般若 心 経 真言宗。 『般若心経』を現代語訳するとこうなる

宗派を超えたお経『般若心経』とは一体何か?|終活ねっとのお坊さん

般若 心 経 真言宗

真言宗は、弘法大師・ 空海によって平安時代頃に開かれた日本の宗派です。 大日如来を根本におく密教で、身(手に印を結ぶ)・口(真言を唱える)・意(心を静めて三昧の境地に入る)の三つの働きで『即身成仏』できるという教えです。 真言宗の悟りの世界を示す経典は同じですが、掴むための手法や作法に多少の違いがあるため、流派ごとに各々本山を設けています。 大きくは二つに分かれており、高野山を中心とする古儀派と、京都智蹟院を中心とする新儀派です。 古儀派の本山には、高野山金剛峰寺・東寺・醍醐寺・仁和寺・大覚寺などがあり、新儀派の本山には、智蹟院・長谷寺などがあります。 一言で真言宗と言っても様々な宗派があるため、それぞれによって葬儀の流れや作法にも違いがあります。 真言宗の葬儀の特徴 葬式でのお経の時間は、眠い・退屈と思ってしまう人もいるのではないでしょうか? しかし、お経を読むということには、きちんと意味があります。 お経とは目に見えない物ですが、 目ではなく心で見る物なのです。 お経は唱えるだけで功徳があり、深い意味を理解できなくても、すでにその言葉には力が備わっているとされています。 故人のためにできる唯一のことが祈ることであり、気持ちをこめてお経を読むだけで効果があると言われているのです。 そして、お経には心を落ち着かせる効果があり、読まれている間は静かに心を落ち着かせ、誰にも邪魔されることなく故人との思い出を振り返る時間にもなるのです。 ですから、葬式でのお経にはとても大事な意味があるのです。 真言宗のお経の一つ【般若心経】について 真言宗でも読まれるお経の一つです。 般若心経の正式名称は『般若波羅蜜多心経』です。 各宗派で用いられる際に、頭部に「仏説」や「摩訶」をつけて表記されます。 題名の意味 【仏説摩訶般若波羅蜜多心経】と書き、読み方は『ブッセツマーカーハンニャーハーラーミーターシンギョウ』で、区切り方は《仏説・摩訶・般若・波羅・蜜多・心・経》です。 この教えは、仏様がおっしゃったもので、 心豊かに安らかになるためのものです。 それぞれの意味について解説していきましょう。 仏説(ぶっせつ) 仏様が説いたという意味です。 どこかの誰かが無責任に言った訳ではなく、仏様がおっしゃっているということです。 摩訶(まか) 梵語(お釈迦様の時代のインドの言葉)で「マハー」という言葉の音写です。 偉大な・大きなという意味です。 ただの不思議ではなく、とても不思議なことを『摩訶不思議』と言いますが、その摩訶です。 般若(はんにゃ) 「智慧」を表す「パンニャー」という言葉の音写です。 波羅(はら) 「あちらの岸」という意味の「パーラム」の音写です。 日本でいう「彼岸」の事です。 彼岸に対して「こちらの岸」を「此岸」と言い、私たちがいるのが此岸で、むさぼり・わがまま・おろかさなど、苦しみが生じる場所です。 反対に、苦しみがなく安らかな気持ちでいられるところが彼岸です。 蜜多(みった) 「到る」という意味の梵語「イター」の音写です。 心(しん) 大事なものという意味です。 経(きょう) 「経」という漢字は、 縦糸のことを意味します。 インドの言葉は横書きですから、仏様の教えも横長の板に横書きです。 この横長の板をつなぐのに縦に通されたのが縦糸(経)です。 そこで、仏様の教えが書かれたものを経というわけです。 まとめると、【仏様が説いた(仏説)彼岸に到るための(波羅蜜多)偉大な(摩訶)智慧の(般若)大事な(心)教え(経】となります。 本文の意味 般若心経の本文は、大きく四つに分けることができます。 その中に、『心安らぐ彼岸に到るためにどんな智慧をどのように身に着けるべきか』が記されています。 誰がどのように般若を得たか 観音菩薩が悟りを得る修行の中で、この世の五蘊には実体がないことを明らかにし、 苦しみから解き放たれる方法を見つけたことが記されています。 弟子への呼びかけ 古い弟子である舎利子に呼びかけています。 前半には、この世の形あるもの全てに実体がなく、実体がないからこそあらゆる形を得ることができる。 これは人間の感覚についても同じであると記されています。 後半では、実体がないのであれば、生まれること・消えること・汚れることはなく、清らかでもなく、増えも減りもしないと記されています。 空の思想の解説 弟子への呼びかけに続く形で解説されています。 真実の世界では、目に見えるもの、それによって感じたこと・思ったことなど全てが存在せず、無知からくる悩みもありませんが、その悩み自体は尽きることがありません。 苦しみはなく、それを解決する方法も知る方法もありません。 だからこそ苦しみを知る観音菩薩はこだわりを持たず、 全ての夢想・欲から離れることで涅槃へと至ることができたと記されています。 般若心経の真言について 真言は並ぶことのない言葉であり、これにより 苦しみは解き放たれるとされ、それこそが般若心経だと記されています。 真言とは、「羯諦・羯諦・波羅羯諦・波羅僧羯諦・菩提薩婆訶」の部分で、「往ける者よ・往ける者よ・彼岸に往ける者よ・彼岸に全く往ける者よ・さとりよ・幸あれ」という意味があります。 お経の意味まとめ• 真言宗とは、弘法大師空海によって、平安時代ごろに開かれた宗派の一つである。 真言宗は大日如来を根本におき、身・口・意の3つの要素で「即身成仏」できるという教えがある。 真言宗の葬儀の特徴は、大きく分けて2つある。 ひとつは灌頂といい、故人の頭に水をそそぐことで仏の位にのぼることを目的としている。 ふたつめは土砂加持といい、土砂を洗い清めて護摩を修し、光明真言を本尊の前で唱えることである。 真言宗の般若心経の正式名称は『般若波羅蜜多心経』という。 般若心経の題名は【仏説摩訶般若波羅蜜多心経】と書き、これは心安らかになるという意味が含まれている。 本文は主に4つに分けることができ、『心安らぐ彼岸に到るためにどんな智慧をどのように身に着けるべきか』とうことが明記されている。 これから先、真言宗のお葬式でお経に触れる機会がありましたら、少しでも意味を思い出しながら故人と最後のお別れをしてみて下さい。 最後までご覧いただき、ありがとうございました。 「終活ねっと」では、葬式・法事・お墓など、終活に関する様々な情報を発信しています。 ぜひ、色んな記事をご覧になり、今後の参考にしてみてください。

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【やさしい仏教】宗派による般若心経の違い<真言宗、天台宗、曹洞宗、浄土宗、浄土真宗など>

般若 心 経 真言宗

相反して交わってはならないも何も、曹洞宗も密教の儀礼等を取り込んでいますよ? まず大悲心陀羅尼。 あれは呪 じゅ です。 大般若会…曹洞宗でもよく勤修されますが、大般若会は大般若経600巻を転読する法会で、真ん中に座っている導師は大般若理趣分を真読してます。 つまり、大般若会の中心人物 導師 が大般若経600巻の中からわざわざ1巻だけ選び出して真読しているのですが、その選び出された1巻は「理趣分 理趣経のもととなった経典 」なんです。 曹洞宗で行われる洒水 しゃすい。 これは道具や作法が違うだけで、やっていることは密教と同じことです。 曹洞宗は密教の影響が無く、真言宗などの密教とは別物。 という考え方は、何もご存知ない方の妄想なんです。 それらは理事で言うなら「事」の部分の話です。 「理」の部分については、私は曹洞宗について詳しくないので、具体的なことは申し上げられないのですが、曹源なんとかさん?だったかな?曹洞宗の尼僧さんが知恵袋の中で書いていらっしゃる回答を見る限りは、非常に近い世界観を持っているのかな?と思います。 大乗は、中観、唯識、如来蔵の上に成り立っている…つまり根っこになっている思想が同じなので、似ていて当然なんですよね。 私は曹洞宗などの禅系と密教はむしろ近いと思っています。 何ていうのかな? 涅槃というものを頭で理解するのではなく、実体験として つかみに行く感じ? 禅は坐禅をその方法とし 真言宗は三密行をその方法とする。 そこの違いであって、目指しているものは同じ。 当たり前か。

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高野山真言宗

般若 心 経 真言宗

般若心経(般若波羅蜜多心経)とは 般若心経(般若波羅蜜多心経)とは、 仏教における経典のひとつです。 300文字にも満たないわずかな文字数で、大乗仏教において重要な「空(くう)」の思想が説かれているのが特徴です。 般若心経は、真言宗・天台宗・禅宗を中心として、仏教の多くの宗派で読まれています。 基本的に般若心経を読まない宗派には、浄土宗や日蓮宗があります。 般若心経は、主に4つのパートから構成されています。 1つ目のパート・・・観音菩薩がお釈迦様の弟子であるシャーリプトラに、その教えを説く場面から始まります。 2つ目のパート・・・観音菩薩がシャーリプトラへ呼びかけながら、「空」の思想について説いていきます。 3つ目のパート・・・「空」の思想についてさらに深めていきます。 4つ目のパート・・・「真言(マントラ)」という神秘的で特別な言葉そのものが唱えられます。 般若心経の由来と歴史 般若心経は、中国の僧侶である玄奘三蔵がインドから持ち帰り、翻訳したといわれている経典です。 正式には「般若波羅蜜多心経」と呼ばれ、サンスクリット語の「プラジュニャーパーラミター・フリダヤ・スートラ」が原題となっています。 般若心経がインドから中国に伝わったのは、630年頃といわれています。 玄奘三蔵という僧侶が、研究のためにインドへ向かい多くの経典や仏像を持ち帰り、これらを自ら翻訳しました。 現在、日本において広く読まれている般若心経は、この玄奘三蔵によって翻訳されたものだといわれています。 「空」の思想の真髄とは 私たちは日常生活の中で、さまざまな苦しみと向き合っています。 しかし、これらの苦しみは自分の外側から押し寄せるものではなく、実は自分自身への執着から生まれると考えてみたら、見え方が変わってくるかもしれません。 般若心経の中心となっているのは、大乗仏教の「空(くう)」の思想です。 経典では、観音菩薩がさまざまな事象を例に挙げながら、すべてのものに実体がないこと(=空)を説いています。 これには、私たちの肉体や、感じること、思うこと、行うこと、認識することを含め、ありとあらゆるものごとが当てはまるといわれています。 しかし、般若心経で説かれているのは、それだけではありません。 「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」という一節では、色(=目に見える物体)には実体がないと伝えたうえで、さらにそれゆえ空とは色でもあるともいい、ただ単に まったくなにも存在しないという虚無主義の考え方すらも否定しているのです。 般若心経の全文と解説 「般若心経」の全文と、その解説をご紹介します。 仏教の数ある宗派で読まれているお経にふれて、心が楽になるのを感じてみてください。 般若心経の全文 仏説摩訶般若波羅蜜多心経 (ぶっせつまか はんにゃはらみた しんぎょう) 観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 (かんじざいぼさつ ぎょうじんはんにゃはらみったじ しょうけんごうんかいくう) 度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 (どいっさいくやく しゃりし しきふいくう くうふいしき しきそくぜくう) 空即是色 受想行識亦復如是 舎利子 是諸法空相 (くうそくぜしき じゅそうぎょうしき やくぶにょぜ しゃりし ぜしょほうくうそう) 不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中 (ふしょうふめつ ふくふじょう ふぞうふげん ぜこくうちゅう) 無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 (むしき むじゅそうぎょうしき むげんにびぜっしんい むしきしょうこうみそくほう) 無眼界 乃至無意識界 無無明亦 無無明尽 (むげんかい ないしむいしきかい むむみょうやく むむみょうじん) 乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 (ないしむろうし やくむろうしじん むくしゅうめつどう むちやくむとく) 以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 (いむしょとくこ ぼだいさつたえ はんにゃはらみったこ) 心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 (しんむけいげ むけいげこ むうくふ おんりいっさいてんどうむそう) 究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 (くうぎょうねはん さんぜしょぶつ えはんにゃはらみったこ) 得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多 (とくあのくたらさんみゃくさんぼだい こちはんにゃはらみった) 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 (ぜだいじんしゅ ぜだいみょうしゅ ぜむじょうしゅ ぜむとうどうしゅ) 能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 (のうじょいっさいく しんじつふこ こせつはんにゃはらみったしゅ) 即説呪日 羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 (そくせつしゅわっ ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい) 菩提薩婆訶 般若心経 (ぼじそわか はんにゃしんぎょう) 仏説摩訶般若波羅蜜多心経 (ぶっせつまか はんにゃはらみた しんぎょう) 観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 (かんじざいぼさつ ぎょうじんはんにゃはらみったじ しょうけんごうんかいくう) 度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 (どいっさいくやく しゃりし しきふいくう くうふいしき しきそくぜくう) 空即是色 受想行識亦復如是 舎利子 是諸法空相 (くうそくぜしき じゅそうぎょうしき やくぶにょぜ しゃりし ぜしょほうくうそう) 不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中 (ふしょうふめつ ふくふじょう ふぞうふげん ぜこくうちゅう) 無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 (むしき むじゅそうぎょうしき むげんにびぜっしんい むしきしょうこうみそくほう) 無眼界 乃至無意識界 無無明亦 無無明尽 (むげんかい ないしむいしきかい むむみょうやく むむみょうじん) 乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 (ないしむろうし やくむろうしじん むくしゅうめつどう むちやくむとく) 以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 (いむしょとくこ ぼだいさつたえ はんにゃはらみったこ) 心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 (しんむけいげ むけいげこ むうくふ おんりいっさいてんどうむそう) 究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 (くうぎょうねはん さんぜしょぶつ えはんにゃはらみったこ) 得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多 (とくあのくたらさんみゃくさんぼだい こちはんにゃはらみった) 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 (ぜだいじんしゅ ぜだいみょうしゅ ぜむじょうしゅ ぜむとうどうしゅ) 能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 (のうじょいっさいく しんじつふこ こせつはんにゃはらみったしゅ) 即説呪日 羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 (そくせつしゅわっ ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい) 菩提薩婆訶 般若心経 (ぼじそわか はんにゃしんぎょう) 解説 般若心経は、 お釈迦様の弟子であるシャーリプトラという人物と、観音菩薩との対話という形式になっています。 「舎利子(しゃりし)」とはシャーリプトラのことで、「観自在菩薩(かんじざいぼさつ)」は観音菩薩のことです。 お経全体を通して、仏教の基本である空の思想について解説がなされています。 まず、 観音菩薩は「五蘊(ごうん)」には実体がないと説いています。 五蘊には色・受・想・行・識という5つの要素があり、これらは人間の意識のもとになるといわれています。 つまり、人間の肉体や、感じること、思うこと、行うこと、認識することには、すべて実体がないというのです。 そして、観音菩薩はさらにシャーリプトラに語りかけます。 「形あるすべてのものに実体がないのであれば、その反対に、すべてのものはあらゆる形をとることができる」と。 そしてそれは、人間についても同じことが言える、といいます。 実体がなければ、生まれることも、滅びることもありません。 汚れることも、清らかであることもなく、増えることも、減ることもないのです。 真実の世界においては、 形あるすべてのものや人間のあらゆる感覚もなければ、悩みや苦しみという概念もありません。 このような 「空」の思想を知る仏は、真理に目覚めて心安らかな存在でありつづけます。 観音菩薩は、ひととおり悟りの境地について説いたあと、最後に真言を伝えます。 般若心経の終盤に唱える「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」は、悟りに至る真言(マントラ)です。 したがって、この部分は解釈することができません。 まとめ.

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