第 二 次 世界 大戦 始まり。 34昭和|第二次世界大戦・太平洋戦争とは|小学生へ歴史解説

昭和時代「第二次世界大戦・太平洋戦争」まとめと問題

第 二 次 世界 大戦 始まり

スポンサーリンク 人類史の中で世界は数々の戦争を見てきましたが、1939年から1945年に起こった世界第二次世界大戦は、世界のほとんどを巻き込んだ大規模な国際紛争で、未曾有の規模のものでした。 その中では5000万人を超える人命が失われ、20世紀最悪のの一つとして知られるホロコーストが起こり、さらに人類史上初めて核兵器が使われたのです。 また、第二次世界大戦を経験した世界はその後、同じ轍を踏まないためにも国際連合を発足させるなどしたため、世界の政治や社会が大きく変わっていくきっかけとなりました。 この記事では、その第二次世界大戦についてわかりやすくまとめていこうと思います。 歴史や原因、参加国や犠牲者数、そして年表までを見ていきましょう。 枢軸国• ドイツ、日本、イタリアを中心とする陣営• 連合国• アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国などの陣営 という2つの相対する軍事同盟を結成し、 30ヵ国以上、1億人以上の人々を直接的に巻き込んだ総力戦でした。 また、第二次世界大戦の主要参加国は、経済、産業、科学全般にわたる国力すべてを大戦に投入した結果、民間人と軍人の区別も曖昧になるほどの規模となりました。 第二次世界大戦はこれまでの人類史において 史上最悪の戦争で、 死者の数は5000万人から8500万人にも上ると言われます。 また、第二次世界大戦の中では、ホロコーストと呼ばれる集団虐殺、戦略爆撃、飢餓や病気による計画的に謀られた死、そして人類史上で唯一、戦争で核兵器が使用されたなど、その名前の通り、全世界があらゆる手段を用いて戦った大戦だったのです。 第二次世界大戦の歴史(流れ)をダイジェストで見ていこう アジア太平洋地域の支配を目論んでいた日本は、1937年まで中国と戦争状態にありましたが、日本と中国のどちらかが宣戦布告したわけではありませんでした。 第二次世界大戦の勃発から欧州戦線の拡大 第二次世界大戦は1939年9月1日、 ドイツによる「 ポーランド侵攻」を受けて、フランスとイギリスがドイツに対し宣戦布告したことで開戦したという解釈が一般的です。 1939年後半から1941年初頭まで、一連の軍事行為と条約締結を経て、ドイツはヨーロッパ大陸の大部分を征服あるいは支配下に置き、イタリアおよび日本と枢軸国としての同盟関係を結びます。 一方、北アフリカおよび東アフリカでの軍事行動開始に続き、1940年半ばにフランスが敗れると、軍事衝突は主にヨーロッパの枢軸国と大英帝国(イギリス)との争いとして続き、その後、バルカン半島における戦い、英国空中戦、電撃戦、長期にわたる大西洋の戦いへと続いていったのです。 そして 1941年6月22日、ヨーロッパの枢軸国がソ連侵攻を開始し、人類史上最大の戦争の舞台が整います。 この東部戦線 (注)では、枢軸国軍が消耗戦を余儀なくされ、ドイツ国防軍は最も深刻な打撃を受けました。 (注釈)第二次世界大戦の中でも欧州(ヨーロッパ)を舞台に行われた欧州戦線は、西ヨーロッパを舞台にした西部戦線、北アフリカを舞台にした北アフリカ戦線、そしてソ連を舞台にした東部戦線に分けられる。 太平洋戦争の勃発 1941年12月、日本がアメリカ合衆国および太平洋にある、ヨーロッパ植民地の島々に対し奇襲攻撃を仕掛けました。 これを受けたアメリカは、直ちに日本へ対して宣戦布告。 イギリスがこれに賛同を表すると、ヨーロッパの枢軸国は日本との同盟関係に従って直ちにアメリカに対し宣戦布告し、ここに 太平洋地域を舞台にした 太平洋戦争が開戦します。 その後、日本が西太平洋の大部分における覇権を急速に拡大して、アジアの多くの人々が西側の植民地支配から解放されると、その中の一部の軍は日本側の支援に回ります。 枢軸国の劣勢へ傾いていく第二次世界大戦 1942年、日本が「 ミッドウェー海戦」で致命的な敗北を喫すると、太平洋地域への枢軸国側の進軍が足止めされます。 さらに、ドイツとイタリアが北アフリカ戦線で敗れ、加えて ソ連国内で行われたにて、枢軸国軍は決定的な敗北を喫したのです。 その結果、• 東部戦線におけるドイツの一連の敗北• 連合国軍によるシチリアおよびイタリア侵攻• 太平洋地域における連合国側の勝利 などをはじめとする1943年の主要な勝敗によって、 枢軸国側は主導権を維持することが困難となり、全ての戦線において戦略的後退を余儀なくされます。 そして1944年、ヨーロッパの連合国がドイツの侵略下にあったフランスに侵攻して大部分を取り戻し、ソ連は失った領土を取り戻すことに成功。 それに加えて連合国は、ドイツおよびドイツと同盟関係にあった国々への攻撃に転じました。 また、1944年から1945年には、中国中央部、中国南部、ビルマといったアジア本土にて、形勢が大きく逆転。 苦戦を強いられていた日本に追い討ちをかけるように、連合国軍が攻撃を仕掛けた結果、日本海軍は壊滅状態となり、西太平洋の主要な島々をめぐる覇権を日本は連合国側に奪われてしまいました。 第二次世界大戦の終結 ヨーロッパにおいて第二次世界大戦は、ヨーロッパの連合国並びにソ連によるドイツ侵攻をもって事実上は終結。 ソ連軍によるベルリン攻略、アドルフ・ヒトラーの自殺と続き、 1945年5月8日にドイツが無条件降伏するに至りました。 対してアジア・太平洋地域では、1945年7月26日、連合国側がポツダム宣言を発します。 しかし日本がその降伏勧告を拒否すると、アメリカは日本本土の広島と長崎に、それぞれ8月6日と8月9日付けで原子爆弾を投下。 日本列島本土への米軍上陸が差し迫り、次なる原子爆弾投下の可能性や、日本に対するソ連の参戦と満州侵攻を受け、1945年8月15日、日本は降伏の意思を発表。 これによって、 アジア・太平洋地域においても連合国側の全面勝利が確実なものとなったのです。 その後、第二次世界大戦が終戦を迎えると、連合国側による軍事法廷が開かれ、ドイツおよび日本の戦犯が軍事法廷で裁かれました。 第二次世界大戦後の世界 第二次世界大戦の経験は、 全世界規模での政治的様相と社会構造の変化をもたらしました。 例えば、国際連盟の失敗を反省し、また、国際協力を促進して今後の軍事衝突を未然に防ぐためにも、第二次世界大戦の戦勝国である中国、フランス、ソ連(ロシア)、イギリスおよびアメリカ合衆国を安全保障理事国とした 国際連合(United Nations:UN)が新しく発足します。 また、ソ連とアメリカは、超大国として覇権を争うライバル関係に発展し、半世紀近くにおよぶ冷戦時代に突入しました。 さらに、大戦で疲弊したヨーロッパは荒廃し、ヨーロッパ諸国の影響力が弱まったことが引き金となり、アフリカやアジアでは脱植民地化の動きが起こり、多くの独立国が誕生します。 そして、国内産業が被害を受けた多くの国々では、経済復興および経済発展に向けた政策を打ち出し、その中でもヨーロッパでは、第二次世界大戦以前からの憎しみに終止符を打ち、 統合された一つのヨーロッパとしてのアイデンティティを確立しようとする政治統合が始まり、現在の 欧州連合(EU)へと繋がっていったのです。 第二次世界大戦に関するその他の重要なポイントまとめ 第二次世界大戦について、大まかな歴史の流れを理解できたところで、それ以外に抑えておきたいポイントを項目別に見ていきましょう。 重要ポイント1:第二次世界大戦の原因 大事に世界大戦は、多くの要素が絡まり合った結果として勃発しましたが、その中でも抑えておくべき主要な原因として、以下のポイントを挙げることが出来るでしょう。 ドイツやオーストリアをはじめとする敗戦国は特に、軍隊の放棄と高額な補償を要求するパリ講和条約に不満を隠せませんでした。 そもそもドイツがヴェルサイユ条約に賛成したのは、「 調印しなければドイツに侵略する」と他の国々に脅されたのが大きな原因です。 ちなみに、このヴェルサイユ条約で求められた補償金に関してドイツは、2010年になってようやく支払いを終えました。 1920年頃にようやくヨーロッパの国々の経済が安定すると、今度はアメリカで 大恐慌が発生し、ヨーロッパの経済は再び壊滅的な影響を受けました (世界大恐慌, 1929年)。 このような未曾有の不況下で、共産主義とファシズムが勢力を拡大していき、これが第二次世界大戦勃発の大きな原因の一つとなったのです。 特に敗戦国においてその傾向が目立ち、その強すぎる愛国心は間違った指導者の出現を盲目的に許すこととなったのです。 チェコスロバキアは第一次世界大戦後に独立国家となりましたが、1938年頃になると、四方をドイツに囲まれる形となりました。 そしてヒトラーは、ドイツ人が多く居住するチェコスロバキア西部のズデーテン地方を併合したいと考えるようになります。 これに対して宥和政策を押し出したイギリスの当時の首相ネヴィル・チェンバレンは、 ヒトラーをなだめるために「 これ以上の領土を要求しない」と約束させた上で、ズデーテン地方の占領を許可。 しかし1939年3月、ヒトラーはチェコスロバキアの他の地方にまで侵略していき、最終的にはナチスドイツの脅威を高めることとなったのです。 重要ポイント2:第二次世界大戦の主要プレーヤーに関して 第二次世界大戦では、参戦した国々が枢軸国と連合国という2つの勢力に分かれて戦いました。 この2つの主要な勢力を理解するためにも、もう少しそのプロフィールを掘り下げていきましょう。 枢軸国 ドイツ、日本、イタリア3か国は 日独伊三国同盟 (1940年9月27日)を結成し、これが枢軸国の原型となります。 大戦が進むにつれて、そこへさらにブルガリア、ハンガリー、ルーマニア、そしてドイツによって作られた二つの国(クロアチアとスロバキア)が参加しました。 主要な指導者• ドイツ• アドルフ・ヒトラー(総統)• 東条英機(首相/陸軍大将)• イタリア• ベニート・ムッソリーニ(首相) 同盟国 アメリカ合衆国、イギリス、中国そしてソビエト連邦などは 連合国を形成し、枢軸国に立ち向かいました。 1939年から1944年の間に、最低でも50の国が同盟国側に立って戦い、終戦までにさらに13の国が同盟に参加しました。 その中には上記の国以外にも、 オーストラリア フランス ブラジル カナダ インド ニュージーランド 南アフリカ チェコスロバキア デンマーク ベルギー ギリシャ オランダ ノルウェー ポーランド フィリピン ユーゴスラビア その他イギリス連邦諸国 などが含まれています。 主要な指導者 国 死者数 負傷者数 アメリカ 405,399 670,846 イギリス 329,208 348,403 イタリア 77,494 120,000 オーストラリア 23,365 39,803 オーストリア 380,000 350,117 カナダ 37,476 53,174 ソビエト連邦 7,500,000 5,000,000 中国 2,200,000 1,762,000 ドイツ 3,500,000 7,250,000 日本 1,219,000 295,247 ハンガリー 140,000 89,313 フランス 210,671 390,000 ブルガリア 10,000 21,878 ベルギー 7,760 14,500 ポーランド 320,000 530,000 ルーマニア 300,000 不明 第二次世界大戦の年表 最後に、第二次世界大戦の流れを年表としてまとめておきます。 1939年9月1日 ドイツ軍がポーランドを侵略すると、フランスとイギリスがドイツに宣戦布告して第二次世界大戦が勃発。 しかし、デンマーク、ルクセンブルク、オランダ、ノルウェー、ベルギー、フランスもすぐにドイツの支配下に置かれる 1940年6月10日 イタリアがイギリスとフランスに宣戦布告してドイツ側で戦争に参加。 戦線はギリシアと北アフリカに広がる 1940年7月〜9月 ドイツ軍と英国軍の航空戦であるバトル・オブ・ブリテンが英国の海岸線で行われる 1940年9月〜1941年9月 ドイツ軍がロンドンにブリッツと呼ばれた夜間の大規模な空襲を行う 1941年1月22日 イギリス軍とイギリス連邦諸国軍がリビアの港湾都市トブルクを制圧 1941年6月22日 ドイツ軍がソ連へ侵攻 1941年9月 日本軍がインドシナ半島へ侵攻 1941年12月7日 日本軍が真珠湾を攻撃して米国海軍の航空機の半数以上を破壊し、八隻の戦艦全てを損傷させる。 日本はまた、フィリピンのクラーク、イバ両航空基地も攻撃して米国陸軍の航空機の半数以上を破壊する 1941年12月8日 ルーズベルト大統領は議会で「アメリカ合衆国にとって恥辱の日」と発して米国は日本に宣戦布告。 日本は香港、グアム島、ウェーク諸島、シンガポール、英領マラヤを侵略する 1941年12月11日 ドイツとイタリアが米国に宣戦布告 1941年12月25日以前 日本軍がタイ、グアム島、香港、ウェーク島を制圧 1942年初頭 北アフリカとソ連での枢軸国軍の進軍を連合国軍が一旦止める 1942年2月 日本軍はマレー半島を侵略し、一週間以内にシンガポールが降伏する 1942年6月4日〜6日 日本はミッドウェー島を皮切りにハワイ諸島を侵略する計画だったが、米国がその計画の暗号を解読。 日本軍はミッドウェーを攻撃したものの、空母四隻と200機以上の搭載機および操縦士を失い、米国の最初の明確な勝利となる 1942年8月19日 ドイツがさらにソ連深く侵攻してスターリングラードの攻防戦が始まる 1942年8月〜1943年2月 アメリカ海兵隊が太平洋のガダルカナル島の戦いに勝利して島を保持 1942年10月23日 イギリス軍が第二次エル・アラメイン会戦で枢軸国軍を撤退させる 1943年2月 スターリングラードの攻防戦でドイツ軍が降伏。 これにより、ドイツ軍の東への進軍が止まる 1943年7月10日 連合国軍がイタリアに上陸 1943年7月25日 イタリア国王が政治指導力を回復。 ムッソリーニは解任されて逮捕される 1943年11月〜1944年3月 日本が占領していたソロモン諸島のブーゲンビル島に米国海兵隊が上陸して奪還作戦が行われる 1944年6月6日 連合国軍がノルマンディー海岸のユタ・ビーチ、オマハ・ビーチ、ゴールド・ビーチ、ジュノー・ビーチ、ソード・ビーチの五か所に上陸。 上陸作戦には、船舶5000隻、航空機1万1000機、兵士15万人が動員される。 この日はD-デイと呼ばれる 1944年8月25日 米軍と自由フランス軍がパリを解放 1945年1月27日 ソ連軍がポーランドのクラコフ近郊にあったアウシュビッツ強制収容所の施設群を解放 1945年2月19日〜3月26日 アメリカ海兵隊が硫黄島で日本軍と戦闘 1945年4月12日 ルーズベルト大統領がジョージア州ウォームスプリングスで死去。 ハリー・トルーマン副大統領が大統領として宣誓 1945年4月25日 ソ連軍がベルリンを包囲 1945年4月28日 ムッソリーニがスイスへの逃亡中に殺される 1945年4月29日 米軍の兵士がドイツのミュンヘン郊外にあったダッハウ強制収容所を解放 1945年4月30日 ヒトラーと妻エヴァ・ブラウンが自殺 1945年5月7日 ドイツのランスにあったアイゼンハワーの司令部でドイツが降伏 1945年5月8日 ヨーロッパ戦勝記念日。 ヨーロッパにおける連合国の勝利によって欧州での戦争が公式に終結 1945年7月16日 ニューメキシコ州アラモゴードで最初の原子爆弾実験の成功 1945年7月29日 トルーマン大統領は日本が無条件降伏しなければ日本を破壊すると警告するが日本は拒否 1945年8月6日 戦争において初の原子爆弾(リトルボーイ)が広島市に投下される 1945年8月9日 二発目の原子爆弾(ファットマン)が長崎に投下される 1945年8月14日 日本がポツダム宣言の受諾と戦争の終結に無条件で合意 1945年9月2日 日本が東京湾のUSSミズーリ艦上で降伏文書に署名。 ここに第二次世界大戦は完全に終結する 合わせて読みたい世界雑学記事• 第二次世界大戦を経た世界は、その過ちを二度と犯さないためにも、国際協力などを強化してきました。 しかしそれでも近年は、大戦から時間が経過してしまったからなのか、ナショナリズムの高揚や国際協力を軽視する傾向が目立ち始めています。

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第二次世界大戦まとめ|歴史・原因・参加国・犠牲者数・年表まで

第 二 次 世界 大戦 始まり

「太平洋戦争」とは、 1941年から1945年に、日本がアメリカなどの連合国と戦った戦争のことです。 「第二次世界大戦」とは、 1939年のドイツのポーランド侵攻で始まった世界規模の戦争のことです。 「太平洋戦争」をもっと詳しく 「太平洋戦争」とは、 1941年から1945年にかけて日本がアメリカ・イギリスを中心とする連合国と戦った戦争のことです。 「太平洋戦争」直前の日本は、中国との戦争、そしてアメリカの経済制裁下にありました。 1941年11月26日に、中国からの日本軍撤兵などを含んだ「 ハルノート」という文書をアメリカから提示されます。 これを受け入れられないとした日本政府は対英米開戦を決定し、翌12月にハワイの真珠湾、マレー半島に攻撃をしました。 資源の乏しい日本は、戦争の早期決着を目指しました。 東南アジアでは、イギリス支配下にあったシンガポールを、太平洋については多くの島を占領するまでに至ります。 しかし、ミッドウェー海戦を境に、工業力や資源量で劣る日本は敗戦を続けました。 ついには沖縄を占領され、本土の空襲と原子爆弾の投下により、1945年8月15日に降伏を宣言しました。 その後の 9月2日に降伏文書にサインし、正式に太平洋戦争は日本の無条件降伏で終わりを迎えたのです。 現在では、この日本と連合国の戦争を「太平洋戦争」と呼ぶのが一般的です。 しかし、戦前の日本国内ではこの戦争を「 大東亜 だいとうあ 戦争」と呼んでいました。 この名称は、日本がアジアに欧米から独立した秩序を打ち立てるというスローガンである「 大東亜共栄圏構想」から来ています。 戦後、日本を占領・統治したGHQはこの「大東亜戦争」という呼び名を禁止し、代わりに「太平洋戦争」と呼ぶこととしため、現在もこの名称が用いられています。 ですが、「太平洋戦争」と言ってしまうと、真珠湾攻撃以前の中国との戦争への言及がなくなってしまうという指摘も起きました。 そのため、近年は日中が軍事的に対立し始めた1931年の満州事変からの一連の戦争を「 十五年戦争」と呼ぶこともあります。 「第二次世界大戦」をもっと詳しく 「第二次世界大戦」とは、 1939年から1945年に日本・ドイツ・イタリアなどから構成された「枢軸国 すうじくこく 」とイギリスやアメリカを中心とする「連合国」が、世界の多くの国を巻き込んで戦った戦争のことです。 「第二次世界大戦」は、ドイツとの戦争であったヨーロッパ戦線と、対日本の戦争であったアジア・太平洋戦線に分けられます。 「第二次世界大戦」の中の、このアジア・太平洋戦線が「太平洋戦争」の指す戦争です。 ヨーロッパにおいては、ドイツがポーランドに侵攻した1939年が「第二次世界大戦」の始まりでした。 そのドイツに対して、まずイギリスが、その後にソ連、アメリカが続いて連合国として参戦しました。 一時期ヨーロッパ大陸の大部分を手に入れたドイツでしたが、最後は本国まで攻められ1945年5月8日に正式に降伏しました。 枢軸国の中で最後まで戦争を続けていたのは日本であったので、日本の降伏が「第二次世界大戦」の終わりとなりました。 まとめ 以上、この記事では、「太平洋戦争」と「第二次世界大戦」の違いについて解説しました。

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昭和時代「第二次世界大戦・太平洋戦争」まとめと問題

第 二 次 世界 大戦 始まり

>> 第二次世界大戦 第二次世界大戦 第二次世界大戦 とは1939年にドイツの率いるナチス党がポーランドに侵攻。 当時、ポーランドと同盟を結んでいたイギリス、フランスがそれに対抗しドイツに宣戦布告したことにより始まりまった戦争です。 では、第二次世界大戦の原因について、まず簡単に見ていきましょう。 第二次世界大戦の原因 ドイツは(第一次ですよ。 ごっちゃにならないでね。 )に敗北して領土をとられて賠償金も支払わなければならない立場に追い込まれます。 そこにアメリカから端を発したがやってきます。 この恐慌に対してアメリカでは。 イギリス、フランスではというのを行います。 この政策は自分達の国や植民地、自治領だけで貿易を行い、他の国からの輸入品には高い税金を掛けて外国の商品が入ってこないようにしましょうという政策。 これによって自分達の国や息のかかった国だけで経済の交流を活性化させて恐慌を乗り切ろうとしたんですね。 しかし、これは植民地や領土をたくさん持っていないとできない政策。 持っていない国では輸出品に高い税金(関税)を掛けられてしまっているので貿易がさらに悪化していくことになるんです。 当時、その植民地を持っていない国といえばドイツ、イタリアですね。 ドイツは第一次世界大戦に負けて領土とられちゃってますし、イタリアは勝利した方だとはいえこれといった領土を得たわけではなかったのです。 これらの国では、「もう、多少強引でもいいから、誰か、この状態をどうにかしてよ〜」と国民は強いリーダーシップをもった人物を待ち望むことになります。 そこに現れたのがドイツでは。 イタリアでは でした。 そして彼らはという考えに走っていくことになります。 ファシズムとは簡単に言ってしまえば独裁政治によって軍事力を強化し、海外進出を狙おうという考えです。 1937年、ドイツが動き出します。 ヒトラーは東方に拡大政策をとることを宣言。 翌年にはオーストリアを併合します。 次にドイツはチェコスロバキアのズデーテン地方の割譲を要求。 この要求にチェコスロバキアは、イギリス、フランスが後ろ盾になってくれることを期待しきっぱり拒絶します。 しかし、イタリアの仲介によって開かれたドイツ、イタリア、フランス、イギリスの会議( ミュンヘン会議 )によってズデーテン地方はドイツに割譲されることが決定されてしまいます。 なんとチェコスロバキア不在の会議で勝手に決めちゃったんですね。 フランス、イギリスとしては第一次世界大戦のような戦争は避けたかったですし、何しろドイツが「このズデーテン地方が最後の領土要求だ!」というものだから妥協してしまったのです。 しかし、こんな弱腰とも思えるイギリス、フランスの対応にドイツは早速約束を破ります。 1939年、ズデーテン地方のみでは飽き足らず、今度はチェコスロバキア自体の解体に乗り出すのです。 なぜ、ドイツはそんなにもチェコスロバキアが欲しいのか?実は、チェコスロバキアでは工業が非常に発展していたんですね、特に武器なんかも非常にいいものをつくるので、ここをおさえてしまえば軍事的に優位に立つことができるんです。 ドイツは、西部のチェコを併合し、東部のスロバキアを保護国としました。 そしてドイツが次に狙いを付けたのポーランド。 ドイツは第一次世界大戦敗戦時。 バルト海への出口を欲しがっていたポーランドにドイツ領土をぶった切るようにしてポーランド回廊という地域をとられています。 このポーランド回廊を横断する陸上交通路とその回廊の先端にある港、ダンチヒを返せと要求します。 しかし、ポーランドはこれを拒否! ドイツとポーランドの間に緊張が走り戦争の危機となり始めます。 ちなみに同じファシズムのイタリアも同時期にドイツの勢いに押されるようにして無抵抗のアルバニアを併合。 領土拡大に乗り出していきますよ。 さぁ、イギリス、フランスの弱腰とも思える対応にチャンスとみたドイツでしたが、イギリス、フランスもそうそうドイツのいいようにはやらせておきません。 チェコスロバキアの二の舞は避けたかったイギリス、フランスはポーランドに安全保障条約を約束。 ドイツとの戦いの準備を始めます。 このイギリス、フランスの動きにドイツはどうするのか?なんとスターリン率いるソ連と手を結ぶのです。 ドイツにしたらイギリス、フランスと戦争を始めた場合、ソ連まで敵に回したら挟み撃ちになっちゃいますね。 地理的にドイツはイギリス、フランスとソ連の間にありますから。 ソ連はソ連で日本が怖かった・・・。 当時の日本とソ連は警戒しあっていましたからソ連としても日本とドイツの挟み撃ちは避けたかった。 そこで、ドイツ、ソ連の間で 独ソ不可侵条約 、つまりお互いの領土は攻めないようにしましょうと約束をしたのです。 この条約を結ぶことに成功したドイツは、ついにポーランドへの侵攻を開始します。 そして、イギリス、フランスはポーランドとの約束通り、ドイツに宣戦布告。 ここに第二次世界大戦が始まるのでした。 第二次世界大戦の経過と終焉 ポーランドに侵攻したドイツに対してイギリス、フランスは宣戦布告はしたもののドイツを積極的に攻めるという姿勢は見せません。 片やドイツは、イギリス、フランスが手を出してこないので一挙に占拠を実現。 独ソ不可条約を結んでいたソ連も東側からポーランドに攻め入り東はソ連、西はドイツでポーランドを支配することになります。 次にドイツはデンマーク、ノルウェーに侵攻を開始します。 1940年4月のことです。 5月にはオランダ、ベルギーに侵攻。 そして6月にはついにフランスまでをも降伏させるという驚くべき快進撃を見せます。 ちなみに、イタリアはこのフランス降伏の直前に参戦を表明しています。 ドイツがあまりに強いので「勝ち馬に乗ったほうがよさそうだ」と判断したのですね。 さて、フランスを手に入れたドイツ。 これによりイギリス本土への空爆が可能になります。 イギリスにしてみたら、ソ連は敵、フランスはすでに降伏、東欧は占領され、スウェーデン、スイス、スペイン、ポルトガルは中立とこの時点ではまさに孤独の戦いを強いられることになるのです。 もはや、この時点では完全にドイツ側の有利ですね。 そこで当時、中であった日本も長期化する日中戦争の打開策としてドイツ、イタリアと同盟を結ぶことを決意します。 日独伊三国軍事同盟 ですね。 1940年9月27日に同盟は成立します。 と、この辺りまではドイツ側の調子が非常にいい時期です。 しかし、1941年。 この年が第二次世界大戦の分岐点となっていきます。 まず、これまで中立であったアメリカがイギリスなど連合国側に武器の援助を始めます(1941年3月)。 これにより孤独に戦っていたイギリスは強い後ろ盾ができることになりました。 ドイツは、イギリスへの本土侵攻に向けて連日のように空爆をしますがドーバー海峡の制空権は奪うことがなかなかできない。 そこでドイツは1941年6月。 矛先を変えてソ連の石油資源に狙いをつけます。 独ソ不可侵条約を一方的に破棄、ソ連への侵攻を開始します。 ドイツは、一時はモスクワ付近まで迫るほどの勢いを見せますが、ソ連の反撃と強烈な寒さにやられ苦戦を強いられます。 ドイツと同盟を結んだ日本では、1941年12月にハワイの真珠湾を攻撃。 日本とアメリカはに突入し、日本との同盟国であるドイツ、イタリアもこれによってアメリカに宣戦することになりました。 そして、1942年。 日本はミッドウェー海戦で主力空母の殆どを失い、歴戦のパイロットの多くを失うとアメリカの攻撃によりサイパン、グァムを失い本土が爆撃機で空爆されるようになっていきます。 一方、ドイツもソ連との争いで第二次世界大戦最大の攻防戦といわれる スターリングラードの戦い に敗れついに敗走。 イタリアではアメリカ、イギリス連合軍に上陸され、ついにムッソリーニが失脚。 1943年9月にはイタリアは無条件降伏をします。 さらに1944年6月には連合国軍は西からドイツ軍を粉砕していく為に100万もの軍でノルマンディー(フランス)に上陸。 ドイツはこれによって8月にはパリを解放。 追い込まれたヒトラーが自殺すると1945年5月にドイツも無条件降伏を受け入れます。 そして、1945年の8月には広島、長崎に原子爆弾が落とされ、ついに日本も無条件降伏。 こうして、第二次世界大戦は終結することになるのでした。 第二次世界大戦の開始から終焉まで 1939年 ドイツがポーランドに侵攻(第二次世界大戦が始まる) 1940年 日独伊三国軍事同盟 1941年 アメリカが武器貸与法を成立させイギリスなどを支援 ドイツがソ連へと侵攻開始。 (これによりアメリカ参戦) 1942年 ミッドウェー海戦にて日本軍敗北 1943年 連合軍、シチリア島に上陸。 イタリア無条件降伏 1944年 連合軍、ノルマンディーに上陸。 1945年 ドイツ無条件降伏。 広島、長崎に原爆投下。 日本無条件降伏。 第二次世界大戦をさらに詳しく 第二次世界大戦における主な国の戦争被害(死者数) ドイツ 1050万人 イタリア 78万人 イギリス 98万人(うちイギリス連邦約60万人・香港、シンガポール、ミャンマー、マレーシアなど) フランス 75万人 ソ連 2013万人 中国 2100〜2300万人(うち軍人は318万人) 朝鮮半島 200万人 台湾 3万人 フィリピン 100万人 タイ 8000人 インドネシア 200万人 ベトナム 200万人 インド 350万人(ほとんど餓死者) アメリカ 108万人 日本 646万人 (出典:ワールドアルマナック1987年版より).

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