荒井 注 志村 けん。 仲本工事

志村けん唯一の映画出演作『鉄道員(ぽっぽや)』【面白すぎる日本映画 第41回】

荒井 注 志村 けん

荒井注のプロフィール 本名 :荒井安雄 生年月日:1928年7月30日 没年月日:2000年2月9日(71歳没) 出身地 :東京府(現在の東京都) 身長 :158cm 血液型 :不明 荒井注さんは、伝説のコントグループ「ザ・ドリフターズ」の元メンバーです。 ドリフ内でのニックネームは「ハゲ」や「ハゲ注」で、定番のギャグは外国人に向けてドヤ顔でいう「This is a pen! 」や、観客に向けてふてぶてしい態度で「何だバカヤロウ!」「何見てんだよ!」「文句あるか!」と言い放つ、現在でいう逆ギレ芸でした。 現在でこそカンニング竹山さんや「バイきんぐ」の小峠英二さんなど、キレ芸がウリのお笑い芸人は珍しくはありませんが、実はこのキレ芸の元祖こそがこの荒井注さんだと言われています。 荒井注の生い立ちやドリフ加入までの経歴 荒井注さんは、1928年7月30日、まだ戦前の東京府に生まれ育ち、実家は料亭を営む裕福な家だったといいます。 荒井注さんのドリフターズに加入する前の経歴については、旧制日本学園中学校を卒業後、立教大学文学部宗教学科へと進みますがこちらは中退し、その後二松學舍大学文学部国文学科へと転学し卒業されています。 荒井注さんは、二松學舍大学では国語と社会の教員免許を取り、卒業後は一時教師をしていたとの噂もありますが、こちらは確証はありません。 大学生時代には脚本家を目指して国文科で勉強し、学費や生活費を稼ぐためにバンドマンとしてキャバレーで演奏する仕事をしていました。 卒業後には今では伝説になっているバンド「クレージーウエスト」に所属しギターを演奏していました。 荒井注さんは、この「クレージーウエスト」で活動していた頃に、当初は音楽バンドであった「ザ・ドリフターズ」にピアニストの欠員が出たとして代役を探していたいかりや長介さんからのスカウトを受けます。 面白い顔を理由にスカウトを受けドリフターズに加入 荒井注さんのドリフターズ加入は1964年で、いかりや長介さんが荒井注さんのスカウトしたきっかけは「トリスウイスキーのおじさんのような面白い顔をした奴がいる」という噂を聞きつけた事だったそうです。 荒井注さんは、本来はギタリストであるにも関わらず、ピアノ(オルガン)担当での加入という事で、ドリフターズではほとんどまともに演奏する事ができず、スリーコード(ロックにおける基本の3つの和音)だけでごまかしごまかし弾いていたというエピソードがあります。 ただ、「8時だョ! 全員集合」のプロデューサーの居作昌果さんによれば「速弾きが得意」、音楽バンドとしてのドリフターズではドラムを担当していた加藤茶さんによれば「指が短いから時々半音ずれたが一応は弾けた」などの証言があり、諸説あります。 当時の「ドリフターズ」が曲を演奏している貴重な動画などを見ると、荒井注さんはあまり高度な演奏はしていない様子なので、ピアニストとしてはプロフェッショナルではなかったというのは確かなようです。 荒井注は年齢を6歳サバを読んで公表していた そんな荒井注さんは、リーダーのいかりや長介さんよりも3歳年上のドリフターズ最年長でしたが、6歳下にごまかして公表しており、いかりや長介さんよりも年下という設定で出演していました。 この年齢詐称の理由について、荒井注さんは「リーダーのいかりや長介より年上では何かと都合が悪かろうから」と説明していましたが、そのいかりや長介さんの自伝「だめだこりゃ」では、本当の理由は「女性にモテたかったからではないか」と暴露されています。 突然のドリフターズからの脱退発表 そんな荒井注さんは、個性あふれるドリフターズの面々の中にあっても際立って特異なキャラクターで絶大な人気を集めていましたが、1974年3月に突然ドリフターズからの脱退を発表します。 荒井注さんが、リーダーのいかりや長介さんにグループからの脱退の意向を伝えたのは1973年の6月で、そのわずか2ヶ月前の1973年4月には「8時だョ! 全員集合」の視聴率が「50. 5パーセント」を叩き出すなど、ドリフターズはまさに国民的スターの座にまで上り詰めていた時期でした。 荒井注さんは、ドリフターズ駆け出しの頃から、貧乏しながらもキャバレー周りの営業を続けるなどの苦労を他のメンバー達と共に重ねてきました。 その努力が実って人気者となり、まさにこれからお金が稼げるという絶頂期に突然脱退を決断したという事で、なぜこのタイミングで脱退するのかと、当時も周囲は訝しがったようです。 なお、この荒井注さんの代わりとしてドリフターズに加入したのが、いかりや長介さんの付き人を務めていた志村けんさんでした。 次の見出しでは、この荒井注さんの突然のドリフターズ脱退理由について見てみたいと思います。 荒井注の突然のドリフターズ脱退の理由とは 荒井注さんはドリフターズ人気絶頂の1974年3月に、突然脱退してしまいましたが、このタイミングで荒井注さんが脱退を決めた理由とは一体なんだったのでしょうか? いかりや長介との確執が脱退の理由? 「8時だョ! 全員集合」のプロデューサーだった居作昌果さんによれば、いかりや長介さんのワンマン体制や、ギャラの配分のほとんどをいかりや長介さんが持っていている事などから、荒井注さんが不満を募らせた事が関係していると明かされています。 しかし、これはあくまでも憶測であり、荒井注さんが脱退を決めた理由には別の理由があったようです。 本当の脱退理由は体力の限界 どうやら、荒井注さんのドリフターズからの脱退理由は、いかりや長介さんとの確執などではなく「体力の限界」だったというのが本当のところのようです。 というのも、当時を知るある芸能の記者が「荒井注さんは本当に疲れ切っていた。 当時40代半ばの荒井さんは、15歳も下の加藤茶さんらと毎週舞台の上で飛び回る事に限界を感じていたと思う」という証言をしているのです。 そして荒井注さん本人も、ドリフターズ脱退後しばらくしてから受けた取材で、当時の状況について以下のように明かしています。 本番は土曜日なんだが、休みは日曜日だけで、月曜日からまたすぐに次の番組の準備を始めるんだ。 火曜日までにスタッフらと深夜までふざけながら言いたいことを言いあって、台本のネタを探すんだよ。 明け方までやることもザラだったね。 台本ができたら立ち稽古、水曜と木曜に小道具を発注し、金曜にセットを作り、土曜の本番は朝10時から現場で稽古。 そしたらもう本番だよ。 あんなにキツイ時期はなかったね。 ドリフターズのコントは、大量の水をかぶったり、上からブリキタライが頭に落ちてきたりといった体を張ったギャグが次々と繰り出される事が最大の面白さでした。 最年長の荒井注さんにとって、こうした体を張った芸を毎週続ける事は相当に過酷だったようで、怪我も絶えず、縫った傷が体のあちこちに残るような満身創痍の状態で「8時だョ! 全員集合」での5年間を必死に駆け抜けてきたのでした。 以上から、荒井注さんは何かに不満を感じてドリフから脱退したというよりは、身体的にドリフのコントを続ける事が限界だったためというのが本当の脱退理由だったのでしょう。 荒井注はドリフターズ脱退後は俳優として活躍 荒井注さんは当初、ドリフターズから脱退すると同時に芸能界からも引退する事を宣言していました。 その言葉どおり、ドリフターズから脱退した荒井注さんは、長年の夢だったという釣り三昧の生活に入ったそうです。 二松学舎大学時代の友人たちの元を訪ねながら、全国各地の海や川で1日中釣りを垂らす日々を半年間ほど続けたといいます。 そのまま悠々自適な隠居生活を送るかと思われた荒井注さんでしたが、その生活は半年を待たずして終わりを告げます。 1974年8月、同年10月からスタート予定のドラマ「時間ですよ・昭和元年」への出演依頼が舞い込んだのです。 この依頼を持ちかけたのは、「8時だョ! 全員集合」の客員ディレクターを務めた事もあるテレビプロデューサー・久世光彦さんでした。 荒井注さんが演じたのは主演の森光子さん演じる、銭湯「亀乃湯」の女将・亀山てるの旦那の亀山平八郎役で、荒井注さんのとぼけたキャラクターがぴったりという事で白羽の矢が立ったそうです。 ドリフターズからの脱退時「芸能界から引退する」と表明していた荒井注さんが、わずか半年後に俳優として芸能界に復帰したことに、いかりや長介さんはじめ、ドリフのメンバー達が約束違反だと怒っているといった噂も流れましたが、これはデマ情報だったようです。 荒井注さんはこのオファーが来た時、真っ先にいかりや長介さんに相談し、いかりや長介さんも「ぜひ出るべきだ」と背中を強く押したそうです。 これをきっかけにして荒井注さんは俳優として本格的に活動を開始します。 特に土曜ワイド劇場で放送されていた人気作、天知茂の江戸川乱歩の美女シリーズでは、天知茂さん演じる主人公・明智小五郎の盟友という重要な役柄、波越警部役を好演し人気を博し、第2話から第25話まで本シリーズほぼ全編を通じて出演されています。 また、1993年に放送されたドラマ「徹底的に愛は…」では、俳優として人気を上昇させていたいかりや長介さんとの初共演も果たし話題を集めました。 他にも、松田優作さんと薬師丸ひろ子さんが主演の映画「探偵物語」や、1990年に大ヒットしたコメディ映画「病院へ行こう」など、映画の話題作にも多数出演されています。 荒井注は結婚歴3回!38歳年下の嫁の現在と遺産や子供について そんな荒井注さんは、実は3回の結婚を経験されています。 1度目の結婚は1958年で学生結婚でした。 この1人目の嫁の名前は弘子さんだと言われていますが確証はありません。 この1人目の嫁は1983年に肺がんで死去しています。 荒井注さんによれば、この嫁には随分と苦労をさせてしまったとの事で、赤坂でスナックをやっていたがいつの頃か身体を壊し、病院に連れて行った時にはもう手遅れだったという事でした。 荒井注さんは後のインタビューで「忙しくて何もしてやれなかった」と後悔の念を吐露されています。 荒井注さんの2度目の結婚は1985年で、この時の嫁は32歳年下の女性でした。 しかし、この結婚は失敗し、1年半と持たずに1987年中に離婚しています。 この2度目の結婚と離婚について荒井注さんは以下のように述懐されています。 「あの結婚は女房が死んで落ち込んでいた時に、出会い頭の交通事故にあったみたいなものだったなあ」 そして、荒井注さんは、1991年に再々婚を発表されました。 3人目の嫁は信用金庫の元職員で、なんと荒井注さんの38歳も年下の女性で、名前は「まり」さんでした。 当時、荒井注さんは伊豆に隠居して、趣味の釣り三昧の生活を続けていたのですが、この若い嫁は、伊豆での遊び仲間の娘さんだったそうです。 荒井はその後、伊豆の遊び仲間の娘と結婚した。 38歳も年下であった。 「まさか許してくれるとは思わなかったよ。 半ば冗談で『嫁にくんないかなあ』って言ったら、『ああいいよ』だもんね。 『何寝ぼけたこと言ってるんだ』と親父に怒られるのが関の山だと思っていたのに、『当人がいいって言ったらいいんじゃない』と軽く流されてしまって、拍子抜けしたというか、親父には感心したよね」 38歳もの年齢差結婚となると、どうしても遺産目当てではないか?との疑いが囁かれる場合が多いのですが、友人の娘さんで、しかも公認されての結婚となると、遺産目当てという線は無さそうです。 しかし、荒井注さんの遺産は3億円と言われており、週刊新潮の記事によると、遺産争いで揉めたと報道されています。 遺産の行方について情報を探しましたが、ネット上に情報はありませんでした。 荒井注さんの38歳年下の嫁は2020年現在は53-54歳となっていますが、現在何をやっているのかは不明となっています。 荒井注さんの死から20年近く経っているので、再婚している可能性もあります。 以上のように、荒井注さんは3度の結婚を経験されていますが、そのいずれの結婚でも子供には恵まれなかったようです。 子供がいなかった事からも、荒井注さんは老後、伊豆で若い嫁まりさんとのんびりとした生活を送る事ができたようです。 荒井注は現在すでに死去~腹上死の噂も本当の死因は「肝不全」 若い嫁をもらって幸せそうな老後を送っていた荒井注さんですが、残念ながら現在は既に死去されています。 38歳年下の美人な若い嫁をもらった事もあってか、その死因についてはネット上で「腹上死」だったという噂が囁かれているようです。 しかし、荒井注さんの死因は腹上死ではなく「肝不全」です。 荒井注さんが亡くなったのは2000年2月9日の早朝で、入浴中に体調が悪化しての急逝でした。 荒井注さんはお風呂が大好きだったそうで、毎日5時間から6時間も入浴されていたそうです。 その日、荒井注さんは午後11時頃に入浴を開始し、様子を見に来た妻のまりさんによって翌午前6時半頃に意識不明の状態で発見されています。 妻のまりさんは肝不全を患っていた荒井注さんの体調を気遣い、入浴中には頻繁に様子を見にいっていたのだそうなのですが、その日はついうたた寝をしてしまい、発見した時には既に手遅れの状態だったという事でした。 死亡推定時刻は午前4時半頃で、享年は71歳でした。 まりさんはこの事をとても悔いていたそうで、荒井注さんの遺体から片時も離れなかったと報じられています。 荒井注の葬儀ではいかりや長介が弔辞を読んだ 荒井注さんの葬儀には、ドリフターズのリーダー・いかりや長介さんも参列し弔辞を読んでいます。 いかりや長介さんの弔辞は、高木ブーさんと志村けんさんは仕事で葬儀に来れないという事や、加藤茶さんは渋滞にはまっていて遅れている事を告げ「あいつらしいな。 あんたが行っちまうのを遅らせようとしてねえ」といったジョークを盛り込むなど、これぞドリフターズといったウィットに富んだ内容で、最後は、「飲む場所はあんたが決めといてくれ。 じゃあ、いずれ」という洒落た言葉で締めくくられていました。 そして葬儀の後、荒井注さんの遺体を乗せた霊柩車は、参列者達による「なんだバカヤロー!(荒井注さんの定番ギャグ)」の掛け声と共に見送られました。 その4年後の2004年にいかりや長介さんも後を追うかのように亡くなっています。 荒井注さんはドリフターズを脱退してから15年後の1989年頃に、それまでも仕事の疲れを癒してくれる場所だったという伊豆へと引っ越しされています。 「お金と暇ができたら、こっちに来たいなあとは漠然と思っていたんですよ。 お金はできなかったけど、暇はできたんでね。 時々、車で東京に出かけることがあったけど、疲れますねえ。 多摩川を越えて首都高速に入ると空気がいきなり変わるんですよ。 排気ガスだろうねえ。 60年も住んでいたのにまったく気がつかないできていたんですね。 伊豆に戻って海の匂いを嗅ぐとホッとします」 その後、荒井注さんは伊豆で趣味の釣りをしながらのんびりと暮らし、その生活の中で知り合った伊豆の遊び仲間の娘で、38歳も年下のまりさんと結婚したのは前述の通りです。 荒井注さんの晩年はこの若い嫁・まりさんとの幸せな暮らしであったようです。 建物は無事完成しますが、いざカラオケ機器を建物内に運び込もうとすると、なんと入り口を小さく設計しすぎたために機材を入れる事ができず、経営を断念しています。 この一件は、連日ワイドショーなどで報道され、その取材に対して荒井注さんは例の決め台詞「なんだバカヤロウ!」で応じ、視聴者の笑いを取っています。 この荒井注さんが建設したカラオケになるはずだった物件はそのまま取り壊される事なく廃墟化しており、保存状態も良い事から廃墟マニアの間では有名な物件になっています。 このフジカラー「お正月を写そう」のテレビCMは、ドリフターズのメンバーと女優の田中麗奈さんが、七福神に扮するという内容でしたが、ドリフターズは5人なので、田中麗奈さんを入れても七福神には1人足りませんでした。 そのため、元ドリフメンバーの荒井注さんに白羽の矢が立ったのです。 ここ数年荒井注さんは、肝不全による体調不良もあり、テレビへの出演を断っていた事もあって、出演してくれないのではないかと心配されたそうですが、荒井注さんは何かを感じ取っていたのか出演を快諾し、ドリフターズ6人全員が集合するというファンにはたまらない映像が残される事になりました。 ちなみに、荒井注さんが扮したのは「毘沙門天」でした。 このCMの撮影時に、荒井注さんは他のドリフメンバー達との昔話に花を咲かせ、「医者の言うことをよく聞いてお墨付きをもらってくるから、今度一緒に飲もう」と約束されたそうです。 いかりや長介さんが、荒井注さんの葬儀で読んだ弔辞の最後の「飲む場所はあんたが決めといてくれ。 」はこの約束にかけたものだったのです。 まとめ 伝説のコントグループ「ザ・ドリフターズ」の初期から中期にかけて活躍した荒井注さんについてまとめてみました。 荒井注さんは、ドリフターズ黎明期からのメンバーで、「なんだ、バカヤロウ!」「何見てんだよ!」「文句あるか!」など、観客に向かって悪態をつくギャグが人気を呼びました。 今でいうキレ芸の元祖が、この荒井注さんだとも言われています。 そんな荒井注さんは、ドリフの人気が絶頂だった1974年に突然のドリフ脱退を発表。 その後は趣味の釣り三昧の隠居生活を決め込みますが、その魅力的なキャラクターにすぐにお呼びがかかり、同年中には俳優としてデビューし、芸能活動に復帰。 以降は俳優として存在感を示しました。 その後は、38歳年下の若い嫁をもらって伊豆で穏やかな生活を送り、2000年2月に71歳で死去されています。 死因は「肝不全」でした。 2004年にはドリフリーダーのいかりや長介さん、2020年3月には、ドリフの人気メンバー・志村けんさんが新型コロナによって亡くなりましたが、ドリフターズの伝説は今後も語り継がれ、荒井注さんらの活躍は人々の記憶の中で生き続けていく事でしょう。

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仲本工事

荒井 注 志村 けん

志村けんさんが新型コロナウィルスによる肺炎のため亡くなりました。 昭和後期~平成にかけてのお笑い王の一人。 特に「コント」の分野では間違いなくNo. 1でした。 いうまてもなく、志村さんは荒井注さんとの交代でザ・ドリフターズに入ったのですが、 入れ替わりの時系列について、ネット上でもあやふやなようです。 当時『8時だョ!全員集合』のコアな視聴者だった私が、記憶を辿ってみます。 荒井注さんのドリフ卒業は1974年3月30日の放送の『全員集合』です。 もちろん事前に卒業の告知がされましたが、 その前から志村さんは『全員集合』に登場するようになっていました。 大雑把な時系列は以下の通りです。 志村さんが全員集合に登場 しばし時間経過 荒井さんの卒業告知 しばし時間経過 荒井さん卒業 ドリフ見習いとして志村さん登場 志村さんの登場が荒井さん卒業のどれほど前だったかははっきり憶えていません。 半年ほど前ではないかと思いますが。 主に前半のコントの途中に登場、 「ザ・ドリフターズ見習い 志村けん」と毎回クレジットされるようになり、 それがしばらく続きました。 この段階で、特にはっきりした紹介はされてない。 荒井さんの卒業告知 その日の前半のコントは学校編だったと思いますが、いつになく荒井さんが目立っていました。 いつもは加藤茶さんが事実上の主役でしたが、この日は荒井さんが主役だったと記憶しています。 そして後半のショートコントの最終ネタも荒井さんがオチを担い、 その直後にいかりや長介さんがメンバーを呼び集める形で告知がされました。 この時点で荒井さんはあくまで「お休み」をいただくという扱い。 そして、志村さんが呼び込まれ、荒井さんの代わりを務めることが報告されました。 この動画はダイジェスト版です。 完全版もYoutubeにありますが、他の回と動画とまとめられています。 ただ、この時は卒業回ではなく予告で、しばらく志村さんと共に出演することが告知されています。 この回が1974年3月30日のように書かれている場合もありますが、これは違うと思います。 さて、予告通りに翌週から何事もなかったように荒井さんは登場。 志村さんの方は前週までと同じような出方のこともあり、 他のメンバーと同様に最初から参加することも両方あったように思いますが、 ここは定かではないです。 卒業回 そうして向かえた1974年3月30日の放送。 冒頭では特に言及無し。 ただ前半のコントは会社ネタだったと思いますが、 加藤さんが荒井さんに「今日退職する人!」と揶揄し、 荒井さんが「うるせぇ、退職なんかしねえぞ!」という応酬がありました。 これは二つの意味がありました。 ひとつは「3月末で区切りもいいし、やはり今日までなのか」というのと、 「お休みと言ってるけど、実際には脱退なのだな」ということ。 そして後半のコントは最終は学校の卒業ネタで荒井さんが先生だったと思います。 オチがついた後でいかりやさんが登場し、 「というわけで、しばらくお休みをいただきます」というような感じで告知しました。 いかりやさんは後半のコーナーではMC役なので、最後を締めるのはいつもと同じ。 改めて荒井さんや他のメンバーからの挨拶はなく、あっさりした退場シーンでした。 この動画はネット上に見当たりませんでした。 そして新喜劇王、志村けんの誕生となったのです。 Old Fashioned Club 月野景史.

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【追悼】ザ・ドリフターズにとって志村けんとはなんだったのか(てれびのスキマ)

荒井 注 志村 けん

いかりや長介 ドリフターズ 全員集合 メンバー みんなの反応 TeammelG 心配しなくても、志村けんさんと顔がソックリなお兄さんが断ってくれるでしょうね。 弟なら断ったはずとの理由で。 ただ、そう断られるのが想定内なのでドリフ団体授与という手を使ってきそうですね。 いかりや長介さんや荒井注さんの遺族がどう返答するのかは分かりませんが。 志村けんさん兄 きっと志村さんは天国でいかりやさんや荒井注さんから逃げてる• ウチの家族は、志村けんより荒井注派で、志村けんになってから父はあんまりドリフターズを観ないようになってたんだけど、なぜかバカ殿はよく観てたなぁ(笑) (私はやっぱり荒井注さんスキーだけど(小声)) 続き 森本さんの投書の最後の一文。 「今頃は、いかりや長介さんとコントしているのかな」 こっそりと荒井注さんも見守って居るはずです。 森本さんの両親が、50代ならば、「 8時だョ全員集合 」や「 ドリフ大爆笑 」を見ていたかも知れませんね。 俺がドリフ知ったのはBeatles来日のあたりだから、荒井注さんの時なんだよなぁ〜〜。 若干違和感があったけど、さすがだよね〜〜。 ま 正直に言うと、荒井注のThis is a pen. が好きで、当時は注さんを追いやったと勘違いしてたけど志村は好きじゃなかった。 なのに今見ると泣けてくる。 って爺ちゃんが言ってた norisuke3280 ドリフターズ 加藤茶さん 77 の他、仲本工事さん 78 、高木ブーさん 87 です。 以下故人 荒井注さん 1973年脱退、2000年2月9日71歳没 いかりや長介さん リーダー、2004年3月20日72歳没 志村けんさん 1974年から、2020年3月29日70歳没 です。 いかりや長介の享年が72歳だったとは。 80歳くらいかと思ってた。 荒井注は71歳。 志村けんと1〜2歳しか違わない。 それだけ志村は長い間、お笑いで第一線ということだ???? 私は子供の頃、ドリフの荒井注も好きだった。 荒井注が脱退して新メンバーとして志村けんが入ってきた時(なんだよコイツ)って思ってた。 その後あっという間に中心的存在になって…ドリフの舞台を生で観たいって子供の頃そりゃ憧れたんだよ。 思い出しながら涙止まらんぜよ。 #志村けんさん 高木ブーさん、無口な印象があるがいるだけで存在感があったからな。 荒井注さんがいた頃、絡みが結構あったような気がするのだが? 志村けん追悼番組 hankyu6450 実は先に入ったのはすわしんじで、いかりや長介も志村ではなくすわしんじを荒井注の後に入れる予定でした norisuke3280 いかりや長介・高木ブー・仲本工事。 あと志村けん加入前に荒井注が居た。 荒井注の後だから、それを超えてほしかったんだろうな。 志村けん わたし、荒井注から志村けんにチェンジしたとき憶えてるから、そう思うと長く生きてるな〜。 あたしも結構頑張って生きて来てるじゃん。 と思って、予想しない角度から元気が来た。 志村けんがドリフに加入したのが4月1日なのか。 荒井注が3月に抜けたのは知ってたけど。 志村けんの追悼番組いしのようこがいる! 優香とカトパンとみひろといか長と荒井注とマーシーはいない…。 思えば世代か?子供の頃ドリフってまずカトちゃんケンちゃんのイメージだった。 その後親からドリフには荒井注さんいたとか志村さんは一番若手とか聞いてた驚いた記憶。 今、フジテレビで『ドリフ大爆笑』を見ています。 昭和の笑い、最高に面白いです。 いかりや長介さん、加藤茶さん、仲本工事さん、高木ブーさん、志村けんさん、『ザ・ドリフターズ』最高です。 これで荒井注さんも出て来たら最高です。 俺は44歳になってるけど、 やっぱりドリフターズは面白いなぁ???? 荒井注さん、いかりや長介さん、 志村けんさん。 どうか加藤さん、仲本さん、 高木さんを見守ってください。

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