんだ。 ところがロンメル将軍は戦争という命のかかった状況にいるんだよ。 前線にたつとはまっさきに攻撃される場所だよ。 そんな危険なところにいて指揮をとる司令官をみれば、兵士たちはその勇気にふるいたち士気が上がるんだ。 またロンメルは「軍人にとって最も不安なのは、敗北の予感に見舞われる時」とも言っているんだ。 その予感を最もつよく兵士が感じるのは、司令官が弱っているとき。 だから指揮官は弱みをぜったい部下に見せてはならない、またその印象をあたえないよう努力しなきゃダメだっていっているんだ。 「死んだヒトラーは生きているヒトラー以上に危険だ」 これもロンメルが言った名言で、もっとも意味深いことばだとおもうんだ。 ヒトラーはみなさんがご存知のように、ナチスドイツの最強の指導者、ドイツ国民のすべてをそのカリスマ性で引きつけた人物。 でもロンメルは生きてる間より死んだヒトラーのほうが危険だっていうんだ、どういうこと? もちろんロンメルのほうが先きに死んでいるから、ヒトラーが生きているうちにいった言葉だ。 ロンメルが言いたかったのは、いっぱん的に英雄とか偉大な人物とは、その死後に優秀な面がさらに誇張され神格化してしまうもの。 ヒトラーも死後にそのカリスマ性や強大さが誇張され英雄化される。 そのかげで彼がおこなった非人道的な行為(人種差別、捕虜の大虐殺)が、時間とともに忘れられてしまうのが最も怖いことだと言っているんだ。 つまりロンメルは力や権力でひとを動かすのではなく、みずからが兵士たちと共にたたかい勝利にみちびく者が真の英雄だといっているんだね。 ロンメルの最期 ノルマンディーの戦況で、いよいよ連合軍の総反撃(史上最大の作戦といわれる)が開始したとき、 すでに勝ち目はないと予測したロンメルは、無駄な戦死者をだしたくないとのおもいでヒトラーに撤退を進言したんだ。 するとヒトラーは「勝利か死か。 それ以外に道はない」 それにたいしてロンメルは「総統は犯罪者だ。 祖国が壊滅するまで戦うつもりか」といい放ち、独断でドイツ軍を退却させてしまったんだ。 これに腹を立てたヒトラーは、戦争終結の報告にもどったロンメルに「元帥、出て行きたまえ!」とどなって追い払ったっていうんだ。 そのごヒトラー暗殺未遂事件がおきた。 運よくヒトラーの命は助かったが、その計画の首謀者や関与したものたちは次々と死刑になったんだ。 それから3ヶ月後、戦闘で負傷して自宅療養していたロンメルのところへ、 ヒトラーの使者が毒薬を持参して「あなたに総統暗殺未遂の疑いがかかりました。 この毒を飲むなら家族の命は保証しましょう」と伝えにきたんだ。 もちろんロンメルは無実、でっちあげの嫌疑。 ヒトラーの性格をよく知っているロンメルは、ここで反発すれば家族だけじゃなく、もっと多くのひとに被害がおよぶとおもい、すなおに受け入れるんだ。 そして家族に別れを告げ、自宅の裏の林に入り、木々の間で毒をあおいで自殺したんだ。 まとめ ロンメル元帥「将軍」は自国民だけじゃなく、敵からも愛され尊敬される英雄。 天才的な戦術や予測で戦果をあげるだけじゃなく、勇気をもって立ち向かい、さらに部下や兵士、家族を思いやるやさしさをあわせもった人間なんだ。 これが真の英雄の姿だとおもうんだ。 さいごにロンメルの残した名言で終りにしたいとおもう。 ただ、僕はドイツを吹き荒れたあの狂気の中で、良心のかけらを見出したことが嬉しいのだ。

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軍事マニアがロンメル将軍を誤解する理由 学者が放置する「サブカル」の歪曲

エルヴィン ロンメル

ここでロンメルは 猪突猛進っぷり勇猛な突撃精神を発揮。 ベルギーとの国境であるムース川を渡る際には不足した資材をお隣の第五戦車師団から パクったり必要性に応じて借りたり、 ドイツ軍上層部やヒトラーが戦車師団の快進撃っぷりに「あれこれ深入りしすぎて分断されんじゃね」とビビって出した進撃停止命令を 無視したり現場の判断で聞いていなかったことにしたり しつつ、 に乗り込み第七装甲師団の先鋒とともに敵を蹴散らし始め、その進撃に連合軍は第七装甲師団をいつの間にか防衛線をすり抜ける「幽霊師団」と呼んで恐れることとなる。 なお上官 で、この後も勇名を馳せる名将ヘルマン・ホトは借りパクを嗜めたら逆に噛みつかれたり、失踪に振り回されたりと散々な目に遭った。 そんなこともありつつも、の思惑通りにドイツ軍は連合軍主力 を包囲することに成功する。 が、言うまでもなく連合軍は包囲網からの突破を試みる。 その結果、戦車部隊が進撃停止命令解除後も 「ガンガンいこうぜ」とやっぱり突っ走り、方向転換中だった第七装甲師団のガラ空きな横合いをイギリス軍がブン殴ることとなる。 折悪くというか案の定というか、ブン殴られた師団指揮下の歩兵部隊は例によってロンメルとは音信不通。 同行していた武装親衛隊所属の自動車化連隊「髑髏」 は手持ちの3. 7cm対戦車砲が効かないイギリスのマチルダ戦車にビビって逃げ出す始末。 しかし、異変を聞きつけたロンメルが急行、陣地を立て直し、8. 8cm対空砲の水平射撃でマチルダを吹き飛ばし、どうにか事態の立て直しに成功する。 (アラスの戦い) 1940年末。 枢軸国・イタリアがアフリカで大敗を喫する。 航空機といえば複葉機・ありえないほどに遅い進行速度……イギリスならまだしも、 ギリシャ軍やエジプト軍にすら勝てないイタリア軍に勝算があるとは到底思えない。 そんなイタリア軍からの救援要請を受けたドイツは、ロンメルを北アフリカへ派遣した。 ロンメルは北アフリカをヨーロッパ要塞のやわらかな下腹としてこの戦線を重要視し、エジプト侵攻を果たして中東を横断し、東部戦線へと合流するという 誇大妄想構想をたてた。 ロンメルと同様、イギリス軍は北アフリカ戦線を戦局を左右する重要な戦場とみなし、多くの海軍兵力と度重なる地上戦力の増派を行ったが、 ヒトラーはソ連を短期間で降伏させたのち、本格的に対英戦を行えばよいとして派遣時の北アフリカは二次的な戦線とみなしていた。 これらは他の上級将校達の間でも顕著な思想であり、ヒトラーの命じた補給命令を無視するなどの行為もあった。 翌1941年2月12日、ロンメルは専用機で北アフリカに到着。 主力であるドイツアフリカ軍団を率いて3月に反攻を開始する。 リビアの都市ベンガジを奪回し、トブルク包囲戦を開始した。 包囲を突破しようと侵攻してきた連合軍の増援を「バトルアクス作戦」で撃破し、ガザラの戦いでは2倍以上の兵力を用いて反攻してきたイギリス軍を壊滅させた。 1941年2月14日にエルヴィン・ロンメル陸軍大将率いる「ドイツアフリカ軍団」はリビアのトリポリに上陸し、 その後迅速に攻撃を開始、イタリア軍も指揮下に置きつつイギリス軍を撃退した。 4月11日にはリビア東部のトブルクを包囲したが、占領はできなかった。 さらに5月から11月にかけて、エジプト国境のハルファヤ峠で激戦になり前進は止まった。 12月24日にはベンガジがイギリス軍に占領され。 翌年1月6日にはエル・アゲイラまで撤退する。 1943年に入り再編したロンメル機甲師団は1月20日から再度攻勢を開始し、6月21日前年には占領できなかったトブルクを占領。 同23日にはエジプトに侵入し、30日にはアレクサンドリア西方約100kmのエル・アラメインに達した。 しかし、またもや補給の問題と燃料不足で進撃を停止する。 10月23日から開始されたエル・アラメインの戦いで燃料及び弾薬の不足などによってイギリス軍に敗北、再び撤退を開始。 11月13日にはイギリス軍はトブルクを、同20日にはベンガジを奪回する。 イタリア軍の大多数は終始頼りなく 、事実上一国で戦うドイツ軍は、自らの攻勢の限界を見る事となる。 さらに西方のアルジェリア、モロッコに11月8日、アメリカ軍が上陸し、東西から挟み撃ちに遭う形になった。 さらに年が開けると、西のアルジェリアに上陸したアメリカ軍と東のリビアから進撃するイギリス軍によって、独伊枢軸軍はチュニジアのボン岬で包囲された。 北アフリカ撤退後、各地を転戦するが、北イタリアの守備から外されたロンメルはノルマンディーのルントシュテット元帥の元で指揮をとることになる。 しかし上陸地点をノルマンディーと予想したロンメルに対し、イギリスに最も近いカレー上陸と踏んでいたルントシュテット。 また制空権の有効性を主張し、戦車だろうが海岸に張り付けさせる徹底的な水際防御を主張し「大西洋の壁」と呼ばれた要塞線の構築を推すロンメルと、むしろ敵の上陸直後が最も脆弱として、空襲での損耗を抑えるべく後方待機した航空戦力や装甲師団を集中的かつ迅速に投入して叩く機動防御の構想でいたルントシュテット……と二人の構想は真っ向から対立し、ルントシュテットは「ロンメルは戦傷で頭がおかしくなったのだ」とぼやく始末。 結局二人の論を折衷する形で装甲師団は一部をロンメルに渡し、残りは後方に置かれることとなった。 そして雨期には来ないとの予想が裏目に出て、ロンメルがヒトラーに戦力増強を直談判するため(あと 妻の誕生日を祝うためという説も)に前線を離れていた1944年6月6日に連合軍のノルマンディ上陸を許してしまう。 相次ぐ爆撃でボコボコになった交通網とカレー上陸予想を支持したヒトラーらの反応の遅さからルントシュテットの機動防御も結局失敗。 その後、1944年7月17日に搭乗していた軍用車が、英軍のスピットファイア戦闘機に機銃掃射され、ロンメルは頭部を損傷し左目を失明するほどの重傷を負う。 戦時中からの名声と、戦後の 国防軍潔白神話 もあり、長らく名将として語り継がれるが、戦略家としての専門的な教育を欠いていたことや、数々記されたように無茶をする性格も相まって、現在の軍事史的な評価は 現場での仕事は向いてるけど、組織の上の立場にはちょっと……というものに落ち着きつつある。 【余談】• ロンメルは写真等でゴーグルを着用しているものがあるが、軍の装備や私物などではなく、リビアで鹵獲したイギリス軍ガスマスクの付属品だったりする。 戦後彼の伝記映画が作られたが、原作者はイギリス人。 また彼を演じた俳優は別の映画でもロンメル将軍役を演じている。 アニメには彼をリスペクトする「エルヴィン 本名:松本里子 」というキャラがいる。 外国のアニメファンからは「ロンメル」と呼ばれていた。 ハイルロンメル! -- 松永さん 2013-09-09 06:57:16• 息子がナチズム的な人種優越論をロンメルの前で言った時「私の前で二度とそういった馬鹿げた話をするな!!」と激怒した逸話が好きだ -- 名無しさん 2013-12-01 23:23:31• 宇宙戦艦ヤマトの「宇宙の狼」ドメル将軍のネタ元でもある。 -- 名無しさん 2013-12-01 23:58:54• 当時のドイツはホントにまぁ………… -- 名無しさん 2013-12-02 00:02:55• 国体やヒトラーではなく、真に祖国のために尽くした人。 ゆえに人々は彼を名将と讃える…… -- 名無しさん 2013-12-02 01:27:31• 祖国を本当に愛した将軍…彼こそ真の意味での愛国者だよな… -- 名無しさん 2013-12-02 07:45:37• 最近は悪い意味での再評価がされてる模様… -- 名無しさん 2013-12-27 15:06:10• ファーストネーム 知らんかった -- 名無しさん 2014-01-01 15:32:15• ドイツ陸軍総司令部 OKH では「気狂い」と呼ばれていたとか。 -- 名無しさん 2014-01-09 04:48:19• 彼が執り行った作戦の概要とかは公表されていないのかい? 勝ったこととかしか書かれてないから 十分凄いことだけど 、どんな風に凄い人だったのか今一よく分からないな -- 名無しさん 2014-01-09 06:13:26• 戦術面では優秀な指揮官だったが、戦略面では優秀で無かった。 -- 名無しさん 2014-01-10 02:35:48• 何でこの人ナチスなんかにいたんだろう。 まともなのに・・・・・。 チョビヒゲに家族でも人質にとられていたのかな? -- 名無しさん 2014-05-19 16:22:41• ナチス=国家じゃないし、ロンメルはナチ党員じゃない -- 名無しさん 2014-05-19 16:45:39• ちなみに宇宙戦艦ヤマトのドメル将軍のモチーフでもあったりする。 -- 名無しさん 2014-05-19 17:21:11• 立派な人だったんだね・・・・。 でも最後が可哀想だな。 -- 名無しさん 2014-05-19 17:46:55• -- 名無しさん 2014-05-21 21:56:29• 悲劇の英雄。 -- 名無しさん 2014-05-21 22:11:43• ウイキペディアでも調べるとかなりの人格者だったみたいだね。 イスラエルはごっちゃにしているみたいだけど。 -- 名無しさん 2014-05-23 13:27:17• この人だけでも誤解解けないのかな?ナチスに好きでいたんじゃなくて縛りつけられていたようなものだしこの人も被害者でしょう。 -- 名無しさん 2014-06-15 11:36:15• チャーチルが認めるという事はマジで武人だったんだね。 -- 名無しさん 2014-06-15 12:25:27• で、ロンメルも自分を率直に評価してくれるヒトラーに心酔していった -- 名無しさん 2014-12-17 05:53:16• ロンメルの(愉快な)西方電撃戦の記述がないので加筆。 -- 名無しさん 2016-05-14 22:17:36• 7月20日事件の後、「ヒトラーは気が狂ったようだ」と部下に語ったり、もともとかなり反ナチ傾向の人。 ナチシンパの多い空軍と比べると、もともとドイツ国防軍の伝統がある陸軍は全体的にヒトラーやナチに対して批判的だったが(だからわざわざ武装SSを編成している)。 -- 名無しさん 2019-11-18 11:06:41.

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