文芸ジャンキー。 白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々

ジャンキージャンクガンズ~鉄想機譚~

文芸ジャンキー

持参したホワイトボードに描いたので、もう写真でしか見られませんが。 この日は、予定通りに 〈 文芸ジャンキー・パラダイス〉の新年オフ会。 『 第29回文芸ジャンキーオフ会』に行ってきました!! ちなみに〈文芸ジャンキー・パラダイス〉についてはこちら。 で、このオフでは。 主催者のさんや、参加者の皆さんがそれぞれ おススメのアートを紹介するというものになっていて。 しかも、 そのアートというのは自分の言った旅の記録だったり、料理だったり、武術やスポーツだったり、自作品の紹介でも構わないので。 かなり幅広いジャンルのものを紹介していただけ、今回もスゴイ興味深いものがいっぱいありました!! 主催者のさん、参加者の皆さん!! ありがとうございました!! で、色々書きたいものは多いのですが。 例えば料理好きとしては うどんとか。 動物好きとしては カエルとか。 あと僕の好きな芸術家のも好きだったので メキシコの遺跡とか。 音楽も聴きたいし、読書好きとしては の小説や 俳句も読みたいし。 ハワイに関しては観光と言っても元から的な方向で興味があったので、そっちの意味で気になったし。 あとは。 は何故か僕は『』と『』くらいしか見ていないから。 「試合の為に戦う機体」という本来のとは全く違いイメージがついているので。 普通の……と、言うのも変ですが、とにかく一般的なを見てみたいですね~ 国宝展は行けなかったのが残念です。 ちなみに、書は全く分かりませんが。 なんとなく、 自分で書いてみればいかに上手い人の字が上手いかわかる気もしています。 それと。 あれ、よく考えているというか……発想している人、いつも何を考えているんでしょう? 正直、 あれとのロボットの合体込みのデザインを考えている人の思考法は気になるもののうち、上位に入ります!! あと について、 あえてあまり人気がなかったのを紹介しているあたりは、個人的に好きだし。 についての紹介は 特撮ファンとしては非常に気に入りましたが。 今回 特に興味深かったのは、 自分に関連するもので 3つありまして。 僕自身がで 『 最終復讐者 絶夢』と一連の作品群を作りたいと思っていまして。 まだ二回しか紹介していませんが。 一応大雑把な設定はあります。 ……と、まあ、こんな感じで。 作品を計画中なので。 SCPという作品があるのは興味を持ちました!! ちなみに。 『最終復讐者 絶夢』は 復讐者とありますが。 作品の設定を見ての通り、 本来は 文化芸術活動で人間を虐げる社会に立ち向かうという形での〈復讐〉が基本で。 ただ、 ヒーロー作品でもあるのでどうしようもない〈 最終〉的な状態になったら変身して戦う……という作品でもあります。 で、もう一つ気になったのは。 僕の絵は、一応は受験の時にデッサンなどは学んだものの。 その際は自分がやりたいキャターデザインではなく。 何故か講師に勧められて油絵を描いていて。 しかも その講師に「お前は才能ないから期待していない」とさえ言われたので。 全く、絵が描けない状態にまでなり。 その後、今の絵は独学で描いているので。 に非常に近いというのもあります。 まあ 〈 〉や の作品は気に入っているし。 この前は地元のの作品展に行ってきましたので。 そういう点でも、この紹介は興味深かったです!! ちなみに、この時の記事はこちら。 で、さらに。 の作者の中には結構悲惨な人生を送っている人もいますが。 僕の場合。 僕の11歳の誕生日の翌日に亡くなった母について。 その当日に。 今まで聞かされていた「病院で入院していた」というのは嘘で。 実際は家事や育児のストレスで実家で療養していたのが、で亡くなったと聞かされ。 以来、 母は僕のせいで死んだのだと思っていたこと。 さらに。 20歳の時に、 僕が受験をするきっかけになった友人が変死していて。 彼も浪人生だったが、僕の方が彼が亡くなる前に受験を諦めていたこともあって。 30歳……というか。 このオフの約2か月ぐらい前まで。 「 自分が生まれた事は罪だ」 「 友人を助けることもできなかった」 と思って生きていました。 いや、実際は。 母に関してはそんな無責任な発言をしたのち。 そもそも 母親に関する話題を家庭内で一切しなかった 父がおかしいのだと。 友人の死を受けて、哲学や心理学の本などを大量に読んだ 25歳の時には気がついていたのですが。 父にそれを言ったら 「 恨むなら母さんを恨め」と言われたし。 周りは周りで 「男手一つで子供を育てた良い父親」だと言うしで。 特に父は。 どうも。 父の無神経な発言によって。 精神を病んだ状態で家事をしていた自分が、父からされたことを 考慮すると。 父は精神を病んだ人を自分に依存させ。 詳しくもないことを「よく知っている」だとか「専門家だ」などと言い。 そして特に考えもない計画に巻き込むので。 下手をしたら母が亡くなった理由自体が、父のせいである可能性があり。 そうすると、 男手一つでの子育てさえ〈 自業自得〉どころの話ではない事になってしまうので。 全く、感謝のできないオヤジということになります!! というか。 そう考えた方が、僕自身が楽です。 正直、今。 約20年ぶりに生きていて楽しいので。 ちなみに。 母の件が解決したと同時に、友人の件も。 可哀そうではあるけれども、おそらく事故死であって自分のせいではない……と、推測できたので。 まあ、 こちらの罪悪感もなくなったというのもあります。 で、まあ。 から話は飛んで。 オフでも紹介した 〈 戦業主不〉ですが。 これは。 当然 「母が 家事育児のストレスで亡くなった」から来ていまして。 ただ、 僕自身はいまだに 自分が生まれたのが間違い だとは思っているので。 最初から、 結婚願望がない……というより。 会の結婚制度に反対しているので。 結婚とかではなく、 自分が必要なところに行って家事をする……。 結婚したのち、養子をとる……でしょうか? ただ、大人の事情で子供を扱いたくないので。 養子自体、大人である必要性があるのですが。 あるいは。 どうしても誰かが育てなければならない子供がいたら育てますけど。 恋愛や結婚にしろ 子育てにしろ。 僕は 異性が好きだとか、子供が好きだとかいう以前に 〈 人間が 好き 〉なので。 ……しかし。 自分自身を。 「 ヒトにあって 人にあらず」とさえ言い。 ただの ヒトという獣 にすぎないとも扱う者が人間好きだというのも変ですが。 まあ、今の自分は。 戒めるために悪あるいは罪を 憎む存在。 すなわち 〈改造人間〉ならぬ 〈 戒憎人間〉ですので。 カイゾウニンゲンが 人間の自由の為に、悪と戦うのはこの世界ではよくあることなので。 ここまで話せばわかるように。 『 、あるいは現代のプロメテウス』は。 大好きな作品です!! あの怪物はまあ、自分の先輩みたいなものですから。 とはいえ、 今の自分にとってのの怪物のイメージは。 『』シリーズの女性キャターの、通称フランちゃんですけども。 まあ、何せ僕は自分の事を。 〈 〉〈 名状しがたきもの〉 とさえ呼んでいますので。 という訳で。 この国が僕にとっての戦場だからです。 確かに。 この国でいわゆる武力暴力による戦闘は行われていませんが。 しかし。 この国には 人間を虐げる圧力のようなものがあるのは確かで。 これが具体的な政治団体とか、企業とかではなく。 この国全体の体質というか、あるいは下手をすれば 人間社会全体の歪みのようなものかもしれませんが。 これを 〈 敵〉とみなし、完膚なきまでに倒すことが僕にとっての 〈 戦闘〉であるという事です。 ちなみに。 その戦い方については。 この記事では対個人用の 家事を使った〈 戦闘法〉を書いていますが。 そもそも 戦場での〈 敵〉は、歴史的に見たら敵の兵士や兵器より。 栄養不良、 精神異常、 疫病のような健康問題が多いというのは。 全く軍事的知識のない自分でも知っている事なので。 家事のスキルはそもそも戦闘に必須なものでもある。 と、考えています。 この時代、この国において。 ここまで格差が広がっている以上。 武力はもちろんの事。 財力、権力でも革命のようなものは起こせないかと思いますが。 魅力なら別です。 魅力というと、何かあまり強そうに感じませんが。 〈本来なら 鬼 のような力を使うことができる者が、 鬼未満の 力で相手を精神的に屈服させる〉 という事なので。 まあ 正義のためなら鬼となる……と、いう事です。 ここまで書いたので言ってしまえば。 国のやり方に逆らうのが〈非国民〉ならば。 僕など、 そもそも会のやり方に逆らっている段階で 〈 非社会人〉であり。 さらに、 仮に人類が〈人間〉を虐げてでも繁栄・存続するならば 〈 非人類〉になってでも人間のを護ろうかとさえ思っています。 僕は自分が生まれた事が罪と思って生きてきた段階で。 種を残して存続する人類は、苦しみを増やすだけだから滅んだ方がマシだと思っていたので。 この国 は。 僕のような異常者を生み出しておいて全く助けなかったような国なので。 最初から敵対するしかないです。 正直言って。 まあ、 今は人類を滅ぼすのではなく。 人類が この世に生きる意味を見つけるか。 高次元存在かなんかと接触するか、あるいは 人類自らが上位存在に進化したら。 僕は自分の存在そのものが間違っていると思って生きていた 結果。 自分の持つ属性(レッテル)例えば年齢、性別、国籍、人種、民族……などをすべて消去した。 〈 何でもない何か〉になりたいとさえ思って10代を生きていたので。 特に 日本人だからどうだとか、そういう感情そのものがないです。 強いていうならば 〈この身体が日本産のヒトという動物〉でしかないかと。 まあ、でも現在は。 日本人であることも、男性で30歳であることも。 所詮はこの〈 今〉という一点の在り方にすぎない。 と思っているのでそんなに気にしていません。 結局のところ。 自分なんて言うものは。 今この時にしか存在せず。 過去の自分はすでに自分ではなく、未来の自分もまた自分ではない。 という事になります。 この場合は仏教的に 一切皆空というべきか。 あるいは聖書を引用して 「 明日のことまで思い悩むな。 明日のことは明日自らが思い悩む」とするべきか……いや。 カルペ・ディエムでもいいですかね? まあ、好きなのを選んでください。 〈いい言葉は決してなくならない〉とさんの小説『 』でありましたが。 まあ、 人間が至る答えなんて大体似たようなものってことかもしれません。 とはいえの 「 明日死ぬと思って生きなさい。 永遠に生きると思って学びなさい」を出すまでもなく。 今日しか考えずに、何も学ばないのなら意味がないですが。 まあ 『 !!』の曲「Step! ZERO to ONE」で言っている。 頭の中 お花畑という話。 そもそも、 僕の名前自体が 植物なので。 例えるなら。 〈 侵略する呪海〉〈 深淵の花園〉〈 毒華繚乱〉〈 業華賢嵐〉という感じで。 まあ 、自分の場合は 思想という 種 をまるで からののように。 獰猛に 増殖させ、 駆逐不能なまでに会に根付かせ、社会そのものを 蹂躙し 喰い尽くすイメージなので。 最早、ただ奇麗なお花畑……ではないです。 頭の中に渦巻いているものは。 この辺りの植物の危険性は。 『 鎧武』かアニメ版 『 』でも見ていただきたいかと。 ……どちらも脚本がさんですけど。 まあ、そもそも 奇麗なお花畑創るのだって、邪魔な雑草抜くし。 その花畑の中でも虫とかが平然と弱肉強食を繰り広げているので。 戦わなければ生き残れない!! ってことでもあります。 さらにさらに。 ええといわゆるガチャ……というより 物欲の話も少し。 僕の場合は、 所有欲がない……のではなく。 宇宙の総てをすでに自分のものだと思っているので。 別段、 誰かが持っているものを無理までして自分の手元に置きたいとか。 そういうのはないです。 どうしてもこれは手元に置きたいというものに関しては多少頑張りますが……。 そういうレベルまで「いらない」となると今度は逆に「所有しない」という事にとらわれているので。 まあ、気分次第ってところですかね? ちなみに。 この方法でやると。 どうしても欲しいキャラのピックアップ時にはそれなりにガチャを回すアイテムが集まっているし。 それで駄目な時に課金しますが……。 ただ、 ほとんどの場合またピックアップイベントは来るので。 『 』の去年の夏イベントの 水着ノッブ みたいに。 本当に期間限定っぽい奴は欲しいですけど。 流石に。 おそらく、今年の夏に復刻イベントはあるだろうけれど。 その先手に入るかわからないので。 そもそも生まれたのが間違いだと思っていた自分は、 命や人生すら誰かのために捧げようと思っていたので。 そういう意味でも所有欲は比較的少ないのかもしれません。 フィクションのキャラみたいに死ねるわけがないので。 「 誰かのために死ななければならないかもしれないが、死ぬのは怖い」。 と悩んでいましたが。 そして。 ええと、もうこの段階で8000文字超えているので。 今回はこの辺りでやめておこうかなぁ? また、いつかこういう話をできればしたいかと思っているので。 「タルカス」のオーケストラアレンジが使われていたやつ : だけでも語ればまあ一日楽しめるかと。 個人的に『ネクサス』が思い入れがあります : 2018年1月17日 : というか、町田市のヒーローである『超伝神トライブレイバー』を含め、ヒーロー作品群でをする予定でしたが。 つまり、この宇宙に存在しないはずの存在なので、宇宙意志すら僕に関しては予測外だという事になります。 まあ、科学にしろ芸術にしろ、間違いや失敗から優れた発明や作品が生まれることは多々あるので。 間違いが悪であるというわけではないかと : そもそも、父がおかしいと理解したところで、長年の価値観である「親(あるいは大人)は子を私利私欲のために産み育て、子はそれに憎悪を燃やして叛逆することで成長する」という価値観がすぐになくなるわけではなく、おそらく下手をしたら一生この価値観のままでしょう : いや、まあ。 そんなオヤジ持ってしまったら反対せざるを得ないというか……まあ、そうなるかと思いますが。 また、この問題を他者に相談するたびに「それは親の愛だ」などと言われたので、そもそも親子愛を信じられるかが謎です。 現在はかろうじて母の遺品などからそういうものもあるのだろうと推測しているだけです : 「世界中大きなファミリー」あるいは「地球が我が家」というやつです。 特撮的には : 好きなのはあくまで〈人間〉であって〈人類〉ではないです。 あとに書いているように〈人類〉が〈人間〉を虐げてまで存続するのなら〈人類〉は滅んで結構です。 また、人間好きと言っても〈自称人間〉であるだけの人間以下の外道は別です。 また逆に人間でなくても良いものは良いと思っています : 今まで恋愛をしなかった理由は〈自分の存在そのものが悪ならば、好きな相手を悪と付き合わせるわけにはいかないから〉であり、また他人のとはいえ子供の面倒を見なかったのは〈子供に悪影響な存在だと自分を持っていたから〉です : 名称はどうも生みの親から名を奪ったというメタ的というのか……そんな扱いですね。 確か : いや、それじゃないです。 何故どさくさに紛れてネタ入れますか : この場合の国は自然や文化ではなく、政治とかそういう意味の国です : 最低でも10年間はやら精神科やらその他精神問題の相談をしているのですが。 自分が生まれたのが罪だとして育った人間に対して、全く理解を示しませんでしたので。 また、学生時代は誰も僕が歪んだ家庭で暮らしていると気が付きませんでしたし : まあ、人類全体が上位存在に進化した段階で、結果的に人類は滅亡しますが : 哲学的な話すが続くと精神が深淵に持ていかれるので、たまにオタク的なネタを入れるのがこのブログのスタイル……と、今考えました : まあ〈麦〉なので。 〈一粒の麦〉のイメージですね。 ここは : 、通称ノッブ。 信長は何故かフィクションで女性になっていることが多いですが、当然この信長も女性です。 まあ、が女性だったというようなシリーズですから当たり前とも言えますが。 ちなみにノッブはルックスもイケメンです : ちなみに。 彼女を持たなかった理由の一つには「自分は彼女のために死ねるか。 あるいは自分のせいで彼女が死んだとして耐えられるか」と考えていたからというのもあります mugiryu.

次の

博士の異常な愛情

文芸ジャンキー

時は冷戦の真っ只中。 アメリカの戦略空軍基地司令官リッパー将軍が突然、ソ連への水爆攻撃を命令する。 ところがソ連が保有している核の自爆装置は水爆攻撃を受けると10ヶ月以内に全世界を破滅させてしまうと判明。 両国首脳陣は最悪の事態を回避すべく必死の努力を続けるが、水爆はついに投下されてしまう・・・。 from: An insane general triggers a path to nuclear holocaust that a war room full of politicians and generals frantically try to stop. 監督 Stanley Kubrick 出演 Peter Sellers, George C. Scott, Sterling Hayden• REVIEW from 題名で内容を誤解されそうだが、この愛情の矛先は女性ではなく水爆だ。 正確なタイトルは『博士の異常な愛情 または私は如何に心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』。 鬼才キューブリックによる、掟破りの核戦争ギャグ映画。 まずアメリカ空軍の司令官が発狂し、全戦略爆撃機にソ連を核攻撃する命令を出す。 作品詳細リンク• 公式サイト•

次の

白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々

文芸ジャンキー

芸術は特別な人だけが味わうものじゃないし、味わうのに資格も何も必要ないのに、なぜこうした 苦手意識が根強いのだろう。 これは学校教育に問題があったと思う。 最初の出会いが良くなかった。 音楽や美術の時間、そして誤解を恐れずに 言うならば読書感想文など国語の時間も、テストや通知表から切り離すべきだった。 これらの授業は 子どもたちにとって、成績を気にせず、純粋に感受性を育み、知的好奇心を満たす時間になるはず だった。 作品を自由に感じることを禁じられた僕らは、芸術に堅苦しさを感じるようになってしまった。 芸術作品はテストの問題にされるために創られたんじゃあない。 『どうして残ったんだろう?』 これだ。 ベートーヴェンの曲は200年、シェイクスピアの文章は400年、ダ・ビンチの絵画は500年、ずっと 人々に愛され続けている。 でも、彼らの名と作品はなぜか忘れられていない。 作者に頼まれたわけでもないのに、世代から世代へと作品を伝えている。 今でも第九はCDショップに行けばズラリと並んでいるし、ハムレットは様々な出版社から発売されて おり、ダ・ビンチの画集も大判からハンドブック・サイズまで選り取りみどりだ。 ここでちょっと考えてみて欲しい。 多くの詩集は初版で絶版になり、CDも半年で廃盤となる。 世界には無数の画家がいるけど、国境を 越えて名を残している者はほんの一握りだ。 しかし、僕らはバッハを300年間、モーツァルトを200年間聴き続けている。 実際、どんなに小さな 街角のCDショップでもバッハの作品は手に入る。 昨今のミュージシャンの歌唱力、深みのある歌詞は、感嘆に価するし、ライブに僕も足を運ぶ。 シェイクスピアの作品が400年間も本屋の店頭に並び続けている、この奇跡! 奇跡、と書いたが大袈裟じゃない。 過去の例だとピンと来ないなら、未来を想像してみよう。 20年後の 世界ですらどうなっているのか見当もつかないというのに、今日発売された本を400年後の人が まだ読んでいるんだ。 これは、スゴすぎると思わないかい? そして、もうひとつ特筆したいのは、「モナリザ」「運命」「ロミオ&ジュリエット」などが完成してから これまで数百年の間に、社会環境や人々のライフスタイルがガラリと変わっていること、 そして、はるか遠い外国の作品なのに日本人の僕らが知っているという事実だ。 ベートーヴェンやゲーテが生きていた時代は封建社会で、現代と社会環境が全く違うし、民衆は文字 を読めず迷信を深く信じていた。 人々はペストやコレラの流行などで、いつも死と隣り合わせに生きて いたのだから、当然、今の僕らとは幸福の基準も人生観も随分異なるはずだ。 また、住む国が異なれば文化も当然違うわけで、それによって国民性・価値観もかなり変わってくる。 なのに僕らは、数百年も昔に異国の人間が味わった喜怒哀楽の「追体験」をして、深い感銘を受け ている…。 それが世間では名作といわれているが、自分にはピンと来ない…(僕はしょっちゅうこうだ)。 その時は、 「分からない、だから興味がない」 ではなく、 「分からない、だからこそ興味がわく」 と、なぜ先人たちが名作と判断して残してくれたのか、その魅力を探して欲しい。 名作が名作と呼ばれる由縁、作品の秘密(魅力)を探る旅は、実にスリリングでエキサイティングな ものだ。 1つ1つの謎を解き明かしていく度に新しい感動が待っている。 それは、時代や住む場所によらず、人類共通の価値観で 計れ、誰にだってすごいことが分かるからだ。 でも、芸術作品は見る人によって評価が分かれ、感動する人と、そうでない人がいる。 ある人には 名作であっても、他の人には失敗作と感じられたりする。 人間の内面世界を形(作品)にして、万人の 共感を得ること、名を残すことは至難の技だ。 ベートーヴェンの時代にはジャズやロックは存在せず、クラシックの作曲家がたくさんいた。 だが、 当時の人々はその多くの作曲家の中からベートーヴェンを残すことにした。 残そうとする人たちがいた から残った。 彼の音楽には、他の作曲家にはない、「何か」があったんだ。 人類愛、希望、自然美、誠実さ、自己との闘い、勇気、いずれを受け止めたかは、人によって様々だ ろう。 だが、何であっても、間違いなく人々の感情に訴えかけたんだ。 そうでなければ、誰もベートー ヴェンの知り合いでもないのに、後世に作品を残そうとしてきた理由が見つからない。 クラシックは「暗い」と一般に受け止められているけど、もし本当に暗いだけなら、人は味わおうとしな いだろう。 誰しも落ち込むより陽気になりたいものだから。 でも、「暗いのではなく、深い」ことに気づけ ば、暗いのと深いのは違うということを知れば、クラシックはもう聴き手を退屈させることはない。 また、古典文学は「生き残った文章の宝庫」だ。 どれも、時の重みに耐えたものばかり。 そこにどんな 言葉が刻まれているのか、考えただけでワクワクしてしまう。 次世代はそんな作品を受け取らない。 普遍的な人間の真実の姿が刻み込まれた作品だけ が、個人の人生観の違いを乗り越え受け継がれてゆく。 つまり、現在「古典作品」と呼ばれるものを僕らが味わうことは、まさに「美味しいとこ取り」をする わけだ。 古典文学を紐解くこと、それは作者の心だけでなく、作品を残そうとした 過去の読者の魂にまで 触れることだ。 あなたが芸術家の卵ならなおさらだ。 美味しいものを食べていないと何が 美味しいのか分からず、美味しいものを作れない。 作家を目指す場合も、名作を一気に読んだという 体験が自分にあるからこそ、少しでもそうした名作に近づこうと努力出来るんだ。 最初に書いたように、芸術はちっとも難しくなんかない。 どういった人物で、どういう 理由でその作品を創るに至ったのかという背景を知って欲しい。 ゴッホが描いた『カラスのいる麦畑』という絵は、ゴッホの生涯を知らなければただの風景画だ。 しかし、彼が自殺をする直前の風景画であり、彼自身その麦畑の中で銃弾を胸に撃ち込んだことを 知ると、画面からゴッホの助けを求める声が聞こえてくる。 また、彼の一連の自画像についても、生涯を知らぬ者には普通の肖像画だが、その人生を知って いる者は、発狂したゴッホが自分で左耳を切り落としたから、晩年は常に右側面からしか描いてない ことが分かる。 その痛みを知る。 モーツァルトのレクイエム(鎮魂曲)も、メロディーだけを聴いていれば美しいけれど、彼が病魔と戦い ながら作曲し、実際に完成させることが出来ず作曲のさなかに35才という若さで死んでいることを 考えると、レクイエムという曲のタイトルがより深い意味をもって聴き手の魂を揺さぶってくる。 芸術!! 絶対に味わって損はない。 はるか昔の、それも遠く海を隔てた土地に住んでいた人間の感情や息づかいが、あたかも目の前に いるかのように迫って来る興奮。 人は芸術に触れ、肉体が滅んでも作品に込められた魂が輝き続け ることを知る。 身体が存在しないからといって、死んだわけではないと実感する。 人は死なない、それがまた泣けてくる。 これほど素晴らしい「芸術」を楽しまない手はないッ! 僕は人間がどれだけのモノを創り上げることが出来るのかを知りたい。 すると、子供達の好奇心はいやがうえにも高まり、ゴッホの画集は授業中に隠れて回し読み され、あるいは、 成人したその夜、 「こ、これが噂のベートーヴェンか!」 と驚喜して聴きまくるだろう…なんてね(笑)。 どんな名作も作者だけでは 後世に残らない。 現代まで残った芸術作品は、膨大な時間と何千、 何万人もの労力が注がれて受け継がれてきた。 だが、ここで伝えることをやめれば、僕らの代で 作品は時間の海に沈み、人類の記憶から消えてしまう。 「芸術がなくても生きていけるじゃん?」 確かにそのとおりだ。 別に芸術と接点がなくても、生存は可能だ。 呼吸に支障はない。 僕も20代にこのことをよく考えていた。 そこで出した答えはとてもシンプルで 「感動したいから生きている」 だった。 これは本当に単純なことで、その日の夕食でも、半年後のライブでも、愛読しているマンガの発売日 でも、日帰りの旅でも何でもいい。 人が生き続けるのは、先に楽しみがあるからだ。 テレビを見るのも 何かしら感動したいからだと思う。 生きている実感を味わいたいという切望を、芸術はいとも簡単に満たしてくれる。 人は背中に何回電気が走ったかで、人生の幸不幸が決まると思う。 豪邸に住もうが外車を何台持っていようが、物欲は新たな物欲を生み、モノに幸福の基準を置いて いる限り永遠に心は満たされない。 だからモノが無くなれば、とたんに不幸になる。 でも、味わった 芸術の感動は消えない。 それは、人生という長旅の道連れとなり、僕らと共に最後まで歩み続ける。 「こんな世の中、もう生きていたくない」 思わずそういう言葉が出てしまうほど、新聞を読んでもテレビのニュースを見ても世相は暗い。 海外で は戦争、テロ、国内では親が子を、そして子が親を殺すという悲惨なニュースが続いている。 僕たちが暮らしているこの日本は、自殺率が世界第1位になってしまった(02年)。 世界には約200 の国家があるけど、その中でトップというから凄まじい。 自殺者数は4年連続で年間3万人を超えた ままだ。 日清戦争の死者数は1万7千人。 つまり、その倍の人数が毎年死んでいることになり、ここ数年 日本はずっと戦時下にあるようなものだ(実に毎日80人以上が自殺している計算になる)。 そんな世の中で、子供たちに向かって「世界は素晴らしい、生きるに値する」と言っても、まったく 説得力がない。 第一、当の大人自身がその言葉に確信を持てないのだから説得出来るわけがない。 子供を説得するにはまず大人が人類の素晴らしさを確信せねば! 人間は戦争のようなひどい事もするけど、美しい芸術作品も山ほど創ってきたし、それを鑑賞できる のも人間だけだ。 ロシア文学、独文学、仏文学ほか、どの土地で書かれようと、どの時代に書かれ ようと、良い作品は、宗教も、人種も、国民性も関係なく人を感動させる力を持つ。 芸術は、国や 文化、思想が違っても、他人の心の動きに共鳴出来る人類の素晴らしさを教えてくれる! (これらの作品はこうも言ってるようだ--「200年も前の作品に感動したのかい?それならば、あなた がた同時代を生きている人間同士が分かり合えないはずは無いでしょう?」と。 そういった傑作を多くの先人たちは 後世の人のために、全力で残してきた。 芸術は、この簡単なことを僕らに気づいて欲しいと手を差し伸ばし、導いて くれている! 素晴らしい芸術作品の存在を知らずに生を終えるか、あるいは、知っていても「難しそう」「面倒くさそ う」と、見て見ぬ振りをして生を終えるのか。 芸術は向こうからやって来ない。 ガンガン自分から動か なくちゃ! クラシックの歴史的名演を聴こうと思ったら、CDを借りるか買わなきゃならないし、本物のゴッホに 触れようと思ったら、電車に乗って美術館に足を運ばなくちゃならない。 ジッとしていて体験できるもの なんかひとつもない。 もう、一瞬たりともムダに出来ない。 読まなきゃならない本、聴かなきゃならないCD、見なきゃ ならない映画、そうした人類の遺産は一生かかっても時間が足りぬほどたくさんある。 日々の 生活の中で、済んだ事にくよくよ落ち込んだり、後悔してるヒマはない。 仮に「愛している」という歌詞があれば、その言葉の鉄鎖がメロディーをラブソングに限定してしまう けど、クラシックは音楽オンリーなので、その時々の感情で毎回曲の内容(イメージ)が変わっていく。 そこにあるものは魂と魂の正面衝突だ。 ゴッホならゴッホがストレートに身体の中に入って来る という、尋常ではない衝撃、緊張感を体験することになる! また、絵画の特徴として感動の即効性がある。 「だめだ、もう、もたない」という緊急事態に、急いで 感動したい時に画集は効果抜群だ。 音楽は序盤の展開から盛り上がりまで一定の時間がかかるし、 映画は2時間、文学にいたっては数日間を要することがあるけど、絵画の場合、瞬間的にアート・ サンダー(芸術雷)の直撃が待っている。 もちろん、韻という言葉そのものの響きの美しさを楽しむことだって可能 だ。 監督や俳優以外に、大勢の裏方の 人間が各作品に参加しており、そうした数百、数千という芸術家の共同作業、互いの信頼関係から 創り出される芸術という点でも映画は特別だ。 2時間で他者の一生を体験出来る点も素晴らしい! 以下に僕の人生を支えてくれた16本の作品を挙げておく。 もし君が誉められたら、周りが素晴らしいお陰なんだ(モーガン・フリーマン)俳優 ・信じて騙されるのは、誠のものを疑うよりどれ程まさっているだろう(倉田百三)作家 ・人生はゼロから生まれゼロに戻るのだから、失敗しても何も損はしない(英コント集団モンティ・パイソン) ・人間は、行動した後悔より、行動しなかった後悔の方が深く残る(トム・ギロビッチ)心理学者 ・失敗じゃないさ。 この方法では上手くいかないって発見が出来たじゃないか。 だからこの実験は成功なんだよ(エジソン) ・「人生で肝心なのは、どれだけ強いパンチが打てるかではなく、どれだけパンチを受けられるかだ」(シルベスター・スタローン) ・カラ元気も元気のうちだ!そのうち本当の元気と取り替えればいい!(島本和彦)マンガ家 ・自分を何も変えないで、ただ事態だけが変わればいいと思っているさまを狂気という(伊藤守)著述家 ・「気づかなかった。 ドアをあけて外に出れば、どこへでも行けたんだ」 (マンガ『ハチミツとクローバー』7巻) ・勇気とは、立ち上がって語るために必要なものであり、また、腰を下ろして耳を傾けるためにも必要なものである(チャーチル)英首相 ・「何が嫌いかより、何が好きかで自分を語れよ!」(マンガ『ツギハギ漂流作家』から) ・ 国際化というのは平均化する事じゃない。 幸せを感じることのできる心を手に入れるんじゃ(甲本ヒロト)ミュージシャン ・「肝心な点は感動すること、愛すること、望むこと、身震いすること、生きること。 芸術家である前に人間であれ」(ロダン)・ ・ 人生どうせ棒に振るならフルスイングで(山口隆)サンボマスターのヴォーカル ・私がこの世に生まれてきたのは、私でなければできない仕事が何か一つこの世にあるからなのだ。 それが社会的に高いか低いかそんなことは問題ではない(相田みつを)詩人 ・自分を励ます一番のやり方は、人を励ますこと(マーク・トゥエイン)作家 ・自由が欲しい時は他人に頼んじゃいけないんだよ、君が自由だと思えばもう君は自由なんだ(リチャード・バック)作家 ・船は港にいる時、最も安全であるが、それは船が作られた目的ではない(パウロ・コエーリョ)作家 ・我々は現在だけを耐え忍べばよい。 過去にも未来にも苦しむ必要はない。 行為が実を結ぶかどうかは、生きているうちに分かるとは限らない。 正しいと信ずることを行いなさい。 結果がどう出るにせよ、何もしなければ何の結果もないのだ(ガンジー) ・世界一美しいものは、その世界自身だ(映画『キャスト・アウェイ』) 【番外編】 若い人たちへ 「自分探し」という言葉がある。 芸術は人間の無限の可能性を教えてくれるし、本は 悩んでいる時間の経過を早めてくれる。 知っていることが少なければ、やりたいことが少ないのも当然。 世界の見聞を広めれば、絶対に好奇心をヒットするものが見つかるハズ!! (なぜ学校で毎日勉強するのか?答えは簡単。 将来やりたいことが見つかってから勉強するより、 記憶力が良い若いうちに色々学んでいる方が効率いいし、職業の選択肢も広がる。 それに知識が 増えることで、 人の判断に頼らなくても自分の頭で考える力がつく。 自力で人生の壁を乗り越える ことが出来る。 そのとき、この世に引き止めてくれたのは、他でもない、芸術や文学でした。 本当に心がパサパサになったときは、芸術に触れても無反応になると聞きます。 だから、肩をすくめられるかもしれない。 でも、事実、僕にはそうでした。 この曲をもっと聴いていたい、この画集をもっと見ていたい、この映画をもっと観たい、 この詩集をもっと読みたい、好きな作品を味わえなくなるくらいなら、どんなに辛くても 生きている方が 「まだマシ」、こうなりました。 僕は辛い時に、 この21世紀の今に生きていることを感謝して踏ん張っている。 もし100年前 に生きていたら手塚先生の作品は無かった。 150年前ならチャップリンの映画が、200年前ならゴッホ の絵画が無く、300年前ならベートーヴェン、400年前ならバッハの音楽が、500年前ならシェイクスピア の作品が無かった。 今このタイミングで生きているからこそ、一生では足りないほど膨大な数の傑作群を味わうことが できるんだ!その意味で、この「幸運」を自分から捨てることは不可能…。 もう人生の選択肢がなくなった、行き詰まって打つ手がない、そう思ったときに文学や映画を通して 違う価値観、 別の生き方の存在を知ることはいくらでもある。 悩める人も、悩まぬ人も、共に芸術は 内なる世界を広げてくれる。 新しい選択肢の存在を教えてくれる。 出会いたかった言葉に出会え、 人は救われるんだ。 若い時は人生経験が乏しいため、感情移入できなくて良さが分からなかった作品でも、生きて世間の 波に飛び込み色んな感情を味わううちに、様々な作品に「自分」が登場していることに気づき始める。 「この作品は…まるで自分そのものだ!」 こんな風に感情移入できる作品があちこちにあることを、やがてあなたは知る。 何なのだこの世界は。 冗談じゃない。 人生に勝ち負けなんてあってたまるか。 競走馬のように同じコースを皆で走っているのならともかく、人は誰も各人が その人だけの道を歩んでいて、進む方向もバラバラ。 コースが全然違うのに、最初からレースになるハズがなく、人は誰も 追い越せないし、追い越されることもない(スタート時の環境も千差万別)。 ところが、今や至る所にこの言葉は溢れ、子どもたちまで 「将来は勝ち組になりたい」と言い出す始末。 もちろん子どもにそんな価値観を教えたのは、僕もその一員である大人社会だ。 アホかと言いたい。 子孫を残すことなんか昆虫でもミジンコでも出来る。 何が幸せかはその人にしか分からない。 独身だから不幸とか、子どもが いないから敗者とか、勝手にくだらない人生観を押し付けないでくれ。 どうしてこんな酷い言葉をバラエティ番組や週刊誌が 無批判・無抵抗に使うのか、全く理解できない。 キリスト教とイスラム教の対立もそう。 この日記でも、しょっちゅう紛争の話が出てくる。 それでも僕が人類に対して完全に 絶望モードにならないのはなぜか?(A)ただの脳天気(B)何か特殊な宗教にハマッている(C)現実逃避の達人 答えは全部ノー!人類を信じざるを得ない確固とした証拠がある。 それがアート!文学!人間は文化・価値観がいくら 違ったところで、「相違点」より「共通点」の方が遙かに多いのだと、 芸術や文学が毎日実感させてくれる!アートは他人の心がむき出しになったもの。 作品に触れて心が動く度にいつも思う 「人間の感情はどこの国でも同じだなぁ」と。 映画を例にしても、イラン映画、中国映画、アフリカ映画、どの文化圏の作品にも、 僕にとって心の宝物になっている映画がある。 生活スタイルが全然違うのに喜怒哀楽はまるで一緒。 それから、海外で日本の古典芸能(歌舞伎や能)の公演が満員御礼になって喝采を浴び、黒澤監督の時代劇が絶賛されたり する、この事実も重要。 海外のアートが日本人に響き、日本のアートも海外の人の胸を打つ。 同じ日本人同士でも、ゴッホ展の長蛇の列(3時間待ち)に遭遇したり、好きなミュージシャンのチケットが即完売になって とれなかった時、超満員の劇場で外国映画を見る度にいつも思う、「みんな本当に芸術が好き」「我々はなんて似ているんだ」と。 ただし共通点はさらに多い」 と付け加えて欲しい。 僕の文芸研究家としての現時点での集大成です。

次の