ハンムラビ 法典 ビール。 ビールの豆知識|ビールの歴史|ビール酒造組合

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2019. 21 「目には目を、歯には歯を」で有名な『 ハンムラビ法典』は、世界で二番目に古い法典です。 紀元前1800年代後半に制定された当時は、お酒の ビールは通貨と同等の役割を果たしており、労働者に手当として配給されていたともされます。 この時代に制定された法典だからこそ、ビールにまつわる様々な法律が記載されています。 ビールと死罪 『ハンムラビ法典』に書かれているビールにまつわる法律をいくつかご紹介しましょう。 ビールを水で薄めて販売したら溺死刑• ビールの販売価格をごまかしたら溺死刑• 酒場に手配中の犯罪者を入れたら、捕らえて王宮に連行しないと店主は死刑• 女性の聖職者が酒場を経営したり、酒場に入ったら火あぶりの刑 これが『ハンムラビ法典』に書かれた、ビールそのものや、ビールを提供する酒場に関する法律です。 いずれも死にいたる重罰ばかりですが、いかにこの時代にビールがどれだけ重宝されていたかが伺えます。

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[バビロンの居酒屋]ハンムラビ法典8(第108条~第111条): 不動産の重箱の角

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ハンムラビ法典 少し前の話だが、「やられたらやり返す、倍返しだ!」の決めゼリフで有名なドラマが流行ったのを覚えている人も多いだろう。 日頃から仕事などでストレスを受けることも多い現代人だからこそ、あのドラマの決めゼリフが心に染みて大流行したに違いない。 とはいえ、現代においては「目には目を、歯には歯を」という生き方は野蛮であり、なかなか難しいといえる。 やはり、「目には目を、歯には歯を」というのは、昔だから成り立つものだったのだろう。 …と思っていたが、「目には目を、歯には歯を」の由来を調べてみたところ、この言葉は単なる復讐法ではなく、現代の法制度にも通じるものだとわかった。 今回の雑学では、イメージだけが先行している「目には目を、歯には歯を」という言葉について解説していきたい。 【ルール雑学】ハンムラビ法典「目には目を、歯には歯を」は過剰な報復を防いでいた 「目には目を、歯には歯を」は、復讐を認める法律ではなかった! 【雑学解説】「目には目を、歯には歯を」はハンムラビ法典から そもそも、「目には目を、歯には歯を」という言葉はどこから来ているのであろうか? この言葉が記載されているのは、紀元前1700年代のバビロニアで制定されたハンムラビ法典。 このハンムラビ法典の196・197条に「目には目を、歯には歯を」の言葉があるとされており、「人を傷つけた場合には、同程度の罰を与えなければならない」という趣旨の法律である。 逆に言えば、「目を傷つけられたり歯を折られたりしても、命を奪うほどの報復をしてはいけない」という意味であり、過剰な復讐を避けて報復合戦の拡大を防ぐものとされているのだ。 近年では、その趣旨から「目には目を、歯には歯を」という条文は、現代の刑法における原則である「犯罪に対する刑罰は、予め法律で制限を定めなければいけない」という「罪刑法定主義」に通じるものであるとの評価を受けている。 かつては、復讐を認める野蛮な法律であると言われていた「目には目を、歯には歯を」であるが、実は洗練された法律だったのはビックリだ。 キリンビール大学によると、であり、「ビールは、時に通貨と同等の役割を果たし、俸給外の手当としてビールが支払われることもあった」らしい。 さらに、「ビールを水で薄めて販売したら、水に叩き込まれる溺死刑」・「尼僧がビアホールを経営したら火あぶりの刑」・「ビールの代金を穀物以外で受け取ってはならない」などの法律もあったとのことで、当時のビールに対する並々ならぬ執着が伝わってくる。 ハンムラビ王は、メソポタミアを統一した偉大な王として知られており、ハンムラビ法典の制定も、その偉大な業績の1つとされている。 そのハンムラビ王だが、ハンムラビ法典だけでなく、伝説的な建造物を作ったという説がある。 その伝説的な遺産とは「バベルの塔」。 バベルの塔といえば「コンピューターに守られて、3つのしもべがいる」…ではなく、旧約聖書に出てくる巨大な塔のことだ。 あまりにも高く作ったために神の怒りを買い、破壊されてしまったというバベルの塔。 旧約聖書によると、これを建造したのは「バビロンの王ニムロデ」と記載されているが、このニムロデがハンムラビ王ではないか? と主張する学者がいるらしい。 その学者は、ハンムラビとは「偉大なるハム」という意味であり、ニムロデは「ノアの箱舟」で有名なノアの三男・ハムの孫であたることがその理由である、と主張しているとのこと。 本当かどうかわからない話ではあるが、ハンムラビ王がいかに偉大な王であったかがわかる逸話といえるだろう。

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ハンムラビ法典、ビールに関する罰則は?【ことば検定】 答え林修

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2016年10月15日 以前聞いた酒についてのジョークの一つに[父の敵(カタキ)]というタイトルのものがある。 [[ ジョンが言った。 「私は飲酒に反対だ。 [マーク・トウェイン]は、出筆時の現代である19世記のアメリカ人の主人公を[アーサー王]のいる6世紀のイギリスにタイムスリップさせるという自著[アーサー王宮廷のヤンキー]のなかの主人公[ハンク・モーガン]に次のセリフを語らせている。 『・・・特に情けなく思ったのは、私の生まれる1300年も前の時代に、じっとすわって、このくだらない気の抜けた虫食いだらけの冗談をまたしても聞かなければならぬということだった。 そんな冗談なんか1300年後の、私が子供だったころに聞いた時でさえ、もううんざりした冗談だったのだ。 しかし私にも納得しかけてきたことがあった。 それは、そもそも目新しい冗談なんて言うものはありっこはないということだ・・・』 上記のように、[マーク・トウェイン]の洞察力は鋭く『ジョーク』の本質を衝(ツ)いている。 何故かといえば、20世紀の民族学者たちが膨大な文献を調べ上げて導き出した結論が、『日の下に新しきジョークはなし』と[トウェイン]の説を裏付けているのである。 確かに、人々を日々笑わせているジョークは、ほとんどすべて、その祖形や原型が過去の文献の中に読み取ることができる。 また、今日、こうして人々を笑わせているのとまさに同じジョークが、今後も、世界中の『ジョークを許容する精神を持つ人々』を笑わせ続けることだらろう。 時代や時間は同じネタ元のジョークを引き継いでいく間に、社会に合わせて進化していることも確かだ。 環境の変化は、長々とした話を短縮したり、道具立てを変えたり、知性や話の間を研究したりして、それを聞く人の耳には決して同じには聞こえないように意識的あるいは無意識に適材適所でさりげなく表現されているのだろう。 今から4000年以上前のバビロニアにも飲酒の習慣は根付いていて、当時の人々も『一番楽しい時はビールを飲みながら雑談しているときだ』といっていたことが記されている。 冒頭のジョークのようなたわいのない話をしながら居酒屋のテーブルをたたきながら大笑いしている声がきこえるようだ。 すこし酒が回ってくると、つまらない話でも大笑いになることを身をもって体験してきたが、その内容をよくよく考えると馬鹿馬鹿しいことがほとんどだ。 だからこそリラックスできて、さも可笑しく感じられるのかも知れない。 飲酒の習慣が根付けば当然の事として酒を売る店ができ、料理を食わせてその場で酒を飲ませる店ができる。 経営者の中には客をバカばっかりだと思っていている小利口振る者も約半分ぐらいの割合でいて、相場の3倍も高く請求する店も出てくる。 中には経営者の配下の者が客に因縁をつけて身ぐるみ剝ぎ取って裏口から蹴り出すようなこともあったことだろう。 酒を売る店は、金に対する明朗な精神とか、国家に対する正当な義務とかを売り物にするところではない。 むしろ、この悪辣な奴から良い部分を捜すのに苦労するような者ばかりが集まってくるので、店内はある種の神秘性が漂うっていることだろう。 ハンムラビの生きたB. C1760年代だって例外ではないばかりか、それは原始的ですぐにでも実行可能な犯罪性を備えていたことだろう。 酒を売るところには女が付きもののようなものだが、その方に興味を失くした今だからこそいえるのだが、昔も今も『掃きだめには鶴は生息できない』のである。 それは、金に対する執着心の強さを内に秘めているあまり精神面が腐敗して悪臭を漂わせているからだ。 このような場合の居酒屋の女将は高く請求した証拠を突き付けられてから水の中に投げ込まれる』という規定である。 なぜ居酒屋の女将が通常の貨幣の役目をしていた『大麦』での支払いを拒み、その代金を[銀]で受け取りたかったかについては、穀物より銀のほうが腐ったりせず通貨として持ち運びに便利だからだろう。 『大きな分銅で量る』という言葉の[分銅]とは、現在[大英博物館所蔵に、ハンムラビ法典公布の1000年ぐらい後の『ニムルド(イラク北部の古代アッシリアの城砦遺跡)北西宮殿B室から出土した物に、ライオン形の分銅の付いた[シャルマネセル11世時代(B. C722年)]に造られた計量具』があるが、おそらくこれに類似したものだと推測されている。 『河川の神に投げ込まれて処罰される』という処刑法はについては、漢字の『法』の字源がこの処罰と深く関係することを指摘しておかなくてはならない。 『法の源流』は、もともとシュメール人そのものがどこからかの由来で、その人々が象形文字か楔形文字を創作したその発達過程を考えると、どうしても『漢字の字源と、シュメール人の発想に深い関連性がある』と考えざるを得ない。 [シュメール]から[セム系 アッカド文化]の中でも、このような罪人を『川の神に投じて裁きを行うことが継承された』ことは、この[ハンムラビ法典]第2条の『もし人が、魔術の責任を人に負わせて、彼に確証しなかった時は、彼は河神に行き潜る。 そして河神が彼の罪を捕らえれば、人が彼の家を取る。 そして河神が彼を免責して白日の身になった時は、魔術の罪を着せた人は殺され、彼はその人の家を取る』との条文と共に、重大な意味を持っている。 この場合、[河神の神明裁判]の時のように『手足を縛って川に投げ込まれた』わけではないから[死罪]になったわけではないだろうが、泳ぎが苦手なら死ぬこともある。 この条文内で酒の種類とその特色を特定していないが、それを『醸造するものを[穀物]と記載してある。 だが日本の研究者は、[ホルスト・クレンゲル(古代中東歴史学者)]氏の著書[古代バビロニアの歴史『ハンムラビ王の社会』]に載っている内容を正当としてその原文通り『ビール』と訳している。 当時のメソポタミアでは[葡萄]は採れず、大麦でビールを醸造していたと考えられるので、この酒は『ビール』ということで異議を唱える者はない。 ただし『ビール』と呼んでも、現在のものとは異なり『ホップ』が無い頃のビールが古代シュメール時代から醸造されており、シュメール語の[ULUSIN]はアッカド語に[ulumu]として採用され、メソポタミアにおいても[ビール専用の職人]によって醸造されいたことは事実である。 さらに、シュメール語により書かれた医学書の中には『薬草を砕いて練りあげる時にビールを用い、これを患部に塗布したりすること』が記載されている。 話変わって、旧約聖書には『ノアが洪水の後葡萄酒を醸造したのが[アルメニア(トルコとイランとの東側のコーカサス山脈を含む地域)]で』あり、ヘロドトスの[歴史・第1巻194章]でも『チグリス・ユーフラテス両大河を下って、アルメニアからバビロニアまで葡萄酒が運ばれ、それを運んだ人々は、船体も藁も売り払ってしまうが葡萄酒を入れてきた革袋だけは驢馬の背中に乗せてアルメニアへと帰ってゆく』と記述されている。 アルメニア高原では、インド・ヨーロッパ語族であるアルメニア人が定住する以前のウラルトゥ人、そしてさらにそれ以前から葡萄酒を醸造しており、それをバビロニアまで運んでいたと推定できるからである。 従ってこの[酒]をまだ[ビール]だと断定しない方が得策かも知れない。 とは言っても、ヘロドトスが諸国を遍歴したのは、ペルシャ戦争の終わったB. C449年以降で、ハンムラビの生きた1300年後のバビロニアなのである。 店の経営者である者はその悪党を取り押さえず、役人への通報もしないばかりか、「一口乗せてくれ」というような態度をした場合は、居酒屋の経営者は死罪になる』という条文である。 居酒屋の女将に対する治安維持義務を課したもので、4000年近く前の犯罪者も群れをなして服の下に下着もつけない女給がたむろしている居酒屋に押しかけて来たものと思われる。 そうした場所を管理する女主人の責任が、治安維持上いかに重要だったかを端的に表している条文だ。 当然の事だが、店内に集まってくる、顔でよし腕などのいたるところに刀傷だらけで今にも店側で雇っている齢のいった方の女給に飛びかからんばかりの眼の色をした者どもを、年期が入っているとはいえ女性である経営者に、刺身包丁も鶏の首を俎板の上でぶった切る斧も使わずに宮殿まで連行するようなことができるわけがない。 思うに常時破れかぶれを身上としているアウトローと対戦するのは、彼女の連絡で駆けつけた地域の治安当局の役人の役目だという意味が込められているようだ。 ハンムラビ王当時は、犯罪人は都市の役所ではなく国家の役所に連れていかれたので、『宮殿に連れて行く』とは、宮殿そのものが国家の役所のような役割を担っていたので、そこに常駐する治安担当の警察官あるいはそのような任務を帯びた人間に通報することで『この前科12犯の極悪人を確かに捕らえた』と言うことになっていたのではなかったか。 [第109条]の条文内のアッカド語が『犯罪人』であるか単なる『無法者』なのかについては、古代法にこのような規定がある以上は当然なこととして[犯罪者]とみるべきである。 むしろ『犯罪者』にとどまらず、古代インドの[マヌ法典(B. C2世紀にインドに成立したもので、人類の始祖『マヌ』が述べた形になっている)]の『第九章271条』にあるように、『盗賊』または『強盗』などを指すとも考えられないこともない。 どの地域の古代社会においても、このような犯罪人の集まる場所に対する規制は、『治安』という点からも当然の事として、少なくとも実定法上の法規制の1条文として規定されるべきで、[マヌ法典(古代インドの法典)]においても、それより古いハンムラビ法典でも、そういう場所(日本の盗人宿)を提供したる者には[死刑]という刑罰が記されていた。 と考えられる。 当然そのような聖職者の階層にある者が居酒屋などという商売をすることは禁じられていたばかりでなく、その女司祭たちが酒房や飲食店に入ることなども禁止されていたと思われる。 後の条にも登場してくるが、当時の[アウィルム階層(貴族、自由人)]において自分の気に入った娘を女神官に就かせ、その父親も古代バビロニアの社会で重要な立場に立つことができ、それだからこそ、その娘には兄弟姉妹よりも特殊な地位を与えたものと思われる。 尼僧院に住す者』と、『しからざる者』とあり。 [マルドック(バビロンの主神)]に奉納せられた前者は結婚することはできるが子を儲けることはできず、そのかわり女の奴隷を伴って彼女に子を生ませてその子の母親の地位を得ることになる。 前条110条の酒(シカリム)は、おそらくビールであったろうと思われるが、この文中に出てくる[ピーフ酒]がどんな酒かよくわからない。 しかし、収穫の時に、飲ませたという酒の分量より少ない[50シラ]という量の穀物(大麦か小麦)を納めたところを見ると、その収穫の何倍、あるいは何十倍もの分量がとれるビールのような大麦から製造できる酒だったであろう。 この時代の液体や穀物を計量する単位である[シラ]は[約842m2? だが、これらはあくまでも考古学の推測によるものだから、正確な数値は依然としてわからないのが正直なところである。 当時の居酒屋はビールのような酒をツケで飲ませ、その掛け金をその原料である穀物の収穫時に収穫した同じ穀物で支払っても良かったと思われる。 その穀物は、多分その後にそのままの酒などの醸造所へと直接持っていき、そのまま同じ酒の原料となったものと思われる。 [ハンムラビ法典]第108条から登場する穀物が[穀物の大麦]ではなく、葡萄であると解釈する文献も多く、日本の研究者も『この酒が[葡萄酒]である』と頑なに主張を繰り返している者もいることはいる。 古代バビロニアより後の[ウラルトゥ帝国(B. C583年ごろの現在のトルコ東部)にあった王国]など、メソポタミアの上流地域で葡萄で造った酒が普及していた事実が確認されている。 以上が[ハンムラビ法典]の酒に関する条文であるが、このように文書化されているということは、それ以前にこのような事件や行為が発生するから規制するための法律ができる訳である。 現在は、どの国でもどの地域でも法律を創る側やそれを規制監督する側の不正がボロボロと顔を出している最中だ。 何時の時代にも同じことを繰り返しているらしく、[マーク・トウェイン]が生きた1835年から1910年にかけての後半あたりの彼の名言の数々は、いまなお色あせることはない。 試みに[マーク・トウェイン]の言葉を 3、4個並べてみよう。 *[しょせん人類なんてこの程度のものなのだ。 あのときのノアの方舟に乗り遅れなかったことを、残念に思うことがよくある] *[地球に向かって、『私はあなたを生かす義務がある』などと大きな顔をして言ってはいけない。 世界はあなたに何の借りもないし、第一、あなたより先に世界はそこにあったのだから。 つまり、それは、よけいなお世話なのだ。 できれば、これ以上なにもしないでもらいたいのだ] *[友人達が『若く見えるよ』と誉めだしたら、あなたが年をとったしるしだ。 階段を降りるときは、より慎重さが必要になったということだ] *[難しいのは友のために死ぬことではない。 命をかけるだけの価値がある友を見つけることが難しいのだ] *[私は即座に応えることができて満足した。 『私はそれを知らない』といったのだ] *[我々が誕生を喜び、葬式を悲しむのは何故か。

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