失っても失っても生きていくしかない 歌。 竈門炭治郎のうた_椎名豪、中川奈美_高音质在线试听_竈門炭治郎のうた歌词

鬼滅の刃「竈門炭治郎の歌」を歌っているのは誰?歌詞の内容は?

失っても失っても生きていくしかない 歌

提供 ミュージシャン 野田洋次郎(RADWIMPS)(photo /Takeshi Yao) 新型コロナウイルス感染症に、世界中が翻弄されている。 閉塞感が社会を覆う中、野田は新しい曲を発表し続ける。 今、音楽を鳴らすことの意味とは。 AERA 2020年6月22日号から。 * * * 激動の3カ月だった。 3月15日に中国で先行無料配信された「Light The Light」を皮切りに、4月は「猫じゃらし」、5月には「新世界」「ココロノナカ」と、RADWIMPSは立て続けに新曲を発表。 バンドのフロントマンを務める野田にとっても忘れ難い3カ月になった。 野田洋次郎(以下、野田):「Light The Light」の制作依頼があったのは2月初旬です。 中国でお世話になっている方から、「新型コロナの影響で不安な生活を送る人々を励ます歌を作ってもらえないか」と打診がありました。 それで、自分が少しでも力になれるならとお引き受けしたんですけど、正直そのときはまだ、外の世界の出来事を眺めているような気持ちでしたね。 だが、「決して人ごとではなかった」と続ける。 3月下旬には、日本の累計検査陽性者数は千人に達した。 全国のライブハウスやイベント施設が休業に追い込まれる中、3月20日から予定していた国内ツアーは延期、ワールドツアーは中止せざるを得なくなった。 野田:かなり落ち込みました。 完全にツアーのモードになっていたので……。 予定していたワールドツアーは1年以上前から準備してきたものでした。 それが突然なくなって、どうやってメンタルを保てばいいのかわからなくなってしまった。 2~3週間は何も手につきませんでした。 そんななか、立ち直るきっかけの一つになったのが、5月8日の「ミュージックステーション」に出演を決めたことだ。 野田:それまでは曲を作ろうにも、出口の見えない社会で何を歌えばいいのかわからず、手をつけられなかった。 Mステの出演を決めたことで、「この日までに新曲を作る」という非常に明確な目標が与えられたので、それは救いになりました。 当日、RADWIMPSは番組で新曲「新世界」を初演奏する。 しかし、当初は、「ココロノナカ」という別の曲を披露する予定だった。 野田:実は先に「ココロノナカ」ができていたんですけど、自分で歌ってみてどうもしっくりこなかった。 これを歌うことで皆の心が癒やされてくれるのなら、それはもちろんうれしいです。 それで急遽作ったのが「新世界」でした。 野田:新型コロナウイルスによって、あぶり出された社会の仕組みや矛盾に対する自分なりの思いを込めました。 新型コロナによって「大丈夫な人」と「大丈夫ではない人」の差が、より大きな社会になっていると感じます。 終息しさえすれば元通りの日常を送ることができる人がいる一方で、仕事や家、大切な人を失ってしまった人もいます。 10代や20代の若い人たちも本当に大変で、学校もいつ再開されるかわからなかったし、就職活動にだって大きな支障が出ている。 アフターコロナの世界とひと口に言っても、見える景色や歩き方は、人によってまるで違ったものになる気がしています。 これからはより一層、他人のせいにはできない世の中になっていくと思う。 新型コロナに端を発する一連の動きの中では、社会のさまざまな分断線が浮き彫りになった。 特に休業補償をめぐっては「自粛を要請するなら補償すべきだ」と声が上がる一方で、「特定の業種や職業だけを救済すべきではない」との声もある。 野田:東日本大震災のときも同じでした。 必ず対立する意見が生まれる。 コロナはずっと黙ってるけど、不思議なことに、人間のドロドロした部分が勝手にあぶり出されている気がします。 ミュージシャンにとって、ライブができなくなることは、死活問題だ。 自身も個人事務所で、バンドをセルフマネジメントしている。 野田:ツアーが延期になって、会社や音楽活動が存続できなくなる危機感を強く抱きました。 僕自身は、今回の一件を通じて、「何が起きても自分の足で歩いていくしかないんだな」ということを強く感じました。 国に期待もしないし、補償もあてにしない。 バンドを始めた頃のようなマインドに戻っていますね。 誰にも泣きつくことができないのであれば、もう覚悟を決めてやるしかない。 一方で、この数カ月間、音楽で生きていくことの意味や、音楽が世の中から求められていることについて、改めて考えさせられることも多くありました。 今の社会や、もう少し先の社会で、はたして自分はどんな音楽を鳴らせるのだろうかと、すごく考えました。 明るく楽しい音楽も間違いなく必要です。 でも、ただ「頑張ろう」と励ますだけでは満たされない感情を抱えている人たちもたくさんいる。 そういう人たちを、音楽は勇気づけたり、癒やしたりできるのか。 今後、いろいろな形の音楽が問われるし、生まれてくるんじゃないかなと思います。 これからどんな音楽を生み出していけるのか。 その展望はまだ見えない。 しかし野田のまなざしは、すでに未来を見据えている。 野田:今は迷いの中で、その過程さえもさらけ出しながら進んでいる状況です。 1カ月前と1カ月後では、状況が全く変わっている可能性もありますし。 ただ、皆と同じ時代に生きて、同じ空気を吸って感じたことを、僕は音楽にし続けていくしかない。 その先で、実現するのが半年後か1年後になるのかはわかりませんが、やっぱりライブがしたい。 全国ツアーが延期になったときも「払い戻しせずにいつまでも待ってます!」と言ってくださる方がいて、僕自身、すごく勇気づけられました。 そのエネルギーが集まってツアーが再開できたときは、すごいライブになるだろうなと、今から楽しみでもあるんです。 いろいろな感情が込み上げてしまって、もしかするとまともには歌えないかもしれませんね(笑)。

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野田洋次郎 「希望を歌うだけでいいのか」 皆と同じ時代に生き同じ空気を吸って考えたこと

失っても失っても生きていくしかない 歌

提供 ミュージシャン 野田洋次郎(RADWIMPS)(photo /Takeshi Yao) 新型コロナウイルス感染症に、世界中が翻弄されている。 閉塞感が社会を覆う中、野田は新しい曲を発表し続ける。 今、音楽を鳴らすことの意味とは。 AERA 2020年6月22日号から。 * * * 激動の3カ月だった。 3月15日に中国で先行無料配信された「Light The Light」を皮切りに、4月は「猫じゃらし」、5月には「新世界」「ココロノナカ」と、RADWIMPSは立て続けに新曲を発表。 バンドのフロントマンを務める野田にとっても忘れ難い3カ月になった。 野田洋次郎(以下、野田):「Light The Light」の制作依頼があったのは2月初旬です。 中国でお世話になっている方から、「新型コロナの影響で不安な生活を送る人々を励ます歌を作ってもらえないか」と打診がありました。 それで、自分が少しでも力になれるならとお引き受けしたんですけど、正直そのときはまだ、外の世界の出来事を眺めているような気持ちでしたね。 だが、「決して人ごとではなかった」と続ける。 3月下旬には、日本の累計検査陽性者数は千人に達した。 全国のライブハウスやイベント施設が休業に追い込まれる中、3月20日から予定していた国内ツアーは延期、ワールドツアーは中止せざるを得なくなった。 野田:かなり落ち込みました。 完全にツアーのモードになっていたので……。 予定していたワールドツアーは1年以上前から準備してきたものでした。 それが突然なくなって、どうやってメンタルを保てばいいのかわからなくなってしまった。 2~3週間は何も手につきませんでした。 そんななか、立ち直るきっかけの一つになったのが、5月8日の「ミュージックステーション」に出演を決めたことだ。 野田:それまでは曲を作ろうにも、出口の見えない社会で何を歌えばいいのかわからず、手をつけられなかった。 Mステの出演を決めたことで、「この日までに新曲を作る」という非常に明確な目標が与えられたので、それは救いになりました。 当日、RADWIMPSは番組で新曲「新世界」を初演奏する。 しかし、当初は、「ココロノナカ」という別の曲を披露する予定だった。 野田:実は先に「ココロノナカ」ができていたんですけど、自分で歌ってみてどうもしっくりこなかった。 これを歌うことで皆の心が癒やされてくれるのなら、それはもちろんうれしいです。 それで急遽作ったのが「新世界」でした。 野田:新型コロナウイルスによって、あぶり出された社会の仕組みや矛盾に対する自分なりの思いを込めました。 新型コロナによって「大丈夫な人」と「大丈夫ではない人」の差が、より大きな社会になっていると感じます。 終息しさえすれば元通りの日常を送ることができる人がいる一方で、仕事や家、大切な人を失ってしまった人もいます。 10代や20代の若い人たちも本当に大変で、学校もいつ再開されるかわからなかったし、就職活動にだって大きな支障が出ている。 アフターコロナの世界とひと口に言っても、見える景色や歩き方は、人によってまるで違ったものになる気がしています。 これからはより一層、他人のせいにはできない世の中になっていくと思う。 新型コロナに端を発する一連の動きの中では、社会のさまざまな分断線が浮き彫りになった。 特に休業補償をめぐっては「自粛を要請するなら補償すべきだ」と声が上がる一方で、「特定の業種や職業だけを救済すべきではない」との声もある。 野田:東日本大震災のときも同じでした。 必ず対立する意見が生まれる。 コロナはずっと黙ってるけど、不思議なことに、人間のドロドロした部分が勝手にあぶり出されている気がします。 ミュージシャンにとって、ライブができなくなることは、死活問題だ。 自身も個人事務所で、バンドをセルフマネジメントしている。 野田:ツアーが延期になって、会社や音楽活動が存続できなくなる危機感を強く抱きました。 僕自身は、今回の一件を通じて、「何が起きても自分の足で歩いていくしかないんだな」ということを強く感じました。 国に期待もしないし、補償もあてにしない。 バンドを始めた頃のようなマインドに戻っていますね。 誰にも泣きつくことができないのであれば、もう覚悟を決めてやるしかない。 一方で、この数カ月間、音楽で生きていくことの意味や、音楽が世の中から求められていることについて、改めて考えさせられることも多くありました。 今の社会や、もう少し先の社会で、はたして自分はどんな音楽を鳴らせるのだろうかと、すごく考えました。 明るく楽しい音楽も間違いなく必要です。 でも、ただ「頑張ろう」と励ますだけでは満たされない感情を抱えている人たちもたくさんいる。 そういう人たちを、音楽は勇気づけたり、癒やしたりできるのか。 今後、いろいろな形の音楽が問われるし、生まれてくるんじゃないかなと思います。 これからどんな音楽を生み出していけるのか。 その展望はまだ見えない。 しかし野田のまなざしは、すでに未来を見据えている。 野田:今は迷いの中で、その過程さえもさらけ出しながら進んでいる状況です。 1カ月前と1カ月後では、状況が全く変わっている可能性もありますし。 ただ、皆と同じ時代に生きて、同じ空気を吸って感じたことを、僕は音楽にし続けていくしかない。 その先で、実現するのが半年後か1年後になるのかはわかりませんが、やっぱりライブがしたい。 全国ツアーが延期になったときも「払い戻しせずにいつまでも待ってます!」と言ってくださる方がいて、僕自身、すごく勇気づけられました。 そのエネルギーが集まってツアーが再開できたときは、すごいライブになるだろうなと、今から楽しみでもあるんです。 いろいろな感情が込み上げてしまって、もしかするとまともには歌えないかもしれませんね(笑)。

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竈門炭治郎のうた 歌詞 MV 視聴

失っても失っても生きていくしかない 歌

歌い継がれる"復興への希望の歌" SHARE 「地震にも負けない強い心をもって、亡くなった方々のぶんも毎日を大切に生きてゆこう」 優しいメロディーに乗せて歌いだすこの歌を、この25年、神戸の子どもたちは大切に歌い継いできた。 当時、私も小学5年生の神戸の子どもだった。 6434人の命を奪った阪神・淡路大震災から25年がたち、神戸の街で、その傷痕を見つけるのは難しくなった。 風化は避けられないのかも知れない。 しかしこの歌には、この街が負った傷も、苦境から立ち上がり歩んできた人たちがいたことも、そして、生きたくても生きられなかった大勢の人たちがいたことも思い起こさせてくれる、そんな不思議な力がある。 どのように生まれ、歌い継がれてきたのか。 大人になった今、作者に聞いてみたいと思った。 そして、歌に込められた思いを、伝えたいと思った。 「『ドッ、ドッ、ドッ』という地鳴りが聞こえた後、突然、電気が消えたと思った瞬間、激しい揺れに襲われた」 臼井さんは25年前の地震の瞬間を、今も忘れることはないといいます。 神戸市内にあった2階建ての自宅は1階部分が押しつぶされましたが、臼井さんは、直前に1階で食事を終え、偶然、2階に移動していたため命を救われました。 自宅を失い、親戚の家に身を寄せながらも、避難所となった勤務先の学校で、その運営にあたる毎日が続きました。 「音楽の先生なんて何の役にも立たない」 先の見えない状況に精神的にも追い込まれていたといいます。 震災から2週間後の夜、テレビに映し出された神戸の中心部・三宮の壊滅的な被害の様子が臼井さんの目に飛び込んできたとき、生まれ育った神戸の街への思いが、突然、こみ上げてきたのだといいます。 「地震にも 負けない 強い心をもって」「傷ついた神戸を 元の姿にもどそう」 避難先の親戚の家にあった紙の裏に、忘れないよう歌詞とカタカナの音階を一気に走り書きし、わずか10分で書き上げました。 「響きわたれ ぼくたちの歌」「生まれ変わる 神戸のまちに」 前向きな歌詞が並んでいるのは、子どもたちの歌声なら、希望を失った被災者を勇気づけられるかもしれないと思ったからでした。 そして震災から1か月後、まだ避難所だった学校で、子どもたちがこの歌を披露したとき、涙を流す被災者の姿がありました。 「子どもたちの清らかな声を聞いて多くの方が涙を流していたので、この歌は届くかもしれないという実感が少しありました。 子どもたちの声は希望に満ちていて、子どもの存在自体が未来を担う希望だったと思うんです。 歌を披露したとき、役に立たない自分にもできることがあったと思えました」 当時、臼井さんと同じ学校に勤めていた同僚の山本直子さんは今、市内の小学校で校長を務めています。 この歌を聞いて励まされる被災者の姿を間近で見てきました。 山本直子さん 「家も仕事も失って、勇気も意欲もなくなっていた大人たちにとって、小学校にいる子どもたちは希望の光で、この子たちのために『また頑張らなあかん』という思いを持たせてくれた歌だと思います。 やっぱり歌の力ってあるなと思いました」 歌は近くの学校から徐々に広がり、やがて震災の追悼式典でも歌われるようになりました。 さらに東日本大震災など、各地で災害が起こるたびに被災地に届けられました。 神戸出身のシンガーソングライター、優利香さんです。 なぜ、彼女は、歌うのか。 小学校の授業で震災を学び、あちこちから火の手が上がり、いくつものビルが倒れた街の写真に衝撃を受けました。 そして、この歌に出会ったとき、すっと心に響き、震災を初めて自分のこととして考えられるようになったといいます。 優利香さん 「震災を知らない子供たちみたいな言われ方もするんですけど、知らないし、経験していないからといって、何も感じてないわけではなく、泣きながら『しあわせ運べるように』を歌ったり、真剣に授業を聞いたりして、神戸の子どもたちは、みんなひとりひとりが、阪神・淡路大震災に対しての思いを、ちゃんと胸に持ってると思っています」 この冬も夜の路上で、ギターを手に「しあわせ運べるように」を歌う優利香さんの姿がありました。 透明感のある伸びやかな歌声で、一つ一つの歌詞を大切に歌う姿に多くの人が足を止めていました。 伝えたい大切な思いを、子どもたちに託しているのだと言います。 「亡くなった方々のぶんも毎日を大切に」、多くの人が命を失った震災に、まだ向き合うことができていなかったのかもしれない。 あれから25年がたち、神戸を離れていた私は、転勤で再び関西に戻り、この歌が、ずっと歌い継がれきたことを知った。 今ならば、歌詞に込められた思いを受け止めることができる。 私も、次の世代に伝えていきたいと思う。

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