臨済宗 本尊。 臨済宗の仏像・位牌・仏壇について

【臨済宗の仏壇】基礎知識・飾り方・注意点について解説

臨済宗 本尊

臨済宗の御本尊と脇侍 - 釈迦如来の仏像や掛け軸の選び方と祀り方 臨済宗は禅宗なので座禅を最も重視します。 そして日本に臨済宗が伝えられてからも中国の影響などを受けたことに伴い、臨済宗には臨済宗妙心寺派、臨済宗南禅寺派、臨済宗建仁寺派、臨済宗建長寺派、臨済宗円覚寺派、のほかにもその他の各宗派に分かれているのが特徴で、非常に多くの分派があります。 それぞれの分派によって仏壇の選び方や祀り方などが異なりますが、基本的に仏壇に関してはそれほど多くの決め事があるわけではないので、現代的なモダンなものを選んでも問題ありません。 臨済宗の御本尊は「釈迦如来」 臨済宗の御本尊は釈迦牟尼仏です。 臨済宗十四派と呼ばれることからもわかるようにとても多くの宗派を持つのが臨済宗の特徴ですが、どの宗派も釈迦牟尼仏をご本尊としてまつる点では共通しています。 各家庭のお仏壇でも御本尊は基本的には釈迦如来を祀るのですが、釈迦 如来の両脇の脇侍には宗派によってそれぞれに違いがあります。 臨済宗の脇侍は宗派ごとに変わる 臨済宗には多くの分派がありますが、ご本尊は釈迦如来を祀る点で共通しています。 しかし、脇掛けに祀る脇侍は宗派によってそれぞれに違いがあります。 例えば臨済宗の最大宗派である妙心寺派の場合、向かって右側には無相大師の掛け軸を、左側には花園法皇の掛け軸などを祀るのが一般的だとされています。 宗派によっては右側に文殊菩薩、左側に普賢菩薩を祀る場合もあります。 各派とも御本尊は釈迦牟尼仏を祀っていたとして宗派ごとに脇侍は変わってくるため、まずは菩提寺に相談してみるのが最も正しいやり方がわかる方法だと言えます。 脇侍は最も大きな宗派である妙心寺派なのか、それ以外の宗派なのかに合わせて用意されていることが多いです。 そのため、最低限、妙心寺派なのか、それ以外の宗派なのかは確認しましょう。 御本尊・脇侍は、仏道・掛け軸どちらを選んでも良い そして臨済宗では御本尊の釈迦如来は仏像を選ぶ人が多いのですが、脇侍も同じように祀る方がいいのか、それとも掛け軸でも良いのか迷う人は少なくありません。 一般家庭ならばご本尊に仏像を、脇侍には掛け軸を選ぶ事を勧められることが多いです。 これも必ずこうしなければならないというルールがあるわけではないのですし、御本尊も脇侍も木製の仏像にした方が重厚な感じがあるし、きちんと安置しているという実感を感じられるのは確かです。 ただし、すべて同じように統一する事になれば、現代的でコンパクトでモダンな仏壇ではすべて祀るのはちょっと難しいことも考えられます。 実際に仏具店などでは脇侍は全宗派の種類を取り扱っていない所もあるので、御本尊や脇侍を選ぶ際には、仏壇のサイズや必要となる宗派の脇侍の仏像を取り扱っているかどうかなどを確認して選ぶとよいでしょう。 仏像のサイズは寸尺法で表される 御本尊や脇侍の仏像を選ぶとき、当然ながら安置する仏壇にきちんと収まる大きさのものを選ばなければなりません。 仏壇よりも大きなものを選べば、ご本尊が収まらなくなってしまうので、選ぶ際にはサイズの確認はとても重要なポイントです。 そしてそのときに注意したいのが、仏壇の大きさ表記です。 現在は高さや長さはcmであらわされるものがほとんどですが、仏具に関しては大きさの表記の際に現在でも寸尺法を採用しています。 一寸がおよそ3cmほどなので、事前に計算して置く際にも仏壇の大きさも仏像の大きさも寸尺法に直して比較する必要があります。 さらに複雑なのが仏像の高さの表記がたとえば2. 5寸となっていても、その総高は実際にはもっと大きくなることが多い点です。 あくまでも総高をチェックして、仏壇内に収まるかどうかを確認する必要があります。 臨済宗の仏壇における仏像と掛け軸の祀り方のポイント 臨済宗の一般家庭のお仏壇の祀り方としては、まず真正面にご本尊の釈迦如来の仏像を配置し、両脇にそれぞれの宗派に合わせて選んだ脇侍を配します。 脇侍は掛け軸の場合には自立するものや、押しピンで取り付けるものなどがあるので、取り付けるスペースに少しゆとりを持てるようなサイズのものを選ぶことが大切です。 そして飾る際にはご本尊の仏像に対して脇侍の掛け軸がご本尊の高さよりも高くならないように設置するのが基本で、脇侍の方が少し低くなるような高さのものを選ぶのが一般的です。 仏壇の構造やサイズなどによっても異なりますが、その下の段には位牌や高月を配置し、さらにその下段に火立てと花立、前高炉とおりんなどを配置するのが一般的な祀り方です。 仏像や掛け軸はもちろんですが、仏壇に供える仏具も仏壇のサイズに合わせて選ぶようにするの良いとされています。 臨済宗のお仏壇の買い方と色やデザインの選び方と注意点 臨済宗の仏壇選びに決まりはない 臨済宗は元は禅宗の中の一派で日本に広く伝わったものですが、中国からの僧によって様々に伝わった事で多くの宗派が生まれています。 座禅を行いつつ師から出された公案を解くことで、悟りへとより近づいていくと説かれているのが特徴です。 臨済宗のお仏壇は現代の住宅でよく利用されているミニタイプやモダン仏壇、唐木仏壇などどんなタイプを選んでも特に問題はありません。 ただし、浄土真宗などによく選ばれる金仏壇以外のものを選べば、基本的には大丈夫だとされています。 かつてのように先祖をおまつりするための仏間がどこの家にも設けられていた時代とは異なり、現在は仏間どころか和室を全く持っていない住宅さえあるほど日本人の生活様式や住宅事情は大きく変化しています。 そのため一般的な住宅のリビングなどの洋室に置いても馴染みやすいモダンタイプなどが人気があります。 サイズもかつてのように宗派の中でその大きさを競うようなものが好まれた時代もありましたが、現代の都市部では特に大きすぎるものは置き場所に困る事から住宅事情に合ったサイズ感のものを選ぶ人が増えているようです。 臨済宗は宗派が細かく分かれているので要注意 臨済宗は五山制度からなる多くの宗派に細かく分かれているのがその特徴です。 建長寺を第一としている鎌倉五山、南禅寺を別格として天龍寺を第一とする京都五山に加え、そのもとに十刹と言われる寺院が数多く存在し、細かく宗派が分かれている事でも知られています。 同じ臨済宗であっても実際には多くの宗派に分かれる為、初めて仏壇を購入する際に不安に感じる場合には菩提寺などに相談してみるのがおすすめです。 仏壇店で確認することもできますが、臨済宗向けの仏壇とされていても細かい宗派まではきちんと把握されていない場合もあります。 臨済宗の中のどんな宗派であっても基本的には金仏壇以外はあらゆる宗派に対応できるとされているため、あまりにも神経質になる必要はないと考えて差し支えありません。 基本的には個人や残された家族の好みや住宅事情、予算などに合わせて選べば良いのですが、それでも仏壇は何度も買い替える類のものではないし、故人の信仰する宗派にのっとって祀るためには自身の宗派とその特徴などは仏壇購入を良い機会ととらえてきちんと確認しておくようにすると良いでしょう。 お店や通販サイトの「臨済宗」は妙心寺派を指すことが多い 臨済宗の中にも多くの宗派がありますが、その中でも最大の宗派と言われるのが臨済宗妙心寺派です。 仏壇を選ぶにあたっては現代では仏具店だけでなく通販サイトなどを利用して探すこともできます。 そんな時、臨済宗と書かれているものは、多くの場合には最大派閥である臨済宗妙心寺派をさすものがほとんどです。 最大派閥である妙心寺派以外にも南禅寺派や天龍寺派、相国寺派など数多くの宗派に分かれるのが臨済宗の特徴なので、自宅が妙心寺派以外の宗派であることが分かっている場合には、事前に相談しておく方がより安心して選ぶことができます。 臨済宗のそれぞれの宗派では釈迦牟尼仏を本尊としてまつるのが特徴です。 お仏壇に祭る御本尊は基本的には釈迦如来になりますが、両脇に飾る脇侍がそれぞれに異なります。 仏壇はどんなものを選んでも問題がないとしても御本尊と脇侍はそれぞれの宗派によって祀るものが異なるため、御本尊のまつり方などに関しても、どのようにするのが良いのかはできれば菩提寺に事前に相談してから決めるようにすれば、より安心して選ぶことができます。 サイズも場所や予算に合わせて選べる 仏壇は死後に自分が入る事となる場所なので、できるだけ大きくて立派な方が良いと考えられてきた地域もあり、仏様を祀るための専用の部屋を持つ広い日本家屋が軒を連ねる地域もあります。 選ぶ際に様々な宗派の特徴を知る事も大切なのですが、臨済宗の中のどんな宗派かと言う事に加え、その場所の地域色が色濃く表れる場合が少なくありません。 そうした古くからの伝統的な住宅ばかりでなく、現在ではマンションや現代的でモダンな住宅の中に設置するものを選ぶことの方が増えているかもしれません。 臨済宗の特定の宗派に適した仏壇と言っても、実際に設置する場所に合ったものを選ぶことが何よりも大切になります。 どんな住宅環境の所に設置するのかに合わせて、台付きの大きな仏壇だけでなく、ちょっとしたスペースにスッキリと置ける小型の上置きタイプのお仏壇を選ぶことももちろん通常は何の問題もありません。 仏壇を設置する部屋も和室とは限らず、今では家族が集まるリビングに置く家も多く、リビングに置いても違和感のないモダン仏壇を選ぶ人も増えていると言われています。 まとめ 多くの宗派を持つ臨済宗ですが、お仏壇に関しては必ずこうでなければならないという決まりはありません。 ただし御本尊や脇侍などの祀り方にはそれぞれに違いがあるため、迷ったら菩提寺に相談してから決める事をお勧めします。 故人の遺志を尊重してシンプルに現代の生活に違和感なく溶け込むようなモダンなものを選ぶ人も増えています。 あまり決まりに縛られすぎず気軽に相談してみれば、設置する住宅の環境や予算などに合わせて最適なものを紹介してもらえます。 関連記事 商品のお届けについて 振込確認日より10日前後で発送いたします。 (位牌の場合は、位牌原稿とお支払いの確認が取れてから10日前後で発送いたします。 ) お振込のタイミングによっては、取扱い在庫がなくなる場合があります。 送料について すべての商品を、 送料無料で全国にお届けいたします。 お支払いについて お支払い方法はクレジットカード、または銀行振込からご選択いただけます。 期日内にお振込みの確認ができなかった場合はキャンセルいたします。 返品交換・キャンセルについて ご注文後のキャンセルは承っておりません。 予めご了承ください。 お仏壇の返品に関してはをご覧ください。 ご返品、交換を承ります。

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臨済宗とは :: 三聖山慧然寺

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歴史 [ ] 臨済宗は、その名の通り、後、末の宗祖(生年不詳 - 867年)に始まる。 臨済は、中国禅宗の祖とされる(5世紀後半 - 6世紀前半)から数えて6代目(六祖と呼ばれる)の禅の祖・曹渓宝林寺の(638 - 713年)の弟子の1人である(677 - 744年)から、(709 - 788年、)、(749 - 814年)、(生年不詳 - 850年)と続く法系を嗣いだ。 の地のを拠点とし、新興の勢力であった成徳府の (、)(生年不詳 - 866年、禅録では王常侍)を支持基盤として宗勢を伸張した。 臨済は『喝の臨済』『臨済将軍』の異名で知られ、豪放な家風を特徴として中国禅興隆の頂点を極めた。 しかし、唐末の混乱した時期には、河北は5王朝を中心に混乱した地域であったため、宗勢が振るわなくなる。 この時期の中心人物は、風穴延昭である。 臨済宗が再び活気に満ち溢れるようになるのは、代であり、石霜楚円の門下より、ともにを出自とする黄龍慧南と楊岐方会という、臨済宗の主流となる2派(・)を生む傑僧が出て、中国全土を席巻することとなった。 代になると、楊岐派に属する(1063 - 1135年)の弟子の大慧宗杲が、を拠点としてを形成し、臨済宗の中の主流派となった。 の(1089 - 1163年)との(1091 - 1157年)の論争以来、の「」に対して、に参究することにより見性しようとする「」(かんなぜん)がその特徴として認識されるようになる。 日本における臨済宗 [ ] 宗門では、ゴータマ・シッダールタの教え()を直接に受け継いだ(迦葉)から28代目の(菩提達磨)を得てからに伝えられた、ということになっている。 その後、臨済宗は、時代の中国に渡り学んだ (1141年 - 1215年)らによって、以降に日本に伝えられ、様々な流派が成立した。 栄西が伝えたのは黄竜派の教えだが、(1166年 - 1227年)が伝えた楊岐派の教えは、禅宗24流のうち20流をまでを占めるまでになった。 なお、に伝わったも元来、中国臨済宗の一派である。 師から弟子へのの伝達(法嗣、はっす)を重んじる。 を本師釈迦如来大和尚と、を初祖菩提達磨大師、臨済を宗祖臨済大師と呼ぶ。 同じ禅宗のが地方豪族や一般民衆に広まったのに対し、、という時の武家政権との結び付きが強かったのも特徴の1つで、、のどちらも全て臨済宗の寺院で占められているほか、の形成にも多大な影響を与えた。 しかしその後、の権勢とともに臨済宗も衰退していった。 江戸時代になって、禅師(1686年 - 1769年)によって臨済宗が再建されたため、現在の臨済禅は白隠禅とも言われている。 そして、白隠は「中興の祖」として知られる。 この時代、臨済宗で勢力を拡大したのは妙心寺派と大徳寺派であったが 、白隠も妙心寺派の出である。 妙心寺派はこのほか、やを輩出している。 一方の大徳寺派では、が有名である。 また、江戸時代は各宗派においてが栄えた。 臨済宗では妙心寺や大徳寺、京都五山、それに鎌倉五山などに学寮を設けられ、宗学の伝授と住職資格の付与を担った。 主な法嗣の系統 [ ]• - 三聖慧然・興化存奨 - 南院慧顒 - 風穴延沼 - 首山省念 - 汾陽善昭 - 石霜楚円(慈明禅師、986 - 1039年)• 黄龍慧南(黄龍派)• 晦堂祖心 - 死心悟新・霊源惟清 - 長霊守卓 - 無示介諶 - 心聞曇賁 - 雪庵従瑾 - 虚庵懐敞 - (千光派・派)• 真浄克文 - 兜率従悦・覚範慧洪• 東林常聡• 楊岐方会(楊岐派) - 白雲守端 - 五祖法演• 仏鑑慧懃• 仏眼清遠• (仏果克勤)• (大慧派) - 拙庵徳光• 北礀居簡 - 物初大観 - 晦機元煕• 東陽徳輝 - (中巌派)• - 用章廷俊 - 無我省吾• 石室祖瑛• 梅屋念常• 浙翁如琰 - 偃渓広聞・大川普済• 妙峰之善 - 蔵叟善珍 - 元叟行端 -• ( ())• 虎丘紹隆(虎丘派) - 応庵曇華 -• 松源崇嶽(松源派)• 滅翁文礼 - 横川如珙 - - ・(竺仙派)・ ・ ・ 石室善玖• 無得覚通 - 虚舟普度 - 虎巌浄伏 - ・(明極派・燄慧派)・・独孤淳朋・即休契了 - (愚中派・仏徳派・派)• 運庵普巌• - 霊石如芝・ (大応派) - 可翁宗然・ (大灯派・派) - (関山派・派)・ (徹翁派)• 石帆惟衍 - 西礀子曇(西礀派・大通派)• 掩室善開 - 石渓心月 - (大休派・仏源派)・ 無象静照(法海派)• 無明慧性 - (大覚派・派) - 約翁徳倹 - (円応派・派)• 破庵祖先(破庵派)• (仏鑑禅師)• (無学派・仏光派・派) - - (派・派)• (聖一派・派)• (兀庵派・宗覚派) -• 断橋妙倫 - (派)• 環渓惟一 - 鏡堂覚円(鏡堂派・大円派)• 雪巌祖欽(仰山祖欽)• 高峰原妙 - - (派)• 鉄牛持定 - 絶学世誠 - 古梅正友 - (派)• 別山祖智・石梁以忠・希叟紹曇・退耕徳寧・・西巌了恵 - 東巌浄日• 石田法薫 - 愚極智慧 - 竺田悟心・樵隠悟逸・ 清拙正澄(清拙派・大鑑派)• 曹源道生(曹源派) - 痴絶道冲 - 頑極行弥 - (一山派) - - 太清宗渭 - 太白真玄• 開福道寧 - 月庵善果 - 大洪祖証 - 月林師観 - - (無本覚心、法灯派) - ()・ - (派) (なお、臨済宗外では、仏眼清遠から3代下った楊岐派7代目の蒙庵元聡の下で修行し、初めて楊岐派の法灯を日本へと伝えたの祖・などもいる。 ) その他の国における臨済宗 [ ] やなどの国々に伝わっている。 この節のが望まれています。 伝統 [ ] 法嗣というからへとの伝達が続き現在に至る。 師匠と弟子の重要なやりとりは、室内の秘密と呼ばれ師匠の部屋の中から持ち出されて公開されることはない。 師匠と弟子のやりとりや、師匠の振舞を記録したから、抜き出したものが公案(判例)とよばれ、宋代からさまざまな集成が編まれてきたが、悟りは言葉では伝えられるものではなく、現代人の文章理解で読もうとすると公案自体が拒絶する。 しかし、悟りに導くヒントになることがらの記録であり、禅のはその創立時から現在に至るまで非常に多い。 それとともに宋代以降、禅宗は看話禅(かんなぜん)という、禅語録を教材に老師が提要を講義する(という)スタイルに変わり、臨済を初めとする唐代の祖師たちの威容は見られなくなった。 師匠が肉体を去るときには少なくとも跡継ぎを選んで行くが、跡継ぎは必ずしも悟りを開いているとは限らず、その事は師匠とその弟子だけが知っている。 新しい師匠が悟りを開いていなくとも、悟りを開いていた師匠の時代から数世代の間であれば、世代を越えて弟子が悟りを開くことは可能なため、その様な手段が取られる。 師匠は、ひとりだけではなく複数の師匠を残して行くこともあれば、師匠の判断で跡を嗣ぐ師匠を残さずにその流れが終わることもある。 いくつもの支流に分かれ、ある流れは消えて行き、その流れのいくつかが7世紀から現在まで伝わっている。 悟り [ ] 禅宗は悟りを開く事が目的とされており、知識ではなく、悟りを重んじる。 禅宗における悟りとは「生きるもの全てが本来持っている本性である仏性に気付く」ことをいう。 仏性というのは「言葉による理解を超えた範囲のことを認知する能力」のことである。 悟りは師から弟子へと伝わるが、それは言葉(ロゴス)による伝達ではなく、坐禅、公案などの感覚的、身体的体験で伝承されていく。 いろいろな方法で悟りの境地を表現できるとされており、特に日本では、詩、絵画、建築などを始めとした分野で悟りが表現されている。 公案体系 [ ] 宋代以降公案の体系がまとめられ、擬似的に多くの悟りを起こさせ、宗門隆盛のために多くの禅僧の輩出を可能にした。 は、禅語録から抽出した主に師と弟子の間の問答である。 弟子が悟りを得る瞬間の契機を伝える話が多い。 公案は論理的、知的な理解を受け付けることが出来ない、人智の発生以前の無垢の境地での対話であり、考えることから解脱して、公案になり切るという比喩的境地を通してのみ知ることができる。 これらの公案を、弟子を導くメソッド集としてまとめたのが公案体系であり、500から1900の公案が知られている。 公案体系は師の家風によって異なる。 修行の初期段階に与えられる公案の例: - 「犬に仏性はありますか? 」「無(む)」 この背景には、仏教では誰でも知っている「全ての生き物は仏性を持っている」というの知識があるが、その種の人を惑わす知識からの解脱を目的としている。 -「片手の拍手の音」 弟子は片手でする拍手の音を聞いてそれを師匠に示さなければならない。 知的な理解では片手では拍手はできず音はしないが、そのような日常的感覚からの解脱を目的としている。 宗派 [ ] 建仁寺派 [ ]• (建仁2年)、・に渡って帰国したにより始まる。 栄西は最初に禅の伝統を日本に伝えた。 大本山は京都の。 東福寺派 [ ]• 、宋に渡り帰国した(弁円)により京都で始まる。 本山は京都の。 戦国時代、毛利家の外交僧として活躍したはこの宗派。 建長寺派 [ ]• 、鎌倉幕府五代執権・が・から招いたにより始まる。 本山は蘭渓道隆が開山した鎌倉の。 円覚寺派 [ ]• 中国から招かれたにより鎌倉で始まる。 本山は鎌倉の。 円覚寺は、無学祖元から・へと受け継がれ日本の禅の中心となった時期もある。 明治以降の有名な禅師は、・・。 禅を西洋に紹介したは今北と釈宗演の両師の元に在家の居士としてした。 またも釈宗演に参じており、その経験は「」に描かれている。 の法をついだ両忘庵老師が日暮里の地に居士禅の両忘会を再興させ、両忘協会となり、若き日の等が修行した。 その後、両忘協会はとなり居士専門の坐禅修行が続けられている。 南禅寺派 [ ]• 、により始まる。 本山は京都の。 国泰寺派 [ ]• 頃、により始まる。 総本山は明治時代に江戸無血開城の立役者として知られる幕臣・の尽力で再興した富山県高岡市にある。 谷中のも山岡鉄舟が建立しており、国泰寺派である。 文化庁によると、全国に寺は約77000あり、幕末からの官軍の人々を弔う場所は靖国神社があり、山岡は、官軍も、賊軍こと旧幕府軍もなく、国事に殉じた方々を分け隔てなく弔う場所を作りたいと考え、1883年(明治16年)に全生庵を創建したとされている。 大徳寺派 [ ]• 、により始まる。 本山は京都の。 にはで荒廃したが、が復興した。 妙心寺派 [ ]• 、により始まる。 本山は京都・花園の。 塔頭寺院には、桂春院・春光院・退蔵院 ・隣華院 などがある。 末寺3,400余か寺を持つ臨済宗最大の宗派。 もこの法系に属する。 妙心寺派の男性住職がツイッターで2019年3月~9月にかけ、在日朝鮮韓国人を差別するヘイトスピーチ6件とその他の差別発言3件を書き込んだとして、同派は公式サイトで「誠に遺憾であり、深くおわび申し上げる」とした上で「人権問題に関する取り組みの見直しを行っていく」と謝罪した。 天龍寺派 [ ]• 、により始まる。 本山は京都・嵐山の。 永源寺派 [ ]• により始まる。 本山はにある。 末寺は滋賀県を中心に約150か寺。 明治13年(1880年)までは東福寺派に属した。 向嶽寺派 [ ]• 、により始まる。 本山はの。 塩山の向嶽寺を拠点とする向嶽寺派は鎌倉後期から南北朝時代にかけて武家政権と結んだ夢窓派と一線を画し、独自の宗風を築いた。 向嶽寺派はの弟子であるに師事した抜隊得勝により始まり、抜隊は永和4年(1378年)に入甲し、康暦2年(1380年)には守護の庇護を得て塩の山に向嶽庵(向嶽寺、山梨県甲州市塩山上於曽)を築いた。 向嶽寺派は抜隊の遺戒による厳格な戒律を定めていることが特徴で、抜隊の生前から法語などが刊行されている。 相国寺派 [ ]• 、により始まる。 本山は足利義満により建立された京都の。 末寺は日本各地に約100か寺。 (金閣寺)・(銀閣寺)は当派に属する。 方広寺派 [ ]• 、により始まる。 本山は引佐町奥山の。 末寺は静岡県を中心に約170か寺。 (明治37年)までは南禅寺派に属した。 佛通寺派 [ ]• 、により始まる。 本山は広島県三原市の。 末寺は広島県内を中心に約50か寺。 (明治38年)までは天竜寺派に属した。 興聖寺派 [ ]• 、により始まる。 本山は京都の。 (昭和28年)までは相国寺派に属した。 関係教育機関 [ ]• 脚注 [ ] []• -コトバンク• 村上専精 『日本佛教史綱(下巻)』 創元社、1939年、245頁• 圭室諦成『日本佛教史概説』理想社出版部、1940年、360項• 圭室諦成『日本佛教史概説』理想社出版部、1940年、346項• 全生庵公式サイト• YOMIURI ONLINE. 2017年9月9日. の2017年9月13日時点におけるアーカイブ。 2019年7月13日閲覧。 『』2019年9月11日• 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 - 共同でである「禅文化研究所」を設立・運営、公式「臨済宗 黄檗宗 公式サイト」(臨黄寺院ネットワーク)を開設・運営している。 外部リンク [ ]• - 臨黄寺院ネットワーク運営委員会•

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臨済宗の仏壇と飾り方 : 後藤徹 [マイベストプロ山陰・島根]

臨済宗 本尊

本山は建仁寺・健長寺など 建仁寺は京都にあるお寺です。 口コミ 建仁2年に栄西禅師が開いたという臨済宗建仁寺派の大本山で、京都最古の禅寺。 国宝「風神雷神図屏風」や多数の美術品を拝観出来ます。 ここは、写真が撮れる数少ない寺院です。 引用:グーグルマップ 言わずと知れた京都祇園の禅宗最古のお寺です。 現在は臨済宗らしいです。 源頼家が土地を寄贈し、そこに建造された場所です。 建造が1202年とのことで歴史と趣のあるお寺です。 風神雷神や龍の絵が飾られていますが、実物を見るととても迫力を感じます。 枯山水の庭園もとてもきれいです。 外国人観光客の方に大変人気らしく、皆さん浴衣を着て散策されています。 一度は訪れるべき場所だと思います。 引用:グーグルマップ 健長寺は神奈川にあるお寺です。 口コミ さすが鎌倉五山第一位の臨済宗・建長寺派の大本山! 境内が広すぎです! 歴史を重ねてきた巨大な三門や仏殿に圧倒されますね。 方丈の裏には開山・蘭渓道隆が作庭したと伝わる美しい庭園があります。 本当に素晴らしい庭園です。 引用:グーグルマップ 臨済宗建長寺派 大本山 建長寺 1253年建長5年 鎌倉幕府五代執権 北条時頼が建立したわが国最初の禅宗専門寺院です。 国の重要文化財に指定されている総門・三門・仏殿・法堂などの建物を中心に大陸的な伽藍配置が残されています。 また、仏殿の前にあるビャクシンの古木は、樹齢約730年と言われており、迫力ある大木で歴史あるお寺です。 引用:グーグルマップ 本尊は釈迦如来 本尊は釈迦如来です。 仏教の開祖であるお釈迦様をかたどった仏像です。 公案とは答えのないナゾナゾのようなものです。 以下は公案の一例です。 ミミズはちぎれても、2つとも動く。 では、仏の心はどちらにあるのか? ・・・難しいですね。 でも、先に答えを書いています。 公案とは 『解なし』です。 上記の公案の本質は・・・ AまたはBという2択は、あなたの思い込みですよ。 と、弟子に教えることです。 悟りというのは、自分の作った固定観念を全て取っ払った状態をいいます。 ちぎれたミミズには、どちらかに仏の心がある。 これはその人の固定観念です。 どちらにも仏の心があるかもしれませんし、ないかもしれません。 近くを飛んでいる鳥にしてみれば、ちぎれていようとミミズはただのエサ。 このように、見方を変えれば幾千もの考え方ができてしまうのです。 人生の悩み事も同じです。 個人の考え方次第で、良くも悪くもなります。 栄西は公案を使って、弟子たちを固定観念のない悟りへと導くのでした。 お茶を日本に広めた緑茶の開祖でもある 日本に本格的な禅宗を広めた栄西ですが、同時にお茶を広めた人物としても有名です。 お茶の効果・効能を記した日本最古の茶書『喫茶養生記』を書き上げました。 緑茶にはカフェインが含有されており、修行の眠気覚ましのために中国留学から持ち帰ったのです。 まとめ 以上、 臨済宗の開祖は栄西禅師|本山、経典、本尊について分かりやすく解説でした!• 開祖:栄西• 開宗年:1,191年• 本山:建仁寺・健長寺• 本尊:釈迦如来• 経典:なし 栄西は公案というナゾナゾで、弟子を悟りに導きました。 また、日本にお茶を広めた人物でもあります。

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