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L'Arc〜en〜Ciel

ラルク アニソン

そういった中で、〈ビジュアル系〉とカテゴライズされるジャンルの音楽に出会い、 それは他に類を見ない独特の世界観・音楽性を提示して、自分を大いに愉しませてくれ、少なからずその創作物に影響を与えた。 大ヒット曲や有名曲だけ知りたいという人は、その要望に応えてくれるような記事が他にいくらでもあるはずなので、そちらを見ていただければと思う。 自分の嗜好は、どうも大衆のそれや流行とは乖離して、 あまり知られていなかったり、ライブでは演奏されにくい楽曲に心揺さぶられる傾向にあるようだ。 「いやそこは『虹』じゃないんかい!」 ……という突っ込みを受けそうだが、断じて『虹』ではない。 『虹』は確かに超名曲だが、自分はカップリング曲として甘んじている、 『THE GHOST IN MY ROOM』の方を推す。 そしてバンドメンバーが現在の形態に至るまで、全【7】人を擁し、 【7】番目に加入したyukihiro氏の加入をもって、バンドが最終形態を迎えた、という風にも認識できる。 sakura氏に関しては、色々と書きたいことが多いので、書くべき時に都度書いていこうと思う。 今この場で言えることがあるとすれば、 sakura氏もyukihiro氏も、それぞれに異なった、非常に魅力的なドラマーであるということだけである。 さて『THE GHOST IN MY ROOM』であるが、 作詞・作曲をボーカルのhyde氏が手掛けたこの楽曲は、A面の『虹』とは相反して、非常にノリが良く、ライブ映えする楽曲として仕上がっている。 ……だのに、上の動画の観客のノリの悪さはどうだ。 hyde氏がステージ狭しと駆け回り、観客を煽ったり、ベースのtetsuya氏と絡んで、どうにかして盛り上げようと苦慮しているのが窺える。 この時のあまりの盛り上がらなさぶりに、『THE GHOST IN MY ROOM』は、以降のライブでは演奏されなくなってしまった。 いやしかし実にもったいない。 歌詞の方へと目を向けてみると、なかなかどうして難解で、一聴してみただけでは要領を得ない。 歌詞の主人公は部屋へと閉じ籠り、〈亡霊〉に囚われる日々を送っている。 しかしある時、目が眩むような太陽に照らされ、彼はついにそこから抜け出すことに成功する。 ちなみに、このライン川の〈ローレライ伝説〉からインスピレーションを受けてhyde氏が作曲したのが、 活動休止から復活して最初に制作されたアルバム『HEART』の、第1曲目として収録されている『LORELEY』であり、 同様にしてken氏が作曲したのが、同じく『HEART』に収録されている『fate』である。 上記動画には収録されていないが、このプログラムには『THE GHOST IN MY ROOM』のレコーディング風景や、 hyde氏の入浴シーンもあった。 さて『THE GHOST IN MY ROOM』の歌詞の方へと話を戻すが、 その内容を、多少乱暴にでも解き明かしてみようとすると、どうしても頭の中をよぎってしまうのは、 やはりsakura氏の存在だ。 もちろん当時のyukihiro氏に、〈機械仕掛けの君〉であるということを示唆する要素など一つも無い。 元々、hyde氏の紡ぐ歌詞には、抽象的で非限定的な物が多く、 何について歌っているかを、明確にしないようにしている節がある。 回答を提示せず、その解釈を聴き手に委ねるスタンスを常に取っているのだ。 それは多分、hyde氏が楽曲の耳ざわりを大切にしているだけでなく、そのセールスなども意識して、 広く多くの人の心に響くように、敢えて曖昧な表現や、対象を特定しない表現を用いているのであると同時に、 〈芸術とは、回答を明示せず、受け取り手の感じ方に委ねるべき物である〉 という確固たる思想を持っているからなのだと思う。 『THE GHOST IN MY ROOM』同様、hyde氏が作詞作曲を手掛けた『Peeping Tom』は、 初夏の訪れを感じさせるようなあたたかく穏やかなメロディが心地良く、いつまでもその優しい旋律に身を委ねていたくなる。 1998年に行われたライブツアー〈ハートに火を付けろ!〉では披露されていたが、それ以降のライブでは演奏されなくなってしまったようだ。 やはり、同じカップリング曲である『THE GHOST IN MY ROOM』のように、観客の反応が芳しくなかったのだろうか。 さてその歌詞の方へと耳を傾けてみると、 〈君といたい、君と手をつないでいたい〉 と考えているのに、 〈会ってもないのに何だって知ってる、影みたいに地球の果てまでついてくる何者か〉 のせいで心煩わされる主人公の心情が描かれているのがわかる。 一時期のhyde氏は、どこへ出掛けても、街のそこかしこに記者の存在、 あるいはそのカメラによって盗撮されている気配を感じて、ノイローゼ気味になっていたらしい。 hyde氏はそんな自身の境遇、平穏な生活を脅かされる恐怖と怒りとを創作へと昇華させて表現し、間接的にではあるが、世に訴えてみせたというわけだ。 まるで歌詞に登場する印象的な表現、 〈運命と欲望を波打つ海に捧げた 入り江に浮かぶ炎〉 みたいに、 静かに、ただゆっくりと、粛々と揺らめき続けるメロディはどこか不穏で、 昏い砂漠の国を放浪し続ける旅人の道行きのように、どこまでも果てが見えない。 歌詞の詳細へと目を向けてみると、hyde氏にしては珍しく、 〈カスバ〉〈ガイタ〉〈ベリーダンス〉と、 具体的でありながらも、どこか幻惑的な雰囲気を醸す固有名詞が並べ立てられて、ただならぬ異国情緒を漂わせている。 その世界観は、砂漠の民の営みを描いて表現したような1stアルバム『DUNE』をも彷彿とさせる。 hyde氏の、目鼻立ちの際立った異国的な顔貌は、 イギリスやフランスといったオシャレなヨーロッパ的世界観に留まらず、砂塵の荒ぶような中東地域の世界観をもよく具現化させるのに適していて、 つくづく表現をするために授けられた肉体・才能なのだなと思い知らされる。 〈ガイタ〉というのは、バグパイプのことらしく、 それは地方によってそれぞれに異なった、独自の形状や名称があるらしいのだが、 特にスペインで使われているという〈ガイタ〉という名称の物か、 ブルガリアで使われているという〈ガイダ〉という名称の物の、そのどちらかを指しているのだろう 歌詞の世界観から鑑みて考察すると、後者の方が適切であるように思う。 〈ベリーダンス〉は、まあ説明するまでもないと思うが、 煽情的な腰の振り方をするその形態からもわかる通り、〈男女の行為〉を暗喩している。 〈カスバ〉〈ガイタ〉〈ベリーダンス〉という三つのカタカナ語が、 鮮烈なイメージ、強烈な印象を残すのと同時に、どこか夢の中にいるような、幻惑的な雰囲気をも漂わせ、 聴く者を、正に〈カスバ〉の中へと迷い込ませて、そこを彷徨い歩いているような気持ちにさせるのが、この『真実と幻想と』の魅力であると言えよう。 では『真実と幻想と』が、ただ異国情緒や幻惑感を漂わせて没入させるだけの曲なのかと言うと、そうではない。 この曲には、hyde氏自身の確固とした想いが込められている。 そして歌の最後、 〈真実と幻想と この目に映る全てを 血が枯れ果てるまで歌おう〉 という歌詞からは、 真実 現実世界に起こる様々な出来事や、自らを取り巻く環境や、そこで培った経験 と、 幻想 自分の想像力や、独自の感性によって新たに創作された物 とにかかわらず、 自身が感じたこと、感覚したものの一切を、 感性が枯渇するまで、魂の火が消え潰えるその瞬間まで、愚直に表現し続けるよ、 という、 崇高かつ敬虔な、hyde氏の所信表明の意図を汲み取ることができるわけだ。 hyde氏の、自らの〈アーティスト〉としての在り方、その思想を、 異国的・幻惑的なターバンやヴェールで包んで飾り、砂塵の混じる生温い風へと乗せて流したのが、この『真実と幻想と』という楽曲なのである。 映画のラストシーンの訪れを告げるようなイントロから始まり、 そこで歌われるストーリーは、荒野を行く馬車に揺られ、破滅へと突き進んで憚らないようなバッドエンドを想起させる。 確かにこの世界には、無駄に多く喋る人間、 吐き出す言葉に情熱も慈しみも憂いも込めようとはしない人間、 無思慮なくせしてありがたそうな言葉を多用する人間、 人の許容するラインを逸脱して乱暴な言葉を垂れ流す人間などが、多く存在する。 それが〈大衆〉を暗喩しているのか、〈マスコミ〉を暗喩しているのかはわからないが、 hyde氏の、そんな彼らに対して引導を渡すような冷酷な歌詞は小気味よく、実に痛快だ。 あるいはその銃口は、自身のこめかみへと当てられているのかもしれない。 いずれにしてもその主人公は、 「good luck」と、まるで自嘲気味に、 別れの挨拶を告げることになるのに違いない。 引き金を弾き果した主人公が独り、世界の果てへと向かうのか、はたまた地獄の底へと訪れるのかはわからないが、 その道行きへと連れ添う者は誰も無く、転がる車輪に轢かれてしまってくしゃくしゃになった花束だけが、その道程へとそっと寄り添うのだろう。 自分も、どんな辛い瞬間や絶望的な状況下においても、 転がる車輪に轢かれた花束を、胸ポケットへと飾って誇らしげに歩いてゆくような、 やさしく、遊び心を忘れないで携える人間でありたいと思う。 作詞・作曲共にhyde氏が手掛けた、 哀しげなメロディが胸を締め付ける、ミディアムテンポのバラードだ。 地獄へ堕ちることがわかっていながらそうするのは、〈君〉に会うことを願うからだ。 幼い頃と同じように、〈君〉と遠い街へと出掛け、案内したりするが、 そうして過ごすことができるのは、彼が眠り、夢の中にいる間だけの話だ。 I always see you in my dream 迷宮でいつものように 透明な翼をはばたかせて 切ない瞳は君を探す つかの間の夢に漂う それでも彼は、毎夜、夢の中で〈君〉の姿を探す。 出口のない迷宮の中で二人は出会い、逢引するのだ。 それが束の間の夢の中でだけ叶えられる儚い願いなのだと、理解してはいても。 I always see you in my dream 僕は逆さに堕ちて 儚い眠りからさめても あの日のように 君がそばにいてくれたら 最後、主人公は遂に地獄へと堕ちる。 悪魔に魂を売った代償だ。 作曲したのはken氏で、 そのどこか寂しげながら、やさしく穏やかに心の襞を撫ぜて歩むようなメロディは心地良く、いつまでも身を委ねていたくなる。 ハードロック的アプローチの成された楽曲群で占められる『REAL』においては、平穏な心持ちで耳を傾けていられる数少ない楽曲の内の一つで、 一服の清涼剤のような存在感すら湛えさせている。 歌詞は、hyde氏が旧友と再会した折に感じたことをしたためた物だという。 かつて親しくしていた者と再会した時、あまりの時間の経過ぶりに、罪悪感にも似た気まずさを覚えて言葉を失い、 なんだかやるせなくなるというのは、なにもhyde氏だけではない、きっと大人になった誰もが経験する可能性のあることだろう。 人間は結局、どこまで行ってもみな独りなのだ。 誰かと繋がっているように見えても、究極的には、自分一人で生きていくしかない。 作曲したのはken氏で、 〈hyde氏の高音が生きるような楽曲を〉 といった意図で製作された物だったと記憶している。 『叙情詩』がリリースされるとの情報を得て、当時の自分が先ず驚いたのは、そのタイトルだ。 〈叙情詩〉という言葉は、 〈作り手の、様々な想いや感情を表現してしたためた詩〉 といった意味を持つ〈普通名詞〉であり、〈固有名詞〉ではない。 ミュージシャンの創る楽曲が、 〈作り手の、様々な想いや感情を表現してしたためた詩〉 であるのは当たり前であり、すべての楽曲は、ある種の〈叙情詩〉であると言える。 だのに、hyde氏はこの楽曲に、敢えて、そのまま『叙情詩』というタイトルを付与した。 これは、愛を歌った歌に『ラブソング』というタイトルを付けるのや、 亡くなった者の魂を鎮めるための歌に『レクイエム』というタイトルを付けるのと同様の行為である。 この楽曲に対して、例えば、 『LOVE~』とか、 『愛の~』とか、 陳腐な表現のタイトルを冠してしまったら、途端に安っぽく、俗っぽくなるだろう。 『叙情詩』と、 辞書にも記載があるような普通名詞でもって銘打ってやることにより、 楽曲は、普遍的な性質や、神話的な厳格ささえも伴わせて、格段に格式高い物へと昇華させられたわけだ。 そしてもし、 『叙情詩』とは大仰なタイトルだな、随分と物々しいタイトルの楽曲だな、 と、訝しく考える者がいたとしても、 楽曲を一聴したならば、その考えは覆るだろう。 hyde氏の高音が生かされ、そして気持ちよく歌えるようにと、ken氏によって創出されたメロディは美しく麗しく、 あらゆる生命へと萌芽の瞬間を告げる初春の微風のように、どこまでもあたたかく、やわらかい。 そしてその、地球上の生命を賛美して、すべての萌え出づる息吹を束ねたようなメロディへと、hyde氏の美声が重ねられ、聖らかに愛が語られる。 野暮な事は言いたくないが、この『叙情詩』の歌詞が、誰を想ってしたためられたものかは、容易に想像ができるだろう。 そしてこの『叙情詩』を、一層素晴らしく普遍的傑作へと仕立て上げているのが、ミュージックビデオだ。 こればかりは自分の稚拙な筆致でいくら説明しても伝えきれる物ではないので、是非DVDなどを購入して視聴してみて欲しい。 ……さて、随分と長くなってしまったので、一旦ここで区切りを付けたいと思う。

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L’Arc~en~Cielの映画・ドラマ・アニメ主題歌になった曲を一覧紹介!│新時代レポ

ラルク アニソン

L'Arc~en~Ciel ラルク アン シエル 4人組のロックバンド。 ラルクの通称で知られる。 メンバーは,ken,,yukihiro。 代表曲,有名曲,名曲,ヒット曲,定番曲 ランキング考慮 〇Honey 1998年オリコン年間ランキング7位。 ミリオン達成でセールスも最大。 アメトーーク! では狩野英孝がラルクの話題を持ち出す時に流れる。 〇NEO UNIVERSE 2000年オリコン年間ランキング10位。 ミリオン達成。 資生堂「ピエヌ」CMソング。 〇winter fall 1998年リリース。 ドラマ『シカゴ・ホープ2』イメージソング• 〇虹 1997年リリース。 アニメ『劇場版 るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- 維新志士への鎮魂歌』のオープニングテーマ• 〇花葬 1998年オリコン年間ランキング14位。 ミリオン達成。 テレ朝系『真相究明! 噂のファイル』のエンディングテーマ• 〇HEAVEN'S DRIVE 1999年オリコン年間ランキング9位。 ミリオン達成。 〇finale 2000年オリコン年間ランキング10位。 NEO UNIVERSEの両A面。 映画『リング0 バースデイ』主題歌。 〇snow drop 1998年オリコン年間ランキング15位。 ミリオン達成。 ドラマ『走れ公務員! POLICE WOMAN』主題歌• 〇READY STEADY GO 2004年リリース。 オリコン年間ランキング18位。 の第2期オープニングテーマ。 〇Driver's High 1999年リリース。 の第一期のオープニングテーマ。 〇侵食~lose control~ 1998年オリコン年間ランキング20位。 映画『GODZILLA』の挿入歌。 〇STAY AWAY 2000年リリース。 資生堂「ピエヌ」CMソング。 〇Link 2005年リリース。 映画『劇場版 鋼の錬金術師 シャンバラを征く者』のオープニングテーマ。 〇DIVE TO BLUE 1998年リリース。 TBS系『特捜! 芸能ポリスくん』のエンディングテーマ• 〇Blurry Eyes 1994年リリース。 デビューシングル。 アニメ『D・N・A 〜何処かで失くしたあいつのアイツ〜』のオープニングテーマ。 〇LOVE FLIES 1999年リリース。 ドラマ『青い鳥症候群(シンドローム)』の主題歌•

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L'Arc〜en〜Cielの神曲たち――ラルクアンシエルの名曲ランキングベスト13・前編

ラルク アニソン

公演にて 左からtetsuya、hyde、yukihiro、ken 基本情報 出身地 ジャンル 活動期間 1991年 - レーベル (1992年 - 1993年) (1994年 - ) 事務所 (1992年 - ) 共同作業者 ( ) (1998年 - ) 公式サイト メンバー () (・) (・コーラス) () 旧メンバー hiro(ギター) pero(ドラムス) (ドラムス・コーラス) L'Arc 〜en 〜Ciel ( ラルク アン シエル )は、の4人組。 1991年結成。 通称・略称は主に ラルクが用いられる。 プロダクションは、レコード会社はの社内レーベル、に所属する。 公式ファンクラブ名は「LE-CIEL」 (1995年設立)。 公式モバイルサイト名は「L'mobile」 (2009年設立)。 メンバー 現メンバー メンバー名 生年月日と出身地 バンド遍歴 パート ハイド 本名:寶井 秀人 [ ] 1969-01-29 (51歳) 出身• Kiddy Bombs• 1990 - 1991• L'Arc〜en〜Ciel 1991 -• D'ARK〜EN〜CIEL 1996 - 1997• P'UNK〜EN〜CIEL 2004 - 2012• 2008 - 2017• ケン 本名:北村 健 1968-11-28 (51歳) 出身• DOBERMAN• Byston-Well• THE CLARE• L'Arc〜en〜Ciel 1992 -• D'ARK〜EN〜CIEL 1996 - 1997• P'UNK〜EN〜CIEL 2004 - 2012• 2002 - 2006• ギター 2代目• Byston-Well• L'Arc〜en〜Ciel 1991 -• D'ARK〜EN〜CIEL 1996 - 1997• P'UNK〜EN〜CIEL 2004 - 2012• コーラス• ギター ユキヒロ 本名:淡路 幸宏 1968-11-24 (51歳) 出身• GUERRILLA• 1989 - 1990• OPTIC NERVE 1991• 1991 - 1995• L'Arc〜en〜Ciel 1998 -• P'UNK~EN~CIEL 2004 - 2012• 2001 -• 2012 -• 3代目• 過去に在籍したメンバー メンバー名 生年月日と出身地 パート 在籍期間 hiro ヒロ 不明• ギター 初代 1991年2月 - 1992年6月12日 pero ペロ 不明• ドラムス 初代 1991年2月 - 1992年12月30日 サクラ 本名:桜澤 泰徳 1969-11-20 (50歳) 出身• ドラムス 2代目• パーカッション 1993年1月16日 - 1997年11月4日 時系列 活動概要 1991年:結成 1991年2月頃、のスタジオにて を中心に結成される。 グループ名はの「」を意味する l'arc〜en〜ciel フランス語発音: ラルコンスィエル、ラフコンスィエル。 グループ名決定の経緯は諸説あり、にある喫茶店 の名前をtetsuyaが気に入り、そこから取ったという説が有力であるとされてきたが、tetsuyaによって否定された。 実際には、当時本屋などで資料を探していたtetsuyaがこの言葉をたまたま見つけ、見た目や響き、さらには様々な色を表現する「虹」が「音楽」の表現という点で共通していると感じたため、この名前をつけたという。 また、tetsuyaは「長くて覚えにくいけど、ローマ字表記にしたらインパクトがあると思った」とも語っている [ ]。 因みに、バンドの公式ファンクラブ「LE-CIEL」は、フランス語で「」という意味があり、ファンとバンドが"空"と"虹"のような関係になりたいという思いが込められている。 当時のメンバーはtetsuya ベース・当時は「tetsu」 、 ヴォーカル・当時は「hide」 、hiro ギター 、pero ドラムス の4人で、時代は関西を拠点に活動した。 ちなみに、L'Arc〜en〜Cielを結成する前にhydeとperoの2名はというバンドで共に活動しており、Jelsarem's Rodとして参加したセッション大会で偶然tetsuyaと遭遇して以降、tetsuyaがhydeに対し「バンドを作ろう」と電話などで誘い続け、結果tetsuyaらとセッションを行った。 その後、Jelsarem's Rodのメインコンポーザーも兼ねていたhydeが「活動の行き詰まりを感じて」解散。 セッションの縁からL'Arc〜en〜Cielに加入することとなった。 結成後、5月30日に当時のホームグラウンドとしていたで行ったファーストライブは、いわゆる形式ながらも100人以上を動員。 また、9月27日に同所で行われた初のワンマンライブでは300人以上の動員を記録するなど、結成間もなくのインディーズバンドとしては異例の動員数を誇っていた。 また、当時他のインディーズバンドが活発にライブ活動を行う中、L'Arc〜en〜Cielは結成当時はあまりライブを行わないスタンスをとっていた。 これについてtetsuyaは「ライブの本数はあえて絞った」「大阪に観に来てもらう、東京からでも来てもらう、それぐらいの気持ちでやっていた」と語っている。 また、ライブの本数を減らしたことで、により動員数が増加したと振り返っている。 また、L'Arc〜en〜Cielはインディーズ時代にデモテープの公式配布・公式販売は一切行っておらず、「ライブに来ないと曲を聴けない」「自分達が納得するタイミングと形になるまで世に出さない」というやり方をとっていた。 1992年 - 1997年:『DUNE』『Tierra』『heavenly』『True』 hiroとperoの脱退、kenとsakuraの加入 1992年に入り、3月にはオリジナルのビデオ『』のプレゼントライブを大阪の他にでも行い、関東地方にも活動拠点を広げるが 、6月12日の難波ロケッツで行われたライブ終了をもってギタリストのhiroが脱退することとなった。 後釜にはtetsuyaと学生時代に親交のあったが加入。 kenは同年6月25日ので行われたライブでL'Arc〜en〜Cielとして初めてステージに立つこととなった。 ken加入直後からアルバムのレコーディングを行い、完成直前まで漕ぎ着けたものの、メンバー曰く「出来映えが気に入らなかった」ため全曲をボツにしアルバムを発売しない意向を取った。 また、これに関しては脱退したhiro側から「自分の曲を使わないでほしい」と言われたことも理由の一つになっている。 しかし、この一件で当時所属していた事務所との間に軋轢が生まれ、レコーディングに掛かった経費などの支払いを命じられることとなる。 これとほぼ同時期に、デンジャークルー 現: 社長の大石征裕から「うちの事務所に来て欲しい」と誘いがあり、そのままデンジャークルーへ移籍。 この時の金銭問題は、事務所間での話し合いで全て白紙となった。 ちなみに、インディーズ時代に唯一リリースされた生産限定シングル「」は、前述の金銭問題を処理する為にリリースされたものである。 そして、このシングルリリース直後の1992年12月30日に大阪ミューズホールで行われたオールナイトライブをもって、ドラマーのperoが脱退することとなった。 1993年1月16日、前年脱退したperoに代わりが加入。 加入後に約1ヶ月間のレコーディングに入り 、1stアルバム『』をデンジャークルーレコードより発売。 限定リリースのCDを除く初の公式発売音源となった。 5月10日付のインディーズアルバム週間チャートでは首位を獲得し、インディーズでの人気を不動のものとする。 1993年夏、当時CDショップでアルバイトをしていたtetsuyaが「店に来た担当の人間を気に入った」という理由から 、1992年に内で新規レーベルとして設立されたばかりの「」と契約を結ぶ。 メジャーデビュー、地道な活動 1994年7月1日、ビデオシングル『』を発売しメジャーデビューする。 同年7月14日には2ndアルバム『』、同年10月21日にはシングル「」を発売し、メジャーレーベルでの本格的な活動を開始した。 ちなみに、当時メンバーの口からメジャーデビューの発表は一切行われていない。 このことに関し、tetsuyaは「ライブや広告でメジャーデビューを発表するトレンドが嫌だった 」と述べている。 メジャーデビュー直後はインディーズ時代からのファンも多かったが、デビュー後初めて行った全国ライブツアー「Tour Sense of time '94」の公演などでチケットがソールドアウトしないという事態が発生した。 以後は「スタッフに全て任せきり」だったコンサートの会場決め、プロモーションなどをインディーズ時代のようにメンバー主導で行うようになった。 hydeは当時を振り返り、「自らが主導権を握って活動していなければ、多分(バンドは)終わっていたと思う 」と述べている。 同年5月21日からはライブツアー「in CLUB '95」を開催。 ツアー初日に合わせ、ビデオシングル『』を発売。 さらに、同ツアーでは同年9月にリリースされる3rdアルバム『』の収録曲を先行披露して廻るなど、ライブを積極的に行う活動にシフトしていった。 また、アルバムを引っ提げて行われたライブツアー「TOUR heavenly '95」では初の公演を開催し、徐々に人気を広げ動員規模を拡大していった。 自身初のミリオンセラー、sakura逮捕に伴う活動休止 1996年5月には、ライブ「Kiss me heavenly deadly '96 REVENGE」を開催し、2年前のリベンジとなる東京ベイNKホールでのソールドアウトを達成。 また、同年7月からシングル3作品を立て続けにリリースした。 中でも10月17日に発売したシングル「」は累計30万枚以上を売り上げるヒット作となった。 さらに、同年12月には4thアルバム『』を発売。 過去のアルバム3作と異なり、6人のアレンジャーを迎えて制作されたアルバムとなっており、「L'Arc〜en〜Cielの前期の集大成 」といえる作品となった。 アルバムは発売6週目でメジャーデビュー後では初となるオリコン週間アルバムチャート首位を獲得。 その後、チャートに自己最長となる110週ランクインし、シングル・アルバム通じて初のを記録した。 前年から1997年初頭にかけて初のアリーナツアー「CONCERT TOUR '96〜'97 Carnival of True」を開催するなど人気は過熱しはじめ、ヒット街道を驀進するものと思われたが、同年2月にドラマーのsakuraが覚醒剤取締法違反で逮捕される。 これにより、活動予定を全て白紙化することとなった。 それに留まらず、これまでにリリースした全てのシングル・アルバム・映像作品の出荷を一時停止し、完全なバンド活動休止体制へ突入した。 (詳細は""の項目参照) 1997年 - 2002年:『HEART』『ark』『ray』『REAL』 渡英レコーディング、変名バンドとしてのライブ開催、復活ライブとなる自身初の東京ドーム公演開催 sakuraの逮捕後、「曲作りとリフレッシュ」の名目で渡し、アルバムレコーディングを含め数ヶ月間の滞在をする。 この間にサポートドラムとして元、のドラマー・が参加したセッションなどが行われ、1997年10月に長い休止から復活。 直後発売したシングル「」は初動30万枚、累計70万枚以上を売上げ、当時の自己最高初動・最高売上を記録した。 同年12月には、L'Arc〜en〜Cielのコピーバンド"the Zombies"を期間限定で結成。 同月16日から18日の3日間限定で、変名バンド名義でライブ「Live Tour NIGHTMARE BEFORE CHRISTMAS EVE」を東京・大阪のライブハウスにおいて開催した。 同年12月23日には、自身初の公演となる復活ライブ「L'Arc〜en〜Ciel 1997 REINCARNATION」を開催。 チケットが当時の最速記録である4分で完売と、当時絶頂にあったと重なり休止前までには無かったほどの爆発的人気を得ることになった。 また、後年tetsuyaはこの公演を振り返り、「賭けだった」と述べており、「同じような会場で同じようなことをやっても、ラルクはもうダメになっちゃったと思われるんじゃないかって、だから絶対に良くなったって思わせたかった 」と語っている。 yukihiro加入による新体制での活動再開、自己最長となるホールツアー開催 1998年1月1日にはサポートドラマーとして参加していたyukihiroが正式に加入。 加入直後にシングル「」を発売し、自身初となるオリコン週間シングルチャート首位を獲得。 シングルリリースの翌月には5thアルバム『』を発売。 ちなみに、この作品が(ex. )が共同プロデューサーとして楽曲制作に携わる初のアルバムとなった。 本作はアジア各国でアルバムの海賊盤が多数出回り始めたことや、海外からの要望が高まったことから、日本の他、、、、、の6ヶ国においてリリースされた。 これがL'Arc〜en〜Cielとして海外進出する第一歩となった。 また、yukihiroが正式加入して初めてのツアーとして、1998年5月より自己最長となる全国45都市56公演にも及ぶホールツアー「Tour'98 ハートに火をつけろ! 」を敢行。 tetsuyaは後年この長期ツアーを振り返り、「yukihiroが加入した後だったので、この4人がL'Arc〜en〜Cielなんだというイメージを植え付けたいという意識がどこかにあった 」「そのためにはそれまでにやった以上に数多くのライヴをやることだな、たくさんリリースすることだなって思ってた 」と述べている。 シングル3作同時発売、アルバム2作同時発売、2度のシングルチャート1位・2位の独占 前述のアルバム発売以降も連続かつ集中的なリリースパターンを取り、1998年7月には「」「」「」のシングル3作を同時発売した。 この同時発売により、発売2週目にはオリコン週間シングルチャート1位と2位を独占し、「HONEY」「花葬」の2作がシングルとしては初のミリオンセラーを記録。 中でも自身のシングル最高売上を記録した「HONEY」は、を獲得する他、初出場となったにおいて披露された。 さらに、10月には「」「」のシングル2作を2週連続発売し、オリコンチャート史上初の2度目のシングルチャート1位と2位の独占を達成し大きな注目を浴びた。 なお、この年リリースしたシングル7作全てがオリコン年間シングルランキングTOP30入りを果たした。 さらに、翌1999年7月には6thアルバム『』と7thアルバム『』のアルバム2作を同時発売。 2作合わせ初動300万枚以上、トータルセールス600万枚以上を売り上げ 、2作ともオリコン歴代アルバムランキングTOP100にランクインするほどの大ヒット作となった。 また、本作はを含め、台湾、香港、タイ、マレーシア、シンガポール、の7ヶ国においてリリースされた。 また、同時期からフリーの映像ディレクター・が主な広告ディレクションを担当するようになり 、、やの起用を始めとするバラエティに富んだ展開を行うようになる。 では「グループ名『L'Arc〜en〜Ciel(ラルク・アン・シエル)』の正しい読み方を広く認知させる」もの や「風の『活動予定告知』告知」を流し、新聞広告では「新曲のの作成方法」や、で作成した「坊主頭のメンバーの写真」などのような、それまでにはない奇抜なものを掲載するなどして注目を集めていった。 後年に箭内は当時のディレクションを振り返り、「アンチで人を驚かせるようなものはマイナーな場所には山ほどあるが、それをメジャーシーンでやることに意義がある 」として、「メジャーで、アンチで、びっくり 」をテーマに広告を制作していたと述べている。 また、「常に世の中やファンを裏切るような、次に何が出てくるかわからないような流れを作りたかった 」と述懐している。 自己最大規模の野外ツアー、4大ドームツアー開催、2度目の活動休止 1999年7月からは自身初の野外ライブツアー「」を全国6都市で開催。 「誰もコンサートをやっていないところで(ライブを)やろう 」という目的から、本公演では既存のスタジアムを用いず、各会場に特設ステージを設置する大掛かりなものとなり、全12公演で65万人を動員する自己最大規模のツアーとなった。 また、8月21日・22日に行われた同ツアーの東京・公演では、自己最多動員数となる12万5千人 両日25万人 を動員したライブを敢行した。 さらに、21日の東京公演はViewsic 現・ で、自身初のアジア各国におけるコンサートの同時生放送が行われた。 「」に起用された「」を2000年代突入の一曲目として初披露し、同月にメジャー初の両A面シングル「」としてリリースされた。 同年7月にはシングル「」をリリース。 同曲のは、CGを用いたダンス表現が話題となり 、『』主催の音楽賞「」において「BEST VIDEO OF THE YEAR」を前年の「」に続き2年連続で受賞した。 同年8月には8thアルバム『』を発売し、アルバムとしては5作連続ミリオンセラーを記録した。 1998年の活動再開から2000年までの3年間で、シングル13作、アルバム4作ものリリースし、その内の9作がミリオンセラーを記録した。 さらに、同年10月からはライブハウスツアー「CLUB CIRCUIT 2000 REALIVE」、同ツアー後に立て続けに自身初の4大ドームツアー「TOUR 2000 REAL」を開催した。 翌2001年には自身初となるベストアルバム『』を発売。 本作でシングル・アルバムを通じて11作目となるミリオンセラーを記録した。 また、本作制作にあたり、とのジョイント企画として期間限定特設ウェブサイトを開設。 アジアの8つの国と地域から人気投票を募り、各国で収録内容が異なるベストアルバムを発売した。 本作は同年4月下旬にアメリカ 、2004年にでも発売された。 2001年9月発売のシングル「」のリリース前後から、tetsuya・yukihiro・hydeが相次いで個人活動 を開始。 公式発表はないものの、実質的な活動休止状態に入る。 前述のように1998年以降のL'Arc〜en〜Cielは活動が集中的に行われていたため、急な活動の沈静化に一部では解散説も流れ、「もうL'Arc〜en〜Cielとしての活動は無いのではないか」と思われていた。 この活動休止に関してtetsuyaは、「どれが本当の理由か分からなくなるほどたくさんの理由があった」と語っている。 また、当時hydeが脱退を考えていたこと、tetsuyaが環境改善に取り組もうとしていたことが、各個人名義 で出版した本で綴られている。 2003年 - 2010年:『SMILE』『AWAKE』『KISS』 2年半ぶりのライブ開催、本格的な活動再開、自身初の海外公演開催 個人活動の開始から約2年半が経った2003年6月、でバンド名に沿った7日間のライブ「Shibuya Seven days 2003」を開催。 この公演が解散ライブになると当時噂されていたが、ライブ最終日には翌年の活動予定(シングル・アルバムのリリース、ライブツアーの開催)を発表し、それまで流れていた解散説を一蹴する。 上記ライブでの発表通り、2004年2月には2年5ヶ月ぶりとなるシングル「」を発売。 本作の表題曲はテレビアニメ『』のオープニングテーマに起用され、2000年以来4年ぶりにオリコン年間シングルランキングTOP30にランクインした。 そして、同年3月には3年7ヶ月ぶりとなる9thアルバム『』を発売。 さらに、5月よりアリーナツアー「SMILE TOUR 2004」を開催し、L'Arc〜en〜Cielの活動を本格的に再開した。 また、2004年7月31日には東海岸で開かれる地域最大のアニメコンベンション「 2004」の一環として「L'Arc〜en〜Ciel Live in USA」を開催。 にあるで行われ、自身初となる海外公演は1万1100人を動員するライブとなった。 さらに、翌2005年には1999年以来6年ぶりにシングル4作をリリースした。 中でも5月18日に発売したシングル「」は、7作連続でオリコン週間シングルチャート首位獲得を記録し、ミュージック・クリップは第9回のエンターテインメント部門の審査委員会推薦作品に認定された。 同年6月には10thアルバム『』を発売。 アルバムを引っ提げた国内ツアーを経て、初のアジアツアー「」を行い、、において自身初のライブを開催した。 結成15周年記念ライブ、9年ぶりとなるホールツアー開催、5ヶ月連続作品リリース 2006年には結成15周年を迎え、特別企画「L'Anniversary」を開始。 同年8月には「Blurry Eyes」から「forbidden lover」までのシングル14作の12cmCDシングル盤と、sakura逮捕に伴い当時発売中止したシングル「」を発売。 この再発によって、全15作がオリコン週間シングルチャートTOP30にランクインし、「同一アーティストによるオリコン週間シングルチャートTOP30入り」の記録を更新した。 さらにシングル再発に立て続いて、1999年に2作同時発売されたアルバム『ark』、『ray』に特典DVDを付属した15周年記念盤が発売された。 2006年11月25日・26日には、結成15周年を記念したライブ「」を東京ドームにて開催。 ライブ最終日には翌年のシングルリリースと9年ぶりとなるホールツアーの開催を発表した。 翌2007年5月にはシングル「」を発売。 また、「」のに起用された「」を同年8月にシングルとして発売することを皮切りに、シングル・アルバム・映像作品を5ヶ月連続でリリースすることを発表した。 さらに、前述のホールツアー「Are you ready? 2007 またハートに火をつけろ! 」では、同年12月に発売される11thアルバム『』の収録曲を含んだセットリストが組まれ、未音源化楽曲の先行披露をして全国32都市を廻った。 自身初の欧州公演を含むツアー開催、ライブ活動休止 前述のアルバムを引っ提げ、童話「」を題材にした演出やセットが組まれたライブツアー「TOUR 2007-2008 THEATER OF KISS」を2007年12月より開催。 ライブで新曲として披露された「」がゲームソフト『』の主題歌に起用され、翌2008年4月に発売された。 また、同月からは上海、、、ソウル、、大阪、東京という世界7都市を廻るライブツアー「」が開催され、日本公演含め30万人を動員した。 同年5月9日に行われた・パリの公演は、自身初のでのライブとなった。 また、このパリ公演は日本全国5ヶ所の映画館において、世界初となる海外コンサートの同時中継が実施された。 さらに、同年5月13日の朝刊記事で、シングル「」の発売および上記ツアー終了を持って結成20周年となる2011年までライブ活動を休止することを発表。 以後2011年まで各メンバーの個人活動の期間に充てられたが、あくまでライブ活動のみの休止のため、新譜は定期的にリリースされていた。 2010年には「」CMソングに起用された自身初のカバー楽曲「」を配信リリースした他、・のに起用された「」がシングルとしてリリースされた。 さらに、同年放送されたNHK紅白歌合戦に10年ぶり4度目の出場を果たすなど、テレビ出演含め音楽活動は途切れず継続された。 2011年 - 2019年:『BUTTERFLY』 ライブ活動再開、結成20周年記念ライブ、約3年3ヶ月ぶりとなるライブツアー開催 前年の紅白歌合戦への出場直後となる2011年1月1日にニューイヤーライブ「L'Arc〜en〜Ciel 20th L'Anniversary Starting Live "L'A HAPPY NEW YEAR! "」を開催。 L'Arc〜en〜Cielとしては約2年半ぶりのライブ開催となった。 また、同ライブではと動画共有サービスの連動企画が行われ、最後のhydeのMCからライブ生配信が実施された。 そのMCにおいて、hydeが公演翌日から作曲期間に入ることを宣言し 、本格的な始動を予告。 さらに、公演終了後に場内スクリーンでオールタイムベストアルバムとなる『』シリーズ3作と記念ライブの開催を発表した。 新年の発表通り、2011年5月28日・29日に結成20周年を記念したライブ「」をで開催。 本公演のセットリストは初日公演で結成から1998年までにリリースされたアルバムの楽曲を、最終日公演では1999年発売のアルバムから当時の最新楽曲を中心に披露し、2日間で1曲も被りがないものとなった。 また、本公演の収益全額を、公演2ヶ月前に発生したの被災地への義援金として寄付することをメンバーとスタッフの連名で発表した。 さらに、同年9月10日からはアリーナ、ドーム公演を含む約3年3ヶ月ぶりとなるライブツアー「20th L'Anniversary TOUR」を全国5都市で開催。 メンバー4人以外がステージに立つことが滅多にないL'Arc〜en〜Cielとしては珍しくステージ後方にストリングス隊を携えた構成で展開され、多数の楽曲にストリングスアレンジを施し披露されるライブとなった。 同年には前述の記念ライブで初披露された「」を含めシングル3作、翌2012年2月には4年3ヶ月ぶりとなる12thアルバム『』が発売された。 中でも2011年10月に発売されたシングル「」は、ロックバンドとして史上3組目となる・・の3つの十年代連続でのオリコン週間シングルチャート首位獲得を記録した。 さらに、同年12月には前述の結成20周年ライブの模様を収録したライブビデオの発売により、DVD総売上のミリオン突破を記録した。 世界10カ国14都市を廻るワールドツアー、日本人初のマディソン・スクエア・ガーデン単独公演、2度の国立競技場公演開催 2012年3月からは、香港、、上海、台北、、、パリ、、、ソウル、等、世界10カ国14都市を廻るワールドツアー「」が開催され、日本公演含め45万人を動員した。 同年3月25日には、アメリカ・ニューヨークにあるにおいて、日本人ミュージシャンとして初となる単独公演が行われた。 本公演について、hydeは「今までのライブの中で一番覚悟が違った。 戦いの日で、日本の旗を持ってきてライブをした気分だった 」、「アニメの力とか昔から聴いてくれてた人が集まったりしたことで実現した、ラルクだからできたこと 」と述べている。 さらに、上記ツアーの追加公演として、、、の国内3都市で野外ライブツアー「」が行われ、5月26日・27日には、ミュージシャンとしては史上4組目、ロックバンドでは初となる(通称・国立競技場)公演が開催された。 2014年3月には、1年10ヶ月ぶりとなる2度目の国立競技場におけるライブ「」を開催。 前回の同所での公演と異なり、フィールドに設置される花道を排除し限界まで座席を敷き詰めることにより、スタンド、フィールド含め8万人(両日16万人)を動員。 国立競技場でのライブにおいて史上最多となる動員数を記録した。 また、同年5月には同所で行われたライブイベント「SAYONARA 国立競技場FINAL WEEK JAPAN NIGHT」に出演。 この公演は全面建替工事前の国立競技場で行われる最後の音楽イベントとなり、L'Arc〜en〜Cielは最終日のトリを務め、全9曲を披露し国立競技場の長い歴史に花を添えた。 さらに、同年12月には前述のワールドツアーに密着したドキュメンタリー映画『』を全国72ヶ所の映画館で期間限定公開した。 本作が自身初のドキュメンタリー映画となり、同年公開された音楽ドキュメンタリー映画の中で、最速となる興業収入1億円突破を記録した。 4年ぶりとなるシングルリリース、結成25周年記念ライブ開催、自身初のクリスマスライブ開催 2015年9月には大阪・において史上初となるライブ「」を開催し、同ライブにて新曲「」を発表。 限定シングルを除いて約4年ぶりとなるシングルとしてリリースされた。 翌2016年9月には新曲「」の完成を発表。 同楽曲は映画『』の日本語吹替版主題歌に起用された他、同年に発売20周年を迎えたゲームシリーズともコラボし、世界初のVRミュージックビデオ「」を向けで制作・配信した。 2017年4月8日・9日には、結成25周年を記念したライブ「」が東京ドームで行われた。 また、翌年には自身初のクリスマスライブ「」を開催。 前述のライブにおいて募集したリクエストのうち「冬」をテーマにした楽曲を中心にセットリストが構成され、近年演奏されることがなかった楽曲が多数組み込まれた。 2012年に開催されたワールドツアー後の約7年間は、L'Arc〜en〜CielとしてのCDリリースはシングル3作とライブアルバム1作のみ、ライブ開催は単発ライブの8公演のみと活動ペースが急激に落ち込み、各メンバーの個人活動が活発化した。 バンドの活動ペースが落ち込んだことにより、一部報道で内紛・解散説が囁かれていたが 、2019年9月1日にL'Arc〜en〜Cielの公式に"20190902 4:00"というメッセージを掲載。 Twitter上で情報のヒントとなる文字を時間差でアップし、翌日4時に翌2020年に8年ぶりとなるライブツアーを開催することを発表。 また、同年12月2日にはツアー開催に先駆け、公式チャンネルを開設。 12月11日にはYouTubeチャンネルで一部楽曲のミュージック・クリップを公開、ライブ映像のプレミア配信を開始するとともに、()にてこれまでに発表した計428曲の全音源と計51作の全ミュージック・クリップを一斉配信した。 2020年 - 8年ぶりとなるライブツアー開催 前年9月の発表通り、2020年1月から8年ぶりとなるライブツアー「」 を3都市8公演で開催。 当初5都市12公演を予定していたが、感染拡大防止のため、2月28日~3月5日に開催予定だった4公演を中止している。 来歴 1990年代 1991年• 2月、大阪で結成。 結成当初のメンバーはtetsuyaを中心にhyde、hiro、peroの4人。 4月18日、で上記の4人による謎のセッション・バンドとしてライヴを行う。 5月30日、後に活動拠点を置いたで、「L'Arc〜en〜Ciel」名義での初ライブを行う。 8月31日、市川CLUB GIOで関東での初ライブを行う。 1992年• 3月10日、難波ロケッツで行われたライブにおいて、自主制作ライブビデオ『』を無料配布。 同年3月16日の公演においても同ビデオを無料配布。 6月12日、難波ロケッツで行われたライブでhiroが脱退。 後任としてkenが加入する。 10月1日、から発売されたオムニバス『GIMMICK』に「VOICE」が収録される。 これが自身の楽曲の初CD化となる。 11月25日、初の単独音源であるシングル「」を1000枚限定発売し、予約のみで完売する。 12月30日に行われたOSAKA MUSEでのライブでperoが脱退。 1993年• 1月16日、peroの後任に元The HAREM Qのsakuraが加入。 3月11日、コンサート「SONIC GIG」を恵比寿GUILTYにて開催。 4月10日、からインディーズで1stアルバム『』の限定版を発売。 4月27日に通常版を発売。 4月27日、コンサート「SONIC GIG II」を恵比寿GUILTYにて開催。 5月31日付けのオリコンインディーズアルバムチャートで『DUNE』が1位を獲得。 6月14日 - 7月3日、初のコンサートツアー「Close by DUNE」を開催。 8月1日にはで最終公演「Close by DUNE FINAL」を開催する。 10月13日、ミュージック・クリップ集『』を1万本限定で発売。 オリコンインディーズビデオチャートで1位を獲得。 11月9日 - 12月20日、コンサートツアー「FEEL OF DUNE」を開催。 1994年• 4月3日 - 4月15日、コンサートツアー「ノスタルジーの予感」を開催。 4月8日から14回に渡り、制作のテレビ番組「ノスタルジーの予感」を放送。 7月1日、1stビデオシングル「」で からメジャーデビュー。 7月7日、テレビ埼玉制作のテレビ番組「ノスタルジーの予感 第2章」を放送。 7月14日、2ndアルバム『』を発売。 7月14日 - 8月27日、コンサートツアー「Sense of time '94」を開催。 8月20日、、、による合同ツアー「L. 」の札幌公演へ、、と共にゲストアクトとして出演。 10月21日、1stシングル「」を発売。 12月1日、公式「Ciel シエル 」の入会受付を開始する。 「Ciel」は、「空」という意味。 12月1日、イメージビデオ『』を発売。 1995年• 5月21日、2ndビデオシングル「」を発売。 5月21日 - 6月27日、コンサートツアー「in CLUB '95」を開催。 7月6日、2ndシングル「」を発売。 7月22日、で行われたイベント「SHOCK AGE SPECIAL '95」に出演。 などと競演する。 7月30日、渋谷公会堂でキャンペーンイベント「Rendez-vous前夜祭」を開催。 当日渋谷駅ハチ公前のスクリーンにて告知が行われた。 8月22日、主催のライブイベント「彩の国秩父ミューズコンサート'95 NACK5 GO-ROCK」に出演。 、、と共演する。 8月24日 - 8月31日、メンバー自身による全国キャンペーンイベント「Rendez-vous 1995 Summer」を開催。 9月1日、3rdアルバム『』を発売。 9月9日 - 10月4日、コンサートツアー「TOUR heavenly '95」を開催。 10月3日から、エフエムナックファイブの番組「」の火曜パーソナリティを務める 1996年3月26日まで。 10月21日、3rdシングル「」を発売。 12月12日 - 12月25日、コンサートツアー「The other side of heavenly '95」を開催。 12月23日 - 12月25日、とのタイアップイベントを開催。 期間中、シングル「夏の憂鬱 [time to say good-bye]」のジャケットを持参した入場無料先着2万名にメモリアルカードがプレゼントされた。 園内では特設シアター「ドリームドーム」にてスペシャルビデオが上映された。 12月27日、「TOUR heavenly '95」の最終公演として、初のライブ「TOUR heavenly '95 final」を開催。 1996年• 3月21日、ライブビデオ『』を発売。 4月3日 - 5月29日、コンサートツアー「Kiss me deadly heavenly '96」を開催。 5月26日にはそれを挟み、で「Kiss me heavenly deadly '96 REVENGE」を開催。 7月6日から、の番組「」のパーソナリティを務める 9月28日まで。 7月8日、4thシングル「」を発売。 8月26日 - 9月4日、コンサートツアー「BIG CITY NIGHTS ROUND AROUND '96」を開催。 10月7日から、系『』内で『ボンジュール! L'Arc〜en〜Ciel』を開始 1997年3月11日まで。 10月17日、5thシングル「」を発売。 11月21日、6thシングル「」を発売。 12月12日、4thアルバム『』を発売。 初の1位獲得とミリオンセラーを記録する。 12月23日 - (1997年)1月29日、コンサートツアー「CONCERT TOUR '96〜'97 Carnival of True」開催。 sakura在籍時最後のコンサートツアーとなる。 1997年• 2月24日、sakuraが違反の現行犯で逮捕され 、事実上の活動中止となる。 10月17日、7thシングル「」を発売。 サポートドラムとして元ZI:KILL、DIE IN CRIESのyukihiroが参加する。 11月4日付けでsakuraが正式に脱退を発表。 12月16日 - 12月18日、バンド名を「the Zombies」として、シークレットコンサートツアー「Live Tour NIGHTMARE BEFORE CHRISTMAS EVE」をライブハウスで開催。 あくまで「ラルクのコピーバンド」として登場。 新曲や他のアーティストのカヴァー演奏なども披露した。 12月23日、初のライブ「L'Arc〜en〜Ciel 1997 REINCARNATION」を開催。 当日に日本衛星放送 現・ で、開演から終演までの完全生放送が行われた。 1998年• 1月1日付けで、yukihiroが正式なメンバーとして加入。 1月28日、8thシングル「」を発売。 2月9日付オリコンシングルチャートでシングル初の1位を獲得する。 2月25日、5thアルバム『』を発売。 2作目のオリコンアルバムチャート1位を獲得すると共に、初週の売上のみで2度目のミリオンセラーを達成した。 3月25日、9thシングル「」を発売。 また、オリコンシングルチャートで2作目となる1位を獲得すると共に、初の2週連続1位を獲得。 4月22日、ミュージック・クリップ集『』を発売。 5月1日 - 7月21日、コンサートツアー「Tour'98 ハートに火をつけろ! 」前半を開催。 7月8日、10thシングル「」、11thシングル「」、12thシングル「」を同時発売。 3枚で初動157万枚を売り上げ、同一アーティストが売り上げた最多初動セールスを記録。 発売2週目に「HONEY」が3作目オリコンシングルチャート1位を獲得し、「浸食 〜lose control〜」と共にオリコンシングルチャート1位と2位を独占。 また、「HONEY」「花葬」がシングルにおいて初のを突破し、その中でも「HONEY」は自身最高のセールスを記録した。 9月3日 - 10月21日、コンサートツアー「Tour'98 ハートに火をつけろ! 」後半を開催。 ツアー全体で、全国47ヵ所計56公演を開催し23万人を動員。 10月5日、系『』内で『L'Arc〜en〜CielのOH! DAIBA TO BLUE』を開始。 10月7日、13thシングル「」を発売。 4作目のオリコンシングルチャート1位を獲得すると共に、通算3作目のミリオンセラーを記録。 10月14日、14thシングル「」を発売。 5作目のオリコンシングルチャート1位を獲得し、前週に発売した「snow drop」と共に、史上初となる2度目のオリコンシングルチャート1位と2位の独占を達成。 11月21日、を受賞。 12月4日、最多リクエスト歌手賞、日本有線大賞を受賞。 12月23日、ライブビデオ『』を発売。 12月31日、優秀作品賞を獲得。 同時に に初出場。 曲目は「HONEY」。 1999年• 3月、第36回音楽賞、グランプリ受賞。 3月20日開幕の 、および8月21日・22日開催のに参戦した「」にスポンサーとして参加。 4月3日、『OH! DAIBA TO BLUE』が『』内へ時間帯を移動(同年6月26日終了)。 4月18日 - 7月4日、系「」のエンディングで楽曲を演奏するコーナーに出演。 4月21日、15thシングル「」を発売。 6作目のオリコンシングルチャート1位を獲得すると共に、2度目となる2週連続1位 12cmCD部門 を達成。 さらに、ノンタイアップながら通算4作目のミリオンセラーを記録。 6月2日、16thシングル「」を発売。 7作目のオリコンシングルチャート1位を獲得。 7月1日、6thアルバム『』、7thアルバム『』を同時発売。 2枚合算で初動300万枚以上を売り上げ、同一ミュージシャンが売り上げた最多初動セールスを記録した。 また、『ark』が3作目のオリコンアルバムチャート1位を獲得し、『ray』と共にオリコンアルバムルチャート1位と2位の独占を2週に渡って達成。 さらに、両作がダブルミリオンを超える売り上げを記録。 また、この日から8月31日まで62日間限定サイト「arkray. com」を展開。 7月17日 - 8月21日、野外ライブツアー「」を開催。 東京公演では1公演につき12万5千人 2日間で延べ25万人 の観客を、ツアー全体では65万人を動員。 また、8月21日の東京公演はでアジア各国同時の生放送が行われる。 8月11日 17thシングル「」を発売。 ミュージック・クリップ集『』を発売。 10月4日から系『』内の箱番組『』を開始。 10月27日、18thシングル「」を発売。 8作目のオリコンシングルチャート1位を獲得。 12月1日、ライブビデオ『』を発売。 オリコンDVD総合チャートで初の1位を獲得。 12月7日、1999年度受賞。 12月31日 に2度目の出場。 曲目は「HEAVEN'S DRIVE」。 協賛は。 本公演ではビッグサイト東館展示ホールに隣接するホールにおいて、大型ビジョンでライブの模様を生中継するリアルタイム・ヴァーチャル・ライブも開催された。 ライヴとヴァーチャル・ライブを合わせ5万5千人を動員した(ライブで3万5千人、ヴァーチャル・ライブで2万人を動員)。 2000年代 2000年• 1月19日、19thシングル「」を発売。 9作目のオリコンシングルチャート1位を獲得すると共に5作目のミリオンセラーを記録。 現時点でこの作品がL'Arc〜en〜Cielのラストミリオンセラーシングルとなっている。 4月7日、の、各社のJ-Sky Webで最新情報提供が全国一斉にサービスを開始。 同年5月17日には、・セルラー・各社のでもサービスを開始した。 4月17日、新曲「STAY AWAY」が、各携帯電話へ着信メロディサービスを開始。 全国のレコード店で限定200,000枚の着信メロディデータを掲載したフライヤーを配布した。 4月21日、公式ファンクラブ「Ciel」が「LE-CIEL ルゥ シエル 」に改称される。 6月28日、yukihiroプロデュースの・アルバム『』を発売。 7月19日 20thシングル「」を発売。 用『』を発売。 8月30日、8thアルバム『』を発売。 4作目のオリコンアルバムチャート1位、並びに5作目のミリオンセラーを達成。 10月8日 - 10月27日、ライブハウスツアー「CLUB CIRCUIT 2000 REALIVE」を開催。 11月4日 - 12月6日、初のツアー「TOUR 2000 REAL」を開催。 協賛は、。 40万人以上を動員する。 東京ドームでの4公演のうち、12月5日公演はYahoo! JAPAN内のコンテンツ「Yahoo! 携帯電話サービス「LE-CIEL NET」でも12月6日公演のライヴ動画中継が実施された。 12月31日、に3回目の出場。 曲目は「STAY AWAY」。 2001年• 3月14日 Yahoo! JAPANとのジョイント企画で初の『』を発売。 5作目のオリコンアルバムチャート1位を獲得、並びに6作目のミリオンセラーを達成。 現時点でこの作品がL'Arc〜en〜Cielのラストミリオンセラーアルバムとなっている。 携帯電話情報サービス「LE-CIEL NET」で着メロ配信サービスを開始。 3月28日、ミュージック・クリップ集『』を発売。 2作目のオリコンDVD総合チャート1位を獲得。 6月20日、ライブビデオ『』を発売。 7月4日、8thアルバム『REAL』の版を発売。 8月29日、で行われた、映画『』の試写会にシークレット出演し、「Spirit dreams inside」を披露。 9月5日、21stシングル「」を発売。 10作目のオリコンシングルチャート1位を獲得。 実質の活動休止状態に入り、各個人がソロ活動を開始。 2002年• 3月28日、「FLYING〜L'Arc〜ATTACK」レギュラー放送終了。 2003年• 6月25日、LE-CIEL会員限定ライブ「Akasaka Zero day」を開催。 6月28日 - 7月6日、でのコンサート「Shibuya Seven days 2003」を開催。 チケットは約3分で完売し、7日間で約9万人を動員した。 最終日は世界初の試みとして、NTTドコモのを用いたライブ映像の配信を行った。 12月17日、ライブビデオ『』を発売。 同時に『眠りによせて』-『heavenly 〜films〜』のDVD版、『A PIECE OF REINCARNATION』・『ハートに火をつけろ! 』のトールケース仕様廉価版を発売。 12月26日、で行われた主催のイベント「」にシークレットゲストとして参加。 新曲「READY STEADY GO」を初披露。 2004年• 2月4日、22ndシングル「」を発売。 11作目のオリコンシングルチャート1位を獲得し、2年7ヶ月振りに本格的な活動を開始する。 3月3日、23rdシングル「」を発売。 12作目のオリコンシングルチャート1位を獲得。 3月31日、9thアルバム『』を発売。 4月21日、アルバム『』を発売。 5月11日 - 6月27日、3年6ヶ月振りとなるコンサートツアー「SMILE TOUR 2004」を開催し、25万人を動員。 6月2日、24thシングル「」を発売。 13作目のオリコンシングルチャート1位を獲得。 7月24日・25日、およびで行われた「」へ出演し、12曲を披露。 7月30日、・、で行われたアニメコンベンション「 2004」の一環で、初の海外コンサート「Live in USA」を開催。 12月14日、ライブビデオ『』を発売。 12月19日、で行われた「」にシークレットゲストとして参加。 12月25日、「天嘉 参 -DANGER III-」にスペシャルゲストとして参加し、新曲「Killing Me」を披露。 12月26日、国立代々木競技場・第一体育館で行われた「鋼の錬金術師FESTIVAL」にシークレットゲストとして参加。 2005年• 1月13日、25thシングル「」を発売。 14作目のオリコンシングルチャート1位を獲得。 4月6日、26thシングル「」を発売。 15作目のオリコンシングルチャート1位を獲得。 5月18日、27thシングル「」を発売。 16作目のオリコンシングルチャート1位を獲得。 6月1日、ライブビデオ『』を発売。 3作目のオリコンDVD総合チャート1位を獲得。 6月22日、10thアルバム『』を発売。 6作目のオリコンアルバムチャート1位を獲得。 7月8日、の、「」のパーソナリティを1夜限りで務める 録音放送。 7月20日、28thシングル「」を発売。 7月22日、東京国際フォーラムで行われた「『』前夜祭」にスペシャルゲストとして出演。 7月28日、単発ライブ「AWAKE TOUR 2005前夜祭 「今夜奇跡が起きる!? 」」を開催。 7月29日、で行われたイベント「 ANIME FES. '05」にシークレットゲストとして参加し、3曲を披露。 8月6日 - 8月31日、コンサートツアー「AWAKE TOUR 2005」を開催、13万2千人を動員する。 9月3日 - 9月25日、・・日本のアジア地域3カ国を回るコンサートツアー「」を開催 韓国・上海では各1万人、東京では2日間で9万2千人を動員。 10月5日、HYDEがソロシングル「」を発売し、翌年9月まで再びソロ活動に入る。 12月14日、ライブビデオ『』を発売。 12月25日、tetsuyaが元のボーカル、のソロプロジェクト「」にサポートベーシストとして参加することを発表。 2006年• 6月21日、ライブビデオ『』を発売。 4作目のオリコンDVD総合チャート1位を獲得。 また、結成15周年企画の「L'Anniversary」を開始し、関連商品・イベントにはそれを示すマークが付与された。 7月15日 - 8月31日、J-POP CAFE SHIBUYAで「L'Arcafe」を開催。 メンバー考案のオリジナルメニュー販売のほか、過去の未公開ライブ映像(後にDVD-BOX『』へ収録)も公開された。 8月30日、「Blurry Eyes」から「forbidden lover」までの14枚のシングルと、未発売だったシングル「」 29thシングル を12cmシングル化し発売。 この再発売によって、にが記録した「同一アーティストによるオリコンシングルチャートTOP30入り」の記録を12から15へ伸ばした。 9月1日、にてオフィシャルファンクラブ設立。 11月25日・26日、東京ドームで結成15周年記念ライブ「」を開催。 チケットは約2分で完売し、2日間で約11万人を動員する。 12月13日、アルバム『ark』『ray』に特典DVDを付属した『ark 15th Anniversary Expanded Edition』『ray 15th Anniversary Expanded Edition』を発売。 2007年• 2月14日、ミュージック・クリップ集『』を発売。 4月4日、DVD-BOX『』を発売。 5月30日、30thシングル「」を発売し、活動を再開。 17作目のオリコンシングルチャートで1位獲得。 6月8日 - 8月30日、9年ぶりとなるホールツアー「Are you ready? 2007 またハートに火をつけろ! 」を開催。 7月28日、韓国・で行われたロックフェスティバル「」の2日目にヘッドライナーとして出演し、15曲を披露。 8月29日、31stシングル「」を発売。 18作目のオリコンシングルチャート1位を獲得。 9月12日、ライブビデオ『』を発売。 5作目のオリコンDVD総合チャート1位を獲得。 10月10日、32ndシングル「」を発売。 19作目のオリコンシングルチャート1位を獲得。 11月14日、33rdシングル「」を発売。 11月21日、11thアルバム『』を発売。 7作目のオリコンアルバムチャート1位を獲得。 12月5日、ミュージック・クリップ集『』を発売。 12月22日 - (2008年)2月17日、コンサートツアー「TOUR 2007-2008 THEATER OF KISS」を開催。 2008年• 4月2日 34thシングル「」を発売。 20作目のオリコンシングルチャート1位を獲得。 ライブビデオ『』を発売。 4月12日、上で「」を開設。 4月19日 - 6月8日、中華人民共和国・・・大韓民国・・東京・大阪の全7会場を回るコンサートツアー「」を開催し、約30万人を動員。 5月9日のパリ公演の模様は、東京・大阪・福岡・広島・新潟の全国5箇所のにおいて、世界初となる海外コンサートの同時中継が行われた。 5月13日の朝刊でニューシングルの発売と、2011年に控える結成20周年記念ライブの開催を発表。 これに関連し、記念ライブまでのライブ活動の休止を発表した。 8月27日 35thシングル「」を発売。 ライブビデオ『』を発売。 6作目のオリコンDVD総合チャート1位を獲得。 11月26日、33rdシングル「Hurry Xmas」の2008年版を発売。 2009年• 2月25日、ミュージック・クリップ集『』を発売。 3月25日、『』を発売。 5月20日、ライブビデオ『』を発売。 当時の男性アーティストとしては歴代1位タイとなる、7作目のオリコンDVD総合チャート1位を獲得する。 9月2日、ベスト・アルバム『Clicked Singles Best 13』の版を発売。 12月1日、tetsuyaが自身のアーティスト名を「tetsu」から現在の「tetsuya」へ改名。 12月9日、33rdシングル「Hurry Xmas」の2009年版を発売。 2010年代 2010年• 1月27日、36thシングル「」を発売。 3月10日、ベスト・アルバム『』を発売。 3月31日 ライブビデオ『』を発売。 「」の着うたフル、着うたフルプラス、PCでの配信を開始。 11月24日、33rdシングル「Hurry Xmas」の2010年版を発売。 12月31日、に4度目の出場。 曲目は「BLESS」。 2011年• 1月1日、ニューイヤーライブ「20th L'Anniversary Starting Live "L'A HAPPY NEW YEAR! "」をにて開催。 なお、ライブの模様は当日の19:00 JST からで生中継が行われ、直前に出演したNHK紅白歌合戦の会場・からの移動などの様子も中継された。 2月16日、ベスト・アルバム『』を「1991-1996」「1997-1999」「2000-2010」の3枚同時に発売。 3月9日、上記のCD3枚とDVDおよび特典を付属した『』をリリース。 3月29日、3月11日に発生した を受け、オフィシャルHP上にてメンバー・スタッフのコメントを掲載。 併せて、5月開催の「20th L'Anniversary LIVE」の全収益を震災の義援金として寄付することを発表した。 4月6日、DVD-BOX『』を発売。 5月28日・29日、で結成20周年記念ライブ「」を開催。 同公演は日本国内の映画館40ヶ所、および ・ ・ ・ ・ ・ 、2会場 の7ヶ国でが開催された。 6月27日・28日、で24時間 27日20:00 - 28日20:00、 に渡り、ミュージック・クリップ44曲を含む123曲およびライブビデオ『TOUR 2008 L'7 〜Trans ASIA via PARIS〜』からの映像を連続放送。 28日の19:00からはメンバー4人が生放送へ出演し、19:30からは東京・大阪・名古屋の3都市にある街頭ビジョンで生中継が行われた。 6月29日、37thシングル「」を発売。 7月21日 - 8月31日、SPACE SHOWER TV THE DINERで「L'Arcafe」を開催。 メンバー考案のオリジナルメニュー販売のほか、スペシャル映像も公開された。 9月10日 - 12月4日、コンサートツアー「20th L'Anniversary TOUR」を開催。 12月4日の公演は、日本国内の映画館54ヶ所および中華人民共和国 香港 ・中華民国 台北市、、 ・大韓民国 ソウル特別市 の3ヶ国で生中継が行われた。 9月23日、で開催された「2011」へ出演し、10曲を披露。 10月12日、38thシングル「」を発売。 21作目のオリコンシングルチャート1位を獲得。 これにより、ロックバンドとして史上3組目となる・・の「3つの十年代連続」でシングル1位獲得を達成。 12月21日、39thシングル「」を発売。 12月28日、ライブビデオ『』『』『』を発売。 男女通じてバンドグループでは史上3組目となるDVD総売上100万枚突破を記録。 12月31日、に5度目の出場。 曲目は「CHASE」。 2012年• 2月8日、12thアルバム『』を発売。 8作目のオリコンアルバムチャート1位を獲得。 2月22日・23日、「LE-CIEL会員限定ライブ」をで開催。 3月3日 - 5月5日、4年振りとなるワールドツアー「」を香港、上海、ソウル、台北、、、、ニューヨーク、ロンドン、パリの海外10都市にて開催。 3月25日の公演は、日本人のミュージシャンとして初めて単独公演が行われた。 また、アメリカ公演の模様は、日本全国29ヶ所の映画館で3月26日午前9時から生中継され約1万5000人を動員した。 公演は12thアルバム『BUTTERFLY』に付属するIDを特設サイト上で入力し、抽選によって獲得できる「公演チケット 777人 」と「Ustream上の生中継アクセスコード 10万人 」のいずれかの当選者が見ることを可能とした。 5月12日 - 5月27日、コンサートツアー「」を開催。 ツアー最終の公演は、ミュージシャンとしては史上4組目、ロックバンドでは初となった。 5月23日、「」、「」の着うたフル、着うたフルプラス、PCでの配信を開始。 5月31日、ホノルル・ワイキキシェルで初のハワイ公演「」を開催。 日の友好関係向上の架け橋になったとして、ホノルル市が同日を「L'Arc〜en〜Cielの日」 L'Arc〜en〜Ciel DAY と制定した。 6月1日、LE-CIEL会員限定ライブ「LE-CIEL Presents ハワイ アン シエル Special Live」をで開催。 6月9日 - 7月8日、で結成20周年特別展「L'Arc〜en〜Ciel 20th L'Anniversary EXHIBITION」を開催。 6月13日 『』を発売。 ライブビデオ『』を発売。 11月7日、ソニー・ミュージックエンタテインメントがへ参入したことに伴い、同所での楽曲配信を開始する。 12月26日、ライブビデオ『』を発売。 2013年• 3月20日、ライブビデオ『』を発売。 8月7日、iTunes Storeが同日に開始した「iTunesライブビデオ」において『LIVE TWENITY』の配信を開始。 2014年• 2月26日、BD-BOX『』を発売。 3月19日、『heavenly 〜films〜』から『WORLD TOUR 2012 LIVE at MADISON SQUARE GARDEN』の全18作品のBlu-ray Disc版を発売。 3月21日・22日、1年10ヶ月ぶりとなる国立霞ヶ丘陸上競技場でのライブ「」を開催。 スタンド、フィールド含め8万人 2日間で延べ16万人 を動員し、ライブにおける国立競技場の最多動員数となった。 本公演の模様は日本国内の映画館37ヶ所で生中継された他、、、、、、の海外20都市でもライブビューイングが実施された。 5月29日、国立霞ヶ丘陸上競技場で開催されるライブイベント「SAYONARA 国立競技場FINAL WEEK JAPAN NIGHT」の2日目公演に出演し、9曲を披露。 東京・大阪・愛知のソニービル他全国約1800店の家電販売店にて4K編集によるダイジェスト映像が順次上映された。 10月3日からは、中央改札内のソニーショーケースでも上映された。 12月5日には、このコラボ施策が「国際3D先進映像協会」による「グッドプラクティス・アワード2014」の4K部門本賞に選出された。 8月13日、完全受注生産限定作品「」を発売。 10月2日、音楽配信サイトのおよびにおいて、楽曲の ハイレゾ音源 配信を発表。 ちなみに「」「」及び「Don't be Afraid -English version-」『』以外の作品には、全曲リマスターが施された。 11月12日、ライブビデオ『』を発売。 オリコンBD総合チャートで初の1位を獲得。 また、音楽DVDとBDの週間売上枚数を合算したミュージックDVD・BDランキングにおいても初の首位獲得となった。 12月5日、2012年のツアー「WORLD TOUR 2012」の模様を収めたドキュメント映画『』を公開。 12月12日までの期間限定公開となる。 2015年• 4月15日、ドキュメンタリー・ビデオ『』を発売。 9月21日・22日、大阪・でライブ「」を開催。 夢洲地区がコンサート会場として利用されるのは今回が初となる。 本公演の模様は日本国内の映画館37ヶ所で生中継された他、中華人民共和国、中華民国、シンガポール、、、、アメリカ、フランス、、、、、、、の海外15ヵ国でもライブビューイングが実施された。 11月5日、「L'Arc〜en〜Ciel LIVE 2015 L'ArCASINO」のライブ音源のハイレゾ配信を翌月開始するに伴い、東京・大阪・愛知のソニービルに設置された「Hi-Res Tasting Spot」で先行試聴企画を開始。 12月2日からは全国の家電販売店でも先行試聴が開始された。 12月23日 40thシングル「」を発売。 音楽配信サイトのmoraおよびVICTOR STUDIO HD-Music. において、「L'Arc〜en〜Ciel LIVE 2015 L'ArCASINO」で演奏された「Driver's High」、「MY HEART DRAWS A DREAM」、「X X X」、「Wings Flap」、「HONEY」、「READY STEADY GO」のライブハイレゾ音源の配信を開始。 ライブ音源のハイレゾ配信は自身初のこととなる。 2016年• 9月13日、新曲「」の完成を発表。 また、より、社のゲーム『』とのコラボ企画となる、向けミュージックビデオ「」が併せて発表された。 本作はにて11月17日に配信。 さらに、本作の先行体験版が10月13日に配信された。 11月8日、新曲「Don't be Afraid」が製作である、上記ゲームの実写映画『』の日本語吹き替え版主題歌になることが発表された。 11月25日、「」の音楽配信サイトmora、iTunes Store、レコチョクでの配信を開始。 同日mora、VICTOR STUDIO HD-Music. 、e-onkyoでハイレゾ音源の配信も開始した。 12月21日、41stシングル「」を発売。 2017年• 3月1日、ライブビデオ『』を発売。 3月29日、、向け「L'Arcollection」の配信を開始(配信は同年4月7日迄)。 アーティストのオリジナル位置情報ゲーム配信は世界初となる。 4月8日・9日、東京ドームで結成25周年記念ライブ「」を開催。 同公演は日本国内の映画館50ヶ所、および中華人民共和国、中華民国、韓国、タイ、インドネシア、メキシコ、コロンビア、コスタリカ、ペルー、グアテマラの海外10カ国13都市16か所の映画館でもライヴビューイングが実施された。 2018年• 3月14日、iTunesライブビデオにおいて『15th L'Anniversary Live』、『20th L'Anniversary LIVE -Day1-』、『20th L'Anniversary LIVE -Day2-』の配信を開始。 3月28日、ライブアルバム『』を発売。 キャリア初のライブ音源が単独で収録されたCD作品のリリースとなった。 5月30日、ライブビデオ『』を発売。 2作目のオリコンBD総合チャート1位を獲得。 また、音楽DVDとBDの週間売上枚数を合算したミュージックDVD・BDランキングにおいても2度目の首位獲得となった。 12月12日 - 12月17日、のイベント広場野外ステージでイベント「L'ArChristmas Park」を開催。 12月19日・20日、東京ドームでライブ「」を開催。 同公演は日本国内の映画館50ヶ所、および、、でライブビューイングが開催された。 2019年• 12月3日、公式アーティストチャンネルを開設。 同チャンネルにて、1998年に3作同時でリリースされたシングルの表題曲「HONEY」、「花葬」、「浸食 〜lose control〜」のミュージック・クリップを翌週10日までの期間限定で3曲同時公開した。 12月11日、公式アカウントを開設。 さらに、において、「虹」、「HONEY」、「花葬」、「浸食 〜lose control〜」、「Driver's High」、「STAY AWAY」、「New World」、「DRINK IT DOWN」、「X X X」、「Don't be Afraid」のミュージック・クリップを無料公開。 また、同日より7日間連続で「YouTube Seven days 2019」と題されたライブ映像のプレミア配信企画が開始された。 また、各種()にて、これまで発表した全楽曲、全ミュージック・クリップのストリーミング配信を全世界で一斉解禁した。 12月18日、ライブビデオ『』を発売。 3作目のオリコンBD総合チャート1位を獲得。 また、音楽DVDとBDの週間売上枚数を合算したミュージックDVD・BDランキングにおいても3度目の首位獲得となった。 12月24日、公式ファンクラブ「LE-CIEL」の運営会社をに移行。 2020年代 2020年• 1月9日 - 2月9日、約8年ぶりとなるコンサートツアー「」を開催。 当初開催される予定の2月28日・29日の横浜アリーナ公演、3月4日・5日の国立代々木競技場第一体育館公演については、感染症の拡大に絡み中止を発表。 また、日本国内・香港・台湾・韓国・タイの映画館における当該公演のライブビューイング、中止公演において収録を予定していたWOWOWでの放送も同じく中止となった。 1月10日 - 3月5日、各種サブスクリプションサービス(定額制音楽配信)にて、プレイリスト公開企画「L'Arc〜en〜Ciel LIVE SET LIST L'Archives」を開催。 歴代ライブ30公演分のセットリストをプレイリストとして毎週金曜日に順次公開。 3月4日・5日にはコンサートツアー「ARENA TOUR MMXX」で披露された2パターンのセットリストが公開された。 不祥事 sakuraの逮捕• 1997年2月24日• sakuraが覚醒剤取締法違反で現行犯逮捕。 1997年2月27日• 裁判所から逮捕の事実が事務所へ行き渡り、メンバーでの緊急ミーティングを行う sakuraはにて身柄を拘束、接見禁止。 以後、3月11日ので事件の報道がされるまで、数回のミーティングが行われた。 1997年3月11日• 読売新聞朝刊で今回の事件が報道され、これ以降他のやなどでも事件の報道が行われる。 1997年3月29日• 前日にsakuraがされたことを受け、事件後初めて4人でのメンバーミーティングを行う。 1997年4月17日• 八王子支部で、sakuraの第1回公判が行われる。 1997年4月18日• ファンクラブ・マスコミ・スタッフなどに、今回の事件に関してメンバーの連名でコメントが発表される。 1997年4月27日• この日以降の各音楽雑誌に18日発表のコメントが掲載される。 1997年5月1日• sakuraに懲役2年・執行猶予3年の判決が言い渡される。 1997年10月17日• シングル「」を発売し、活動再開。 サポートドラマーとしてyukihiroが参加。 1997年11月4日• sakuraが正式にL'Arc〜en〜Cielを脱退。 1998年1月1日• 同日付でyukihiroがL'Arc〜en〜Cielのドラマーとして正式加入。 事件を受けての活動自粛等• 3月26日に発売予定だった7thシングル「」の発売を中止• 旧譜の出荷停止 4月21日に解除• ラジオ番組「ボンジュール! L'Arc〜en〜Ciel」が3月11日をもって放送終了• 4月に予定されていたファンクラブツアー「ハワイ・アン・シエル」の中止• 夏前に発売予定だったニューシングルのレコーディング延期• 野外ライブイベントへの出演中止• 各音楽雑誌でメンバーが持っていた連載等が休止 音楽性 音楽的影響・嗜好 メンバー 音楽的趣向(ジャンル) 影響を受けた・好きなアーティスト (太字はバンド、五十音順) 備考 hyde• 中学生の頃からブリティッシュ・ニュー・ウェイヴを聴き始めたといい 、hydeは「この頃ぐらい音楽聴いたのは、僕はこの後無かった 」「それぐらい感性の礎を築いた重要な時期だった 」と述べている。 音楽に目覚めたきっかけとなったミュージシャンとして『オフコース』 や『デュラン・デュラン』 を挙げている。 また、影響を受けたミュージシャンとしては『デペッシュ・モード』を挙げており 、自身が所属するバンド、VAMPSで同バンドの楽曲「Enjoy The Silence」のカバー音源をリリースしている。 音楽に目覚めた後、に傾倒し、中でも『ミスフィッツ』の影響を多大に受けており、「きっと一人だったらミスフィッツみたいなバンドをやっていたと思う 」と述べている。 2017年にはVAMPSの活動において、ミスフィッツのボーカリスト、グレン・ダンジグが属するバンド、『ダンジグ』ともアメリカのライブで共演している。 他にもモトリー・クルーの、のプロジェクト『』と、自身が所属するロックユニットVAMPS主催のライブイベントで共演を果たした。 ken• 80年代のをよく聞いており、ヘヴィメタルをテーマにした対談企画「IRON MAIKEN」を一時期雑誌で行っていたことがある。 2007年には企画タイトルの由来となったバンド、『アイアン・メイデン』のギタリスト、と対談している。 自身の音楽観が変わるきっかけとなったミュージシャンとして『ポリス』と『ボブ・マーリー』を挙げており 、「そのリズム感を感じさせるためのメロディとか、そのリズム感を感じさせるためのヨレ方を取り入れると、演奏するほうも聞いている方もハッピーになれると感じた 」と述べている。 影響を受けたギタリストとして、『ゲイリー・ムーア』、『マイケル・シェンカー』、『イングヴェイ・マルムスティーン』などのハードロックギタリストをよく挙げている。 また、自身がエンドースメント契約を結んだフェンダーギターを使用するアーティストでは、『ロイ・ブキャナン』、『ジェフ・バックリィ』を挙げている。 自身のソロワークでは多くのカバーを披露している。 洋楽では『コールドプレイ』、『トゥイステッド・シスター』、『レオン・ラッセル』、『レッド・ツェッペリン』を、邦楽ではツアーサポートメンバーの所属する『』『Hurry Scuary』といったバンドのカバーを披露している。 tetsuya• 楽器を始めたころはハードロックの他に『デュラン・デュラン』、『カルチャー・クラブ』、『』などをよく聴いており、初めて購入したベースもデュラン・デュランのベーシストであるジョン・テイラーも使っていたことのあるのベースだった。 tetsuyaは『ザ・キュアー』に関し「初期の頃の自分のベースプレイに影響を与えていたと思う 」「ラルクのギターがアルペジオでベースが動くっていう作りは、キュアーから影響を受けていると思う 」と語っている。 また、同バンドのボーカル・ギタリストのを自身のフェイバリット・アーティストとして挙げており、L'Arc〜en〜Cielでのを使用していることもその影響によるものである。 『デペッシュ・モード』のもフェイバリットとして挙げており 、1998年には同バンドのマディソン・スクエア・ガーデン公演を現地で鑑賞している。 tetsuyaはそのライブを「今までの人生の中で一番良かったライブ 」と述べている。 他にも『ガービッジ』について「自分のやりたいことに近くすごく影響を受けている 」と述べている。 yukihiro• 音楽に目覚めたきっかけとなったミュージシャンとして『一風堂』を挙げており、「すみれ September Love」をテレビで披露しているところを見たことが音楽を始めるきっかけだったと語っている。 他に邦楽では『SOFT BALLET』、『BUCK-TICK』を好んで聴いており 、後年には両バンドにそれぞれ属する藤井麻輝と今井寿によるユニット『』のサポートドラマーとしてレコーディング、ライブに自身が参加したことがある。 新宿UK EDISONというレコード店によく赴き、アンダーグラウンドシーンの情報を得ていたと述べており 、「と書いてあれば何でも買っていた。 そうやって聴いていた音楽をどうやってバンドに採り入れるかをいろいろ試行錯誤していた 」と語っている。 インダストリアル・ミュージックもレコード店で知ったといい、目覚めるきっかけとなったアーティストとして『ミニストリー』を挙げている。 1990年代のシューゲイザー、グランジ、オルタナティヴ・ロック といった音楽性を掲げ、2012年に()らとgeek sleep sheepを結成している。 同バンドでは、『ピクシーズ』、『ストロベリー・スウィッチブレイド』、『スマッシング・パンプキンズ』等 の洋楽のカバーを多く披露している。 L'Arc〜en〜Cielと「ヴィジュアル系」 1999年4月19日、の『』の5月1日放送分の収録にメンバーが参加した。 その日の収録では、L'Arc〜en〜Cielは2曲演奏する予定であったが、当日は1曲演奏終了時点でメンバーが演奏を中止、そのままステージを去るといった事態が起こったことが後日 報じられた。 事の発端は、当時番組のMCを務めていた・ がメンバーに対して「」と発言したこと。 そのトーク後に「HEAVEN'S DRIVE」の演奏を行ったが、tetsuyaは本来担当するはずのコーラスパートを無視し、演奏を終了。 ステージから捌けていく際には「ベースをぞんざいに扱う」など不機嫌な様子だったとされた 他に、「本来は2曲撮影する予定だったところを1曲で切り上げた」とも伝えられた。 また、tetsuyaが事件の数ヶ月後に受けた雑誌インタビューでは「 怒って帰ったのは 俺がファンなら格好いいって言う」「 『大人げないか正当か』の議論に対し 俺は大人だなんて一言も言ってないし、自分が大人だなんて思ってない。 中略 大人げなくて結構」 [ ]と発言するなど、行動に対して議論を呼んだ。 tetsuya自身は、今回の出来事を後年に「元々2曲を別々に収録する予定であり、楽器をぞんざいに扱い、キレてそのまま帰ったというのは間違い」と否定しており、実際は、番組に出る時点で要望などを事務所、レコード会社を通して番組に伝えていたが、それが司会の爆笑問題まで伝わっていなかった。 また番組の構成等においても番組側とL'Arc〜en〜Ciel側のスタッフとの間でちゃんと打ち合わせがなされていなかったとしている。 その結果、NHKとL'Arc〜en〜CielのメンバーおよびL'Arc〜en〜Ciel側のスタッフが話し合った結果、気持ちよく仕事をする環境が整っておらず、このまま収録を続行することができないという結論に達したため、スタッフ、爆笑問題等に挨拶をし次の仕事へ向かった」といった内容を語っている [ ]。 「司会の爆笑問題やNHK側のスタッフに責任がある訳ではなく、メンバーの意思を相手側に伝えなかったラルク側のスタッフに責任がある」「うちのスタッフに対してもっとちゃんとやってくれという意味での行動だった」 とした。 これに対し、長年語ってこなかった爆笑問題・太田光は、約20年の時が過ぎた2019年2月、自身がレギュラーを務めるラジオ番組 において「俺には何もキレてないし、俺たちにはむしろ"すみません"って」「彼らの名誉のために言っておくけど、本当に真摯な態度で、"申し訳ありません"って帰って行った」「番組プロデューサーからNHK側のミスでと伝えられた」言う旨の発言をした。 また、このラジオ放送を受けてtetsuyaはの有料チャンネル「てっちゃんねる」 にて、「太田さんの口から言っていただけると説得力がありますよね」「自分達のレコード会社とトラブルにはなったがNHKとはトラブルにはなっていない」「NHKにはその後オリンピックのテーマもやらせてもらった」等の発言をした事により、当時週刊誌等で報道された「ラルクと爆笑問題がケンカを起こした」と言う事実は無いと言う事が双方より語られた。 現在まで一貫してtetsuyaは自分たちを『ヴィジュアル系』というくくりに包括されることを頑なに否定し、『ヴィジュアル系』という呼び方、ジャンル分けを批判している ただし、『ヴィジュアル系』と呼ばれるバンドや音楽、ファッションは批判していない。 ちなみに、CD取り扱い店舗に、「L'Arc〜en〜Cielの商品はヴィジュアル系のコーナーに展開せず、J-POP・ROCKのコーナーに展開して下さい。 」という内容の書類がレコード会社から送られていたことがある。 uv Vol. で、ヤだなって 笑。 偏見持つわけじゃないですか、好きな人以外は。 」「ヴィジュアル系が好きな人からはともかく、一般的には、その肩書きだけでちょっと馬鹿にした目で見られるわけですよ。 音楽的にはたいしたことやってないとか、音楽が駄目だから見た目で勝負してるとか。 で、音を聴いてもらえなくなる。 そういうことに対して、すごく怖いなって思って……。 ただ、ステージに立つのにそれなりの服装をして、それなりにメイクを施したり髪型を整えたりするっていうのは、俺はアタリマエのマナーっていうか、人前に出るうえで当然のことだと思っているんで。 それは今でもそんなに変わってないですね。 自分が好きだったアーティストもみんなそういう格好をしていたし、メイクもしてたから、なんの抵抗もなかったわけですよ。 」と、tetsuyaは発言している。 「ヴィジュアル系」に対する他メンバーの反応• hyde - 自身がの様式に多大な影響を受けていることもあり、を例に挙げ「も好きだし、でも音楽も大好き」とした上で「そういう受け止められ方をして貰うと一番嬉しい」との発言もしているが 、その後のインタビューでは「 ヴィジュアル系と呼ばれることは 自分としては嫌だけど、世間がそう言うからには『しょうがない』みたいな諦めがあった」ともコメントした。 ken - 「ヴィジュアル先行で見られるのは嫌ですか」との問いに対し「そうでもない、先行というか同じ歩調で行けば別に…。 "この人、音楽は良いけど顔ダサい"って言われるよりは良い」と発言した。 また、2010年には自身の上で、「自身にどういうあだ名をつけるか」との問いに対して「ヴィジュアル界一の黒さ」と答えている。 yukihiro - ヴィジュアル系バンドに関し、「俺とかがヴィジュアル系って呼ばれていた時 ZI:KILL在籍時 は、『言うな』って思っていた」「自分達で『ヴィジュアル系です』って言うのが出てきた時点で ラルクはヴィジュアル系とは 違うと思う。 俺とかの頃は『ヴィジュアル系です』って言ってバンドなんかやってなかった」と発言。 評論家による評価 の元編集長であり、音楽評論家のは「誰がどう観ても聴いてもV系のくせにを頑なに拒否し続け」ていると評価している。 しかし、2016年の()主催によるヴィジュアル系バンドが集うフェス「」にtetsuya以外のメンバー3人がソロで出演しているが 、L'Arc〜en〜Cielとしては出演していないことに対し、市川は「他の三人がYOSHIKIちゃん祭りの壇上に上がっても、一人だけ出演しなかったtetsuyaの頑なさは、死ぬほど面倒くさいけど立派だと思う 」と評している。 楽曲制作 作詞 L'Arc〜en〜Cielの楽曲ののほとんどをが担当しており、特にシングルの表題曲は「New World」を除いた全ての楽曲において作詞を担当している。 詩を手掛けるにあたりhydeは、「他のメンバーが作る自分の聴いてきたジャンルとは異なるキャッチーな楽曲に詩を付けることに苦労した 」と述べており、自身が尊敬するの詩の言葉選びや、抽象的な表現を取り入れた と述懐している。 にソロで発売したアルバム『』の頃から、リスナーの歌詞についての誤解を避けるため抽象的な表現から直接的な表現に変化してきている。 、の元編集長であるは、hydeの歌詞に関し、「バラッドではかなり文学的な言葉世界を展開するものの、ドライヴ・ナンバーになると途端にわかりやすい言葉しか歌わなくなる 」「だからこそラルクの楽曲はどんな曲でも必ず"聴きとれる"。 これは実は凄いことだ 」と評している。 また、他のメンバーも『』以降のアルバムにおいて数曲作詞を担当するようになり、アルバム『』では初めてメンバー4人とも独自で作詞・を担当した楽曲が収録されている。 hyde以外のメンバーがL'Arc〜en〜Cielにおいて作詞を担当した楽曲は以下の通り(リアレンジ楽曲は除く)。 ken - 「」、「」、「」• tetsuya - 「」、「」、「」、「」、「」• yukihiro - 「 」、「」、「」、「」、「」• sakura - 「」 作曲 作曲はメンバー全員が担当しており、が4人いる故にそれぞれの楽曲が独自の個性を持っている点がL'Arc〜en〜Cielの楽曲の最大の特徴 であり、、、、、、、、など の要素を自由に取り入れた多種多様な楽曲が存在する。 元のベーシストで、プロデューサーのは、「アレンジをどのジャンルにも広げていける非常に珍しいバンド 」と評しており、「メンバーのあらゆるアイディアを一つの作品にまとめることはプロのやり方だけではできない。 ある種的で、レンジが広くないとできないことだと思う 」と述べている。 メンバーであるも「L'Arc〜en〜Cielは4人の作曲者がいて、それぞれにいろんな匂いがあるっていう面白さがあると思う 」と語っている。 hyde 「初期はカップリングを担当することが多かった 」とhyde自身が言うように、「」、「」など、初期の楽曲の多くがカップリングに収録されている。 hyde作曲の代表曲として、バンドとして最高売上を記録した「」や「」などが挙げられ、ライブではどちらも自身がを担当している。 また、「」においても自身が多くのライブでギターを担当している他、「」では、「」では、「」ではを演奏している。 ソロ活動のライブ・イベントでも、前述の「I'm so happy」や「」等一部の楽曲を演奏したことがある。 また、作曲に関して「L'Arc〜en〜Cielはなんでもやる音楽集団だからこそ、L'Arc〜en〜Cielにしかできないことを狙って作っている 」と語っており、ポップなテイストのクリスマスソングである「」 や、の要素を導入した「」 など実験的な楽曲を多く手掛けている。 ken L'Arc〜en〜Ciel内では作曲数が最も多く、これまで50曲以上の楽曲をリリースしている。 特に初期のアルバム 『』-『』 に収録されている楽曲はken作曲による楽曲が半数以上を占めており、以降のアルバムにおいても「」、「」、「」、「」、「」、「」 などken作曲の楽曲が多く収録されている。 ken作曲の代表曲として、バンド名の日本語訳でありバンドにとっての代表曲でもある「」や、ミリオンセラーを記録した「」、「」が挙げられる。 他にも「」、「」、「」、「」、「」、「」、「」など、様々なジャンルの境界線を越えたボーダレスな楽曲 が挙げられる。 また、自身の曲作りのスタンスに関して、「無理矢理作ろうとするのではなくて、その時に自分が感じる空気をそのまま曲にしている 」と語っている。 近年では「耳で聴いて感じる広がりをずっと持ったまま曲を作りたいから、最近は作る時に言葉とか画のイメージを持たないようにしている 」とコメントしている。 tetsuya 作曲数ではkenよりも少ないが、シングルの表題曲になっている楽曲は15曲以上に及び、作曲した楽曲のうち表題曲になった楽曲の割合はメンバー4人の中で一番大きい。 「アレンジする上でがしっかりしていることが大前提 」とtetsuya自身が言うように、tetsuya作曲の楽曲は浸透力あるメロディーラインが特徴。 tetsuya作曲の代表曲として、2001年以降の活動休止期間を経てリリースされた「」や、ミリオンセラーを記録した「」が挙げられる。 他にも「」、「」、「」、「」、「」などの疾走感のある楽曲や、「」、「」などの が挙げられる。 また、「」、「」、「」のようなをフィーチャーしたも多く作曲している。 さらに、前述のような明るい楽曲に対し、「」、「」などダークな楽曲も時折手掛けている。 yukihiro 他の3人と比べて作曲数は少ないが、アルバム『』、『』以降の全てアルバムに、自身が作曲した楽曲を提供している。 また、L'Arc〜en〜Ciel加入後長らくシングルの表題曲を担当していなかったが、2004年にバンドが活動を再開して以降、「」、「」を表題曲として発表している。 yukihiro作曲の楽曲は、前述の「New World」、「」や「」に代表されるように、、などを下敷きにしたマシーン・ビートをと同期させたプレイを多く取り入れているものを得意としている。 そのため、曲によっては他のメンバーが作曲した楽曲のによるアレンジを担うことが多い。 また、楽曲制作は原曲を提示した後、アレンジを他のメンバーと共同で取り組むことが多い。 例えば、「New World」ではサビをhydeが制作していることから合作としてクレジットされており、「」ではhydeがメロディーの制作を担当している。 また、「」ではkenと共同でアレンジを行っている。 編曲 楽曲のアレンジは結成初期からデビュー後しばらくまではメンバー自身が行っていたが、シングル「」以降はシングル曲のみ、4thアルバム『True』からは、全曲がを筆頭とするアレンジャーとの共同編曲となった。 1998年から現在まで、元のベーシスト・がプロデューサーとして参加しており、2005年までは大半の楽曲を岡野とメンバー共同で編曲を担当していた。 2007年以降はセルフアレンジの楽曲が多くなっているが、曲によってはアレンジャーを迎えてアレンジを行っている。 また、過去には以下の楽曲において、岡野ハジメ以外のアレンジャーと共同で編曲を行っている。 西平彰 - 「」、「」、「」、「」、「」、「」、「」、「」• - 「」、「」• - 「」、「」、「」• 秦野猛行 - 「」、「」、「」、「」• 富樫春生 - 「」、「」、「」• - 「」、「」• - 「」• - 「」• - 「」• しかし、1998年のシングル3枚同時発売時からあまりその形態にこだわらなくなった。 以後カップリングに過去の楽曲のアレンジやセルフカバーを除き、未発表曲を収録することは極めて少なくなった。 また、2003年にはアルバム未収録だったカップリング曲を収めた『』が、いわゆる企画盤ベストとして発売されている。 このリミックス音源は全曲再アレンジし、2000年に発売された『』に収録されている。 活動を本格的に再開した2004年からのシングルではメンバーのパートチェンジバンド""によるセルフカバー楽曲とのスプリットシングルという形態で発売され、一時期には収録されていなかったインストゥルメンタルも復活している。 このスプリットシングルという形態でのリリースは、37thシングル「」までの12作品で行われた。 2012年にはそれまでにリリースした全楽曲を収録したアルバム『』が、L'Arc〜en〜Cielの12作目のアルバム『』の完全生産限定盤の特典CDとして発売されている。 これをもってP'UNK〜EN〜CIELとしての活動は一旦の区切りとなった。 38thシングル「」からは、過去の楽曲にアコースティックアレンジを施した「L'Acoustic version」が収録されている。 楽曲のアレンジはP'UNK〜EN〜CIELのときと同様にメンバーが持ち回りで担当することになっている。 パートチェンジバンド L'Arc〜en〜Cielではバンド内の遊びも兼ね、不定期でメンバー間のパートチェンジを行うことがある。 またそこからの発展型として、過去 KIOTO キオト 、 D'ARK〜EN〜CIEL ダーク アン シエル 、 パンク アン シエル の3つのパートチェンジバンドが存在した。 この3バンドの共通項として、メンバー構成が同一という点がある tetsuya…ボーカル、yukihiro sakura …ベース、hyde…ギター、ken…ドラム。 KIOTO 1995年 - 1996年にライブのみで披露されたのコピーバンドで、「」をカバーしていた。 ちなみに「TOKIOのリーダー、の公認バンド」で「バンドの詳細は謎に包まれている」、という設定である。 D'ARK〜EN〜CIEL 1996年 - 1997年のライブで登場したスラッシーなメタルバンド。 他2バンドとは違い、オリジナル楽曲を演奏している。 詳細は「」参照。 P'UNK〜EN〜CIEL 2004年 - 2011年に活動していたL'Arc〜en〜Cielのカバーバンド。 L'Arc〜en〜Cielとして過去に発表した楽曲をパンク、ハードロック、ヘヴィメタル調にアレンジしシングルのカップリングとして収録していた。 詳しくはを参照。 また、その他のパートチェンジとして• 「L'Arc〜en〜Ciel Shibuya Seven days 2003」(2003年) -「trick」において実施。 メンバー4人が交互にボーカルを取り、yukihiroのボーカルパートではkenがドラムスを担当した。 「L'Arc〜en〜Ciel AWAKE TOUR 2005」(2005年) -「STAY AWAY」において実施。 「formation A」「formation B」の2パターンが存在し、「A」ではyukihiroとhyde、「B」ではyukihiroとtetsuyaがそれぞれ交代した。 「」(2006年) -「trick」において実施。 メンバー全員がボーカルとギターを担当した。 「」(2008年) -「STAY AWAY」において実施 海外公演のみ。 「」(2015年) -「trick」において実施。 メンバー全員がボーカルとギターを担当した。 「」(2017年) -「REVELATION」において実施。 tetsuyaとyukihiroがギターを、hydeとkenがを演奏した。 「」(2018年) -「trick」において実施。 メンバー全員がボーカルとギターを担当した。 「」(2020年) -「REVELATION」において実施。 メンバー全員がギターを担当した。 インディーズ時代では「Ber:Sati」というバンドとセッションした時にそのセッションバンド名を「B'Erc〜en〜Ciel」にしたことがある。 その時はの「1999-shyboy story」、「DEAR SECRET LOVER」との「SHADE」を演奏した。 作品 公式作品 「」を参照 非公式デモテープ L'Arc〜en〜Cielはインディーズ時代にを公式配布・公式販売はしていないが、音源が流出し、ファンや関係者によって勝手にタイトルが付けられジャケットも作られ、デモテープとして出回っているものが存在する。 もちろん 全て非公式品であり本物は存在しない。 ただし、「I'm in pain」については、歌詞カードのみライブで公式に配布されたことがある。 他にもアルバム『ark』、『ray』などに収録された楽曲など、メジャーで発売された曲のデモ音源もネットを中心に流出している。 Unfinished DEMO 7 tracks• Claustro phobia Shutting from the skyの原曲• 記憶の破片 Curelessの原曲• 追憶の情景• No Truth• Dune• Entichers• I'm in Pain hiro在籍時にレコーディングされた音源が流出したもの。 当初は、これらの楽曲が『DUNE』に収録予定であった。 この中で「Dune」だけが、後に『DUNE』に収録された音源とアレンジがほぼ同じである。 「I'm in pain」は2006年のライブ「」で演奏され、後にDVDに収録されている。 「記憶の破片」はhiroが結成したバンドFlame ex. Floods of remaster• Nostalgia• I'm in Pain 結成して間もない頃、ライブハウスのブッキング用に作成された音源が出回ったもの。 こちらもhiro在籍時の音源である。 「Nostalgia」はhiroが結成したバンドFlame ex. Voice• Voice kenが加入し、1992年に発売されたオムニバスアルバム『』に収録するために、録音したデモテイク音源。 は『Gimmick』に収録された音源と変わりは無い。 デモテープの中では一番出回っていない。 こちらは流出音源ではなく、知人などに配られたもの。 ミュージック・クリップ 監督 曲名 穴見文秀 「NEO UNIVERSE」 「Wings Flap」 「Anemone」 上田拓 「STAY AWAY」 A. 「DAYBREAK'S BELL」 大坪草次郎 「Driver's High -LIVE IN PARIS Ver. -」「CHASE -WORLD TOUR 2012 EDITION-」 栗田裕介 「風にきえないで」 「叙情詩」 後藤新吾 「Dune」「Floods of tears」「As if in a dream」「Blurry Eyes」「Vivid Colors」 高木照之 「White Feathers」「眠りによせて」 高田弘隆 「NEXUS 4」 「Pieces」 竹石渉 「winter fall」「DIVE TO BLUE」「HONEY」「snow drop」「Driver's High」「finale」「READY STEADY GO」 「flower」「Lies and Truth」「虹」「forbidden lover」「瞳の住人」 多田琢 「Pieces」「STAY AWAY」 「GOOD LUCK MY WAY」 「trick new2 wave of japanese heavy metal mix 」「fate everybody knows but god mix 」 「and She Said」 デビッド・ステットソン 「夏の憂鬱 [time to say good-bye]」 中島シンヤ 「Spirit dreams inside -another dream-」 「SEVENTH HEAVEN」 「風の行方」「瞳に映るもの」 「自由への招待」「Killing Me」「New World」「Link」 「Hurry Xmas」 東弘明 「CHASE」 Higuchinsky 「花葬」「浸食 〜lose control〜」「Anemone sub angle ver. 1 10月21日 渋谷公会堂 1994年 L. ・ (1995年8月22日 - 1996年3月26日)• ・(1996年 7月6日 - 1996年9月28日)• ・ボンジュール! L'Arc〜en〜Ciel(1996年10月7日 - 1997年3月11日)• ・(1998年8月28日、2005年7月8日)• ニッポン放送・L'Arc〜en〜CielのOH! DAIBA TO BLUE(1998年10月5日 - 1999年6月26日)• ・内のコーナー「」(1999年10月4日 - 2002年3月28日) テレビ CM出演• NTTパーソナル関西(1998年)• ・(1998年)• キヤノン・WonderBJ(1999年 - 2000年)• サントリー・(2010年)• としては1996年から参加。 である「 〜」を使用しない言語圏向けの表記やWebページのURLなどの一部媒体上では、「-(ハイフン)」を使用した「 L'Arc-en-Ciel」という表記が散見される。 2001年頃までの表記は、「」を含めた ラルク・アン・シエルとしていた。 におけるプロフィール欄に記載のパート、およびライブコンサートでの演奏が確認できるパートのみを記載。 なお、パートチェンジで担当したパート(含む)や、一部ライブでメンバー全員が同じパートを演奏したものは割愛する。 ライブやレコーディングにおいて一部の楽曲で担当。 ライブでは「」、「」、「」、「」、「」、「」などの演奏時に担当することが多い。 レコーディングではギターの他に、キーボード、バックコーラスなども担当する。 「」のライブ演奏時に担当。 「」のライブ演奏時に担当。 「」や「」のライブ演奏時に担当。 「」のライブ演奏時に担当。 「」のライブ演奏時に担当。 ライブでは、「」の演奏時に担当したことがあり、レコーディングでも稀に担当している。 「」のや「」のライブ演奏時には、「」では(で、ギターよりもスケールが長く音域も低い)も使用している。 「」を演奏する際に担当。 また、「」をライブで演奏する際にを用いてベースパートと兼任する。 また、自身作曲の「」では、tetsuyaがレコーディング時に仮演奏したギターソロのテイクが採用されている。 現在の表記は大文字で「ACID ANDROID」 2017年7月1日 - )• レコーディングではやを頻繁に担当するほか、一部の楽曲ではを担当する。 「」にて通常のではなく、アコースティック用の電子パーカッションセットで演奏をしている。 演奏時、稀にコーラスも担当。 英語直訳は「the arch in the sky」、日本語直訳は「空中のアーチ」• 「の音」で発音した場合• 現在は北館地下2階に位置。 ラルク・アン・シェルと誤表記するメディア・媒体もあったため、「シェルじゃなくてシ・エ・ル!」と強調した内容のCMであった。 hyde…『』名義のソロ、ken…『』ボーカル・ギター、tetsuya…『』名義のソロ、yukihiro…『』ボーカル• 読み方は「アリーナツアー トゥエンティ トゥエンティ)で、MMXXはで 2020を意味する。 (MM=2000、XX=20)• の代理として放送。 対象は『ASIALIVE 2005』、「L'Arcafe」、シングル15タイトル再発、「L'Arc〜en〜Ciel 15th L'Anniversary Live」、『ark 15th Anniversary Expanded Edition』、『ray 15th Anniversary Expanded Edition』、『CHRONICLE 0 -ZERO-』、『FIVE LIVE ARCHIVES』、『15th L'Anniversary Live』。 東北地方太平洋沖地震の影響で、当初の3月30日から発売日が順延。 ただし、ミュージック・クリップは順次配信していった。 公式の脱退理由は「音楽性の違いのため」。 2006年8月30日に発売 ナンバリング上は29thシングルとして扱われる。 1998年3月31日 - 4月6日に代替開催された。 報道ではによるものと伝えられている。 コーラスに関しては、当時オンエアされた映像でも確認ができる。 なお、L'Arc〜en〜Cielはこの年に行われたに出演し、この行為の以降にも『ポップジャム』『』へ多数出演している。 ただし、であり、の歌詞で男女の会話のみで構成されているため、hydeの歌唱パートは存在しない。 いずれの楽曲もメンバー個々のセレクトによるベストアルバム『』とメンバーとスタッフセレクトで収録曲が決定した『』シリーズに収録されている楽曲• ツアータイトルなし• tetsuyaの過労のため5月29日振替。 tetsuyaの過労で中止された4月10日公演の振り替え。 当初予定は12公演だったが、感染拡大防止のため、2月28日~3月5日開催予定だった2都市4公演を中止。 感染拡大防止のため中止。 運営会社は。 運営会社はジャパンミュージックネットワーク。 『THE HYDE』寶井 秀人、2012年1月29日• 1996年10月出版 シンコー・ミュージック「L'Arc〜en〜Ciel is」頁47~48• 14、リットーミュージック、2010年。 47-p. 48、1996年。 14-15、リットーミュージック、2010年。 51-p. 52、1996年。 アルバム『』ブックレットより、1993年。 16、リットーミュージック、2010年。 16-p. 17、リットーミュージック、2010年• NHK総合系特別番組『L'Arc〜en〜Ciel 20年の軌跡』2012年2月12日。 - ナタリー• 17、リットーミュージック、2010年。 - L'Arc〜en〜Ciel• - L'Arc〜en〜Ciel ディスコグラフィ• 『ark 15th Anniversary Expanded Edition』『ray 15th Anniversary Expanded Edition』特典DVD、2006年。 - musicman-net• Vol. 06 2000年代に突入し、邦楽MVにも訪れた目まぐるしい変化とは?] - PRONEWS• - L'Arc〜en〜Ciel• 「THE HYDE」、寶井秀人、ソニー・マガジンズ、2012年。 「哲学2。 」、TETSUYA、エムオン・エンタテインメント、2012年。 - ナタリー• - ナタリー• - ナタリー• - BARKS• - オリコン• - RollingStone• - ナタリー• — スポニチ、2017年5月21日• 186、1996年。 - Games 2005年8月9日 、2012年3月12日閲覧。 - 2010年12月31日 、2012年2月9日閲覧。 - 、2011年10月19日閲覧。 - ニコニコ生放送 2011年6月29日閲覧。 - 2011年6月29日閲覧。 2011年7月20日閲覧。 - ライブ・ビューイング・ジャパン、2012年2月9日閲覧。 - (2012年3月27日)、2012年2月28日閲覧。 - スポニチ 2012年3月27日• - ナタリー 2012年4月21日 、2012年4月21日閲覧。 - ナタリー 2012年1月13日 、2012年4月21日閲覧。 SANSPO. 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